大戦果
始まった時と同様に終わりは突然だった。
いきなり放り出され、わたしは呆然としてしまった。
フレイヤ? 彼女の声が聞こえたような気がした。
最初に認識できたのは、発動機のうなり。
目をしばたくと涙が零れ落ちた。
街並みがきらきら光ってまぶしかった。
いつの間にか雨は上がり、雲に切れ間ができていた。
身体に力が入らない。骨がすかすかになったみたいな感じ。うかつに力をこめると折れそうな気さえする。
何が――あったんだっけ?
半ば記憶が飛んでいた。
そう、快楽だ。おぞましい快楽に翻弄されたのだ。
フレイヤの声が聞こえた気がするが、PLSも長距離回線も切ったままである。
機体はゆっくりと旋回しているようだ。
左方向から建物の屋根がすうっと流れてきた。
「!!」
腹部を屋根にこすりつつ、メルカバは上昇した。
あぶなかった。もう少し回避操作が遅かったら、もろに激突していただろう。
衝撃を喰らったお陰で目が覚めた。
慌てて確認したが、周囲の空にマガツの姿はない。
いつの間にか、強襲巣の近辺に来ていた。
巣の外壁に呪槍が開けた穴があるだけで、他は無傷だ。穴からは黒い煙――恐らくは瘴気の残滓がたなびいている。
視線を地上に移した時、わたしははっと息を飲んだ。
死体。
死体だ。
マガツの死体だ。
そこら中、マガツの死体だらけだ。
見渡す限り死んでいる。折り重なって死んでいる。
地上種も飛翔種も、あらゆる種類のマガツが死んでいる。
一体、何体いるのか? とても数え切れない。
降り積もった雪のように、街路はマガツの死体で埋め尽くされていた。
これなら巣の中を見るまでもない。
呪いは成就した。ロサイルのマガツは全滅したのだ!
低空をゆっくり飛び、死骸を眺めた。
どいつも四肢を奇妙にねくじれさせている。
きっと苦しんで死んだのだ。
ぜひ、そうであって欲しい。
そうであってくれたら嬉しい。とても、とても嬉しい。
「ふっ、ふふっ。ふふふっ、あはっ、はははははっ!!」
こぼれる笑みをこらえ切れない。
ざまあみろ。この様を、この有様をみろ!!
やってやった。殺してやったぞっ!
こんなにまとめて殺したのは、初めてだった。
卵も入れれば、軽く数十万のオーダーになるだろうか。
誓いは達成された。地の果てまでとはいかないが、マガツの死体を街中に敷き詰めた。
わたしの願いは一つかなったのだ。
強襲巣の周囲をぐるりと巡る。
わたしはメルカバを王立大庭園へ向けた。
集まっていた人々の反応を見たい。
まだ何が起きたのか、彼らは理解していないだろう。
それでも助かったことはわかるはずだ。
勝てる。これならきっと勝てる。
これは最初の一手だ。残り数手でマガツを滅ぼし世界を取り返す。途方もない目標だったのに、いまは確かな現実感がある。ベルファスト博士は正しかった。
我々は勝利できるのだ。
しかし、呪槍の感染モードには大いに改善の余地がある。こんなにひどい目に合うとは想像もしていなかった。
あの快楽が呪術成就に伴うものであるなら、術者へのフィードバックが強すぎる。術が終息するまでわたしは操縦どころではなかった。精神に異常をきたしてもおかしくなかったのだ。
対抗呪術を操縦者にかけるとか、薬物で感覚をにぶらせるとか、何らかの手当ては必要だ。
そもそも感染モードはろくに実験もされていない。術が成立した時、術者が呪圏内にいたのが悪影響を及ぼした可能性もある。
博士の見解を確認し、検証しなくては。
誰にでも扱えるものではないのだから、特に慎重な――
そこまで考えて、わたしは苦笑した。まるで飛翔実験団の報告書だ。
実際、この作戦は感染モードの実戦試験のようなものだ。思いがけない副作用に苦しめられたが、期待以上の戦果を上げられた。
そうとも。大戦果だ!
本当に苦しかったが――必要とあらば、また耐えてやる。不意討ちでなければまだ対処できる。引き換えに、こんなに素晴らしい戦果を得られるのだから。
気分を浮き立たせながらも、わたしは周辺警戒を怠らなかった。
敵を墜とした瞬間が一番墜とされやすい。死神は油断に招かれる。バモンド少佐から散々聞かされた心得だった。とはいえ、やはり空にはマガツは見当たらない。
みんな地上に墜ちて死んでいるのだ。これを全部片付けるのは大変だろうな。
「こちら第三中隊指揮官、ボルド大尉。各機、応答せよ」
短距離通話で呼びかけたが、誰からも返答がなかった。
まさか、こちらも全滅? 嫌な想像に背筋が寒くなる。あり得る話だが、単に通話圏外なのかも知れない。
さて、どうしようか。機体の高度を上げ、長距離回線でフレイヤを呼び出すべきだろうか。彼女を経由すれば中隊に集合をかけられる。
ただその場合、我が中隊の現在位置は司令部にも伝わってしまう。
まあ、それはそれで構わない。どうせいつまでも隠せることではない。強襲巣はもう片付けてしまった。司令部が何を言おうが、事後のことだ。
問題は西部海岸の状況だった。
無闇に長距離回線を使うと、攻撃隊になにか不利益が発生するかも知れない。帰路の途中まで封鎖し続けるのが、当初の作戦なのだ。
考えている間に機体は尖塔群を抜け、再び国立大庭園に出た。
「――えっ?」
思わず声が出た。目に映ったものが信じられない。
見間違い? 見間違いに決まっている。
わたしは天蓋を開いた。
失速寸前まで速度を落し、庭園上をゆっくりと通過する。
手を振る人は誰もいなかった。当たり前だ。
みんな、みんな、みんな。一人の例外もなく、みんな。
全員が倒れ伏している。誰も動いていない。
庭園にいた群集はことごとく死んでいた。




