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淡雪のように

「あああ、いやああああああーっ!!」


 わたしは声を限りに叫んでいた。

 あとから思えば、絶叫できたのは墜落したのが呪圏外だったせいだろう。

 

 その意味ではクルグスの時よりましではあったが、代わりに肉を挽き潰されるような快楽は延々と続いた。

 

 苦痛のあまり気絶し、さらなる痛みで覚醒する。

 身体の最奥が赤熱し、自我がどろどろに溶けていった。

 強烈な波が幾度も押し寄せ、己の核が砕かれていく。


 ダメだ。もうダメ。もう、やめてやめて、お願いだからーっ!!


 懇願は一切、顧みられなかった。

 当たり前だ。これは物理法則と同じ位に強固な仕組みなのだ。

 翼をもがれ、発動機が停止した飛翔機は墜ちる。

 同じようにわたしも墜ちる。

 確実に墜ちて、潰れて、ぐちゃぐちゃになってしまうだろう。

 

 思考は断片化し、まとまらない。手足も萎え、痙攣するだけだ。

 

 わたしはわたしを規定することさえ、もう――


「――だから、止めたのに。仕方のないひと」


 涼やかでどこか甘い、小さなささやき。

 いつ、そうなったのかわからない。

 けれども気付けば、わたしはひざまくらをされていた。


「これは特別サービス。でも、あなたはいつでも受けられる。ロゼはわたしの特別だから」


 白い指先がたおやかにわたしの頬をなで下ろした。

 春光を浴びた淡雪のように、苦痛は溶け消えた。

 

 とても気持ちがいい。

 

 穏やかで、暖かく、ゆったりした心地よさ。

 歪んでぼやけていた自我がはっきりした輪郭を取り戻した。

 瞼を開いたが、視界がぼやけて焦点が合わない。

 そっとたずねてみる。


「マ、ユ、ハ……?」


「うん。わたしだよ、ロゼ」


 鼓膜をくすぐる、たおやかな声。

 マユハ。

 ああ、マユハだ。

 マユハはここにいる。またマユハと会えた。


 じんわりした幸福が細胞の隅々まで行き渡り、わたしは恍惚となった。


 泣いていた。安堵の涙がこぼれていた。

 滴はきりなく頬を流れ落ち、彼女の膝をぬらした。

 マユハはここにいる。確かにいる。この事実だけを噛み締めたい。

 

 

 他にはなにも認識したくなかった。

 

 

 世界にはわたしとこの娘だけいればいい。

 他のもの、他のことはいらない。他のものは余計なのだ。

 

 ぜんぶ、いらない。みんな消えてしまえばいいのに。

 

 がさがさ、がさがさ。地表を這い回る音。

 き、きき、きぃぃっ。軋るような鳴き声。

 ごり、ごりり、ごり。硬い甲皮の擦過音。

 

 数度、瞼をしばたく。しだいに視界がクリアになっていく。

 

 綺麗な夕暮れの空。

 わたしを見下ろす愛おしい人の優しい微笑み。

 

 

 夕陽をあびる都城は、一葉の絵のようだった。

 

 

 小高い丘の上にわたし達はいた。

 マユハの傍らに汚れた布包みが置かれている。

 

 残光に照らされた木立の向こうには、きっとわたし達の館があるはずだ。

 

 何もかも放り捨て、あそこに帰って眠りたい。

 そうできればいいのに。

 

「ロゼ、起き上がりたいの?」


 うなずくとマユハは呆れたように、


「せっかちなひと。もっとゆるゆるすればいいのに」


 ぶつぶついいながらマユハは手を貸してくれた。

 起き上がったものの、身体に力が入らない。

 立ち膝をつき、彼女に肩を支えられて、わたしは周囲を見渡した。

 

 

 丘はマガツの大群に囲まれていた。

 

 

 地上種もいれば飛翔種もいる。

 大半は小型だが、中型種もいる。

 様々なマガツがわたし達を中心にした円周上に雑然と並んでいた。

 胃がきゅっと縮こまった。

 

「大丈夫、襲ったりはしない。わたし達は安全」


 やめてよ。

 訳知り顔でそんなことを言わないで。

 何も聞きたくない。

 何も問いかけたくない。

 知りたくないのに。

 

 耐えられなくて、わたしはマユハの二の腕をつかんだ。

 どんどん、力がこもってしまう。


「――っ、ロゼ、痛いよ」


「なんで……君がここにいるの?」


「助けに来た」


「どうやって、ここまで?」


「連れて来てもらった」


 端的すぎてわからない。

 いや、嘘だ。ちゃんと想像はつく。ただ、認めたくないだけだ。

 これ以上、知るべきではない。


「ええと、ロゼを、じゃないよ? あなたの匂いは遠すぎたから」


 必死で口をつぐんだのに、マユハは説明を続けてしまう。


「別の娘を助けに来た。遅かったけど」


 彼女の視線は下に向けられていた。

 赤黒い汚れが染みている、小さな布包みに。

 心臓が早鐘を打つ。

 じっとりと嫌な汗をかいてしまう。

 それは、何?

 

 マユハは身を引くと布包みを拾い上げ、するすると解いていく。

 

「返してもらった。()()だけ残っていたから」

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― 新着の感想 ―
[一言] 嗚呼……、やっぱり……。 マユハは……、マユハは…………。
[一言] 本当に不思議なお話ですね。 だけど、魅かれます。
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