焦燥
呪槍は強襲巣へ吸い込まれた。
機体を引き起こす。
強襲巣の上端をかすめ、メルカバは水平に戻った。
操縦桿を握る手が震えている。
引き起こしが重かったせいだけではない。
「な……なに、なんなの、この……っ!?」
呼吸が苦しい。
全身に冷や汗をかいていた。
これはまさか。
呪い返し!?
術が破れた? 攻撃が失敗したのだろうか?
胸に手をあて、深呼吸を繰り返す。
違う。これは呪い返しではない。
つぎ込んだ呪力が膨大な割りに症状が軽すぎる。
だけど、ではこの気分の悪さはなんだ?
生臭く、肌身に迫るおびただしい死の実感。
化け物の腸に頭を突っ込んだかのように、臭気がまとわりついている気がした。
なにかとんでもない間違いをした。
胃の中になにか冷たい塊がある気がした。
やはり、なにかがおかしい。
だが、戦場でのんびりいぶかっている暇などない。
わたしは後方を確認した。
思考とは無関係の訓練で叩き込まれた所作だ。
「――っ!!」
数体のマガツが背後についていた。
姿形がはっきりわかる程の近距離。腹部から前方へ伸びる長い吻がこちらを向いていた。
相手は上を抑えている。
ここで機首を上げるのは自殺行為だ。
メルカバは建物の屋根ぎりぎりを飛んでおり、降下もできない。
この辺は尖塔が特に林立している。急加速も不可だ。
わたしはとっさに機体を旋回させ、同時に軽く横滑りさせた。
一斉射撃がきた。
尖甲弾はわずかに逸れ、建物に着弾した。
機体が横に流れているから、正確に狙えば狙うほど命中しないのだ。
わたしは旋回と横滑り操作を繰り返し、射撃をそらし続けた。
大きく機動すると相手にばれてしまう。
向こうが気付かない程度にわずかに流すのがコツだ。
神経を使う操縦だが、もう少し我慢すればいい。
機体はまだ呪槍を一本抱えているが、メルカバの推力には余裕がある。
マガツ達は徐々に引き離されつつあった。
――よし、尖塔群を抜けた!
国立大庭園に出た。
庭園や遊技場のある幅100mほどの広場が数kmに渡って続く、ロサイルの観光名所だ。
スロットルを押し込もうとした手が止まる。
「人っ!? 人が、こんなに……っ!?」
眼下の庭園はびっしりと群集で埋め尽くされていた。
数万人……いや、もっとか。
地上には他にマガツの地上種がいた。
庭園につながる道路上に何体もの地上種が立ち塞がっているのだ。
住民達は襲われているのではない。
監視されているのだ。
「こいつら、人間を家畜みたいにっ!!」
卵を孵化させる為の栄養源。
彼らは強襲巣に運ばれる順番を待っているのだ。
生かされているのは、鮮度を保つ為だろう。
わたしの飛翔機に気付き、人々は手を振り始めた。
轟くような歓声……いや必死の絶叫が機上にまで届いてくる。
飛翔軍だ。味方だ。助けて、助けて、助けてくれ、と。
だけど、わたしには手の出しようがない。
庭園の左右には背の高い建物が立ち並んでいる。
マガツの地上種は建物の間にある道路に陣取っており、旋回機銃でもないと狙えない。
おまけに背後から小型マガツに追われているのだ。
くそっ、呪槍はどうなったの!?
焦燥が身を焦がす。攻撃は失敗したのか?
術自体が発動しなかったのなら、呪い返しも起こらない。
わたしは歯を食いしばった。
失敗か。失敗したなら、もう一回だっ!
実戦試験をしていないのが祟ったのだ。
感染モードは博士が言う程、確実なものではなかったのだろう。
まったく冗談じゃない、あの高慢ちきめ!
帰還したら頬を張り飛ばしてやるっ!!
大丈夫だ、呪槍はまだある。まだチャンスは残っている。
あの人々を救う為にも再攻撃するしかない!
わたしがメルカバを急旋回させようとした時――それは庭園まで達した。
突然、周囲が薄暗くなった。
雲がかかったのではない。空が異様な色に染まっている。
これは……呪圏か!?
わたしは呪圏に飲まれてしまったのか。
強襲巣からは何kmも離れているはずなのに。
マガツが多く、呪圏が予想外に拡大した……?
落ち着け。
基本的に呪い返し以外で自らの呪に害されることはないはずだ。
落ち着いて対処すれば大丈夫だ。
視界は奇妙に広く、クリアだった。
目を動かす必要がない。
意識を向けるだけでくっきりと見える。
過程を飛ばして映像がぽんと出現する感じだ。
見えない場所まで、見えていた。
音は聞こえない。自分の声さえも。
シートに伝わる振動は発動機からのものだろう。
メルカバ自体は正常に動いているらしい。
どくどく。どくどくどく。
心臓の鼓動だけがする。
頬が熱い。わたしは――呼吸が乱れている? どうして?
もう胸が破裂しそうだ。
まるで全力疾走しているみたいだ。
おかしい。
妙に落ち着かない。
心当たりはまるでないのに、興奮が治まらない。
いや、むしろこれは。
気持ちが……いい?
歓喜。
願いが成就された時に特有の、弾けるような喜びだ。
津波のような絶頂感が背筋を叩く。
呪槍による攻撃が成功すると、似たような感触をかすかに覚える時がある。
だけどこれは桁が違う。違いすぎる。
小石と岩山位に規模がまったく異なっている。
強すぎて最初は認識できなかった。
これは快楽なのだ。
桁外れの刺激は最悪の苦痛にしかならない。
快楽であっても同じことだ。
次の瞬間、わたしは絶叫していた。
「あ、ああああ……っ! ああああああーっ!!」
悲鳴が喉からほとばしった。
なにも聞こえない。
聞こえないせいなのか、苦しさがまぎれない。
やめて。やめて、やめろってば!
目の前は真っ白。脳髄が焼かれているような激痛に連打される。
おぞましい快楽が激流じみた勢いでわたしを削り取っていく。
なに、これ、誰が、どうして――!?
ぷつぷつと意識が断線している。
自分がどこにいて、なにをしているのか、見失いかけていた。
――君が望んだんじゃないか、ボルド大尉。でも、そろそろ――終わりだね。




