不測の事態
なにしろロサイルでも空戦しているのだ。
チプスは精々あと二、三回程度しか、射撃できないはずだ。
問題はこちらがそれまで墜とされずに、しのげるかだった。
おりしもチプスは鳥のように軽やかに旋回し、ムンスターの背後へ回り込んだ。信じがたい機動だ。そのままじりじりと距離を詰めていく。
まずい、至近距離から発砲して確実に屠る気だ。
部下同士の殺し合いなんて冗談じゃない! どうにかして止めなくては。
必死の機動を続けるうちに、二機はわたしの針路を横切る形になった。
どうにか牽制したいが、遠い。
見越し射撃をするにはあまりに遠すぎる。
ここから撃っても想定した位置に砲弾を送り込むのは無理――だけど、どうにかしなくては!
その時、因果の連鎖がかちりとはまった。
固有技能が久々に発動した。
わたしは機首を上げ、虚空を照準機におさめた。タイミングがすべてだ。大丈夫、わたしは間違えない。何がどうなるかはちゃんと認識した。
――へえ、素晴らしいね。撃て。
引き金が絞られ、機関砲が発射された。
前方をムンスター機が通過する。
続いてやって来たチプス機と数十発の機関砲弾が交差した。
放たれた砲弾はすべて命中した。
操縦席に着弾が集中し、天蓋が血に染まった。
主を失ったメルカバは緩やかに回転しながら墜落。
地表の森に突っ込み、爆発した。
「な……なん、で……?」
呆けた声は他人のもののように虚ろに響いた。
そうだ。確かにわたしは知っていた。あのタイミングで撃てば、チプスをばらばらにできると知っていた。
だから――だから、絶対にそうならないように気をつけたはずなのに、なんで……!?
ムンスター機が翼を振りながらやって来た。
『ありがとうございます、ボルド大尉! 間一髪でした、助かりましたよ』
わたしはすくみ上がり、話すべき言葉を失っていた。
ありがとう、ボルド。
前に……チプスにもそう言われた。
親切で善良だった彼に。
神妙な口調でムンスターは付け加えた。
『大尉、気に病んではいけません。呪いにやられたミードは残念ですが……ああするしか、なかったでしょう』
違う。違う、そうじゃない。
わたしはもっと早く撃つつもりだった。そうすれば、砲弾はチプス機の直前を通過しただろう。
牽制するつもりだったのだ。
だけど、指が動かなかった。
ダメだ、もう撃てない。
いま撃つと命中してしまう――と思った瞬間、引き金を絞っていたのだ。
わからない。どうしてそんなことをした?
わかっているのは、わたしがやったという事実だけだ。
怖かった?
チプスに墜とされるのが怖くて、思わず殺してしまったのだろうか。
そうだ。
また殺したのだ。
また人間を殺してしまった。
今度は親しい仲間を。
リニアの婚約者を。
チプス・ミード中尉は、わたしに殺されたのだ。
謝罪の言葉は浮かばなかった。
死は、取り返しがつかない。どう償っても本質的には無意味だ。
だからこそ、わたしは恨んで憎んで執着し続けたのだ。
父と母を殺したマガツを絶対に許さない、と。
わたしもまた、同じ罪を犯してしまったのか。
馬鹿げている。わたしはすでに30万人を殺している。
ことの真相が公になれば、わたしを恨む人間は数多出てくるだろう。
許されざる罪はとっくに犯しているじゃないか。
でもやっぱり違う。
ロサイルでのわたしは人々を救うつもりだった。
それで許されるわけではないが、ああなるとは本当に知らなかったのだ。
でも今回は違う。わたしは、知っていた。知っていたからこそ、やれてしまった。
どうしていいのか、わからない。
叫び出したい。泣いてしまいたい。でも、できない。してはならない。
まだ任務中なのだ。
わたしはムンスターを率いる責任がある。
アルだって無事に戻れたかわからない。
会いたい。マユハに会いたくて、たまらなかった。
だけど、会う資格があるのか。
30万人殺して、ついでにチプスも殺してきたよって。
言うの、マユハに?
わかっている。きっとあの娘は許してくれる。
お疲れ様、ロゼ。大変だったね。
訥々とつぶやいてわたしを抱き締めてくれる。
思い浮かぶ想像は触れるほどに鮮明で、故に怖かった。
本当に恐ろしかった。
許されて、わたしは安堵してしまう。マユハになだめられ、優しさに溺れて、わたしは生きていける。
でもきっと、二度と誇りを胸に抱けない。
わたしはわたしを軽蔑するだろう。心の底から、生きている限りずっと。
嫌だ。
そんな生き方はしたくない。
それは生きていると言えるのか。それはただ、死んでいないだけだ。
着陸したくない。会いたいのに、マユハのところへ戻りたくない。
いっそどこかへ墜ちてしまいたい。
だから、ダメだってば! お前は任務中なのよ、わかってる?
じゃあ、どうするの? 着陸した後に首でもくくる?
取り返しのつかないことをして、自分も取り返しのつかない場所へ逃げるわけ?
わたしは最低だ――と思いながら、命を絶つのか。
ああああっ、ちくしょうっ!!
感情がぐちゃぐちゃになっている。
不意に笑い出してしまいそうだ。わけがわからない。
誰か教えて欲しい。なんでこうなったの?
わたしは人類を救う戦いをしていたはずじゃないか。
勝利の一手目を担うどころか、これじゃ虐殺者だ。
どうしてこうなったのか、全然わからない。本当にわからない。
『仕方がなかったのです、大尉! なにもかも不測の事態でした。ですが、あなたは自分を救ってくださったのです!』
ねぇ、ムンスター。
わたしが君の両親を殺しても、君は慰めてくれるのかな。
「……帰還する。もう燃料が心許ないわ。速度を抑えて――」
――いや、それもダメだね。仕事はまだ残っているよ、ロゼ・ボルド。
何か聞こえた気がした。奇妙に耳なじみのある声が。
そして何故か身体が硬直している。まばたき一つできない。わたしは突然理解した。
これだ。これをやられたのだ、さっきも!!
それは確信だった。
動かなかったのは、呪槍の切り離しレバーじゃない。わたしの指だ。わたしの指は動かないようにされていた。どうやって? それは、もちろん――
さらに考えを巡らせようとして、気付く。
わたしは食い入るように操作パネルを見つめた。
長距離回線の通話ランプが点滅している。表示されている回線番号は999だ。
本来は存在しない番号。
わずかな人間しか知らない、秘匿回線。
ベルファスト博士の専用回線だった。




