予想外の戦術
雨が降り始めた。雲が低く視程が悪い。
前後左右に友軍機が飛んでいるが、機影はぼやけていた。
もっと高度を取って雲の上まで出ればいいのだが、そうもいかない。
マガツからの探知を避ける為、低空で飛ぶよう厳命されている。
まあ、いつも通りフレイヤの誘導があれば問題はない。
『――空中集合、完了しました。司令部より進撃命令。旋回して方位2-4-0へ』
「こちらボルド大尉、了解した。旋回し、方位2-4-0で進行する」
わたしは通話を短距離回線に切り替えた。
フレイヤの誘導は全機が聞いているはずだが、指示を繰り返した。
「こちら第三中隊指揮官、ボルド大尉。作戦開始よ。各機、わたしに続け。方位2-4-0」
全機からの応答を確認し、わたしは機首をめぐらせた。
昨日夜に発起されたマガツの大攻勢は、バルト王国に対する痛烈な一撃となった。
大きな損害が出たが、より深刻なのは全土を覆った著しい混乱だった。
いわく、夜間爆撃で飛翔軍は壊滅した。
西海岸の全域にマガツが上陸、北方巨人族と交戦している。
いや、すでに巨人達は敗走した。
地上種の群れが海岸沿いの都市を陥落させた。
降下したマガツが待ち伏せをしている為、街道は閉鎖されている。
王都は包囲され、王は逃亡した――などなど。
混乱を助長するような噂も流布されていた。
誰も戦況を把握できず、各戦域の部隊は孤立してしまった。
夜から昼過ぎまで、半日以上に渡って全軍が麻痺状態になっていたのだ。
司令部と各部隊の連絡が徐々に回復し、空中偵察も行われたことで少しずつ全容が明らかになってきた。
西海岸だけでなく、内陸部でも地上戦が発生しているのは確かだ。
敵の総数は不明。戦闘の焦点がどこにあるのか判然としない。
戦場の霧は濃いのが相場だが、今回は一層見通しが悪かった。
一方、わたし達の任務は明確だった。
――西海岸のマガツ橋頭堡を撃滅せよ。
マガツの増援や補給はアイリッシュ島から運ばれ、西海岸で揚陸されているはずだ。
地上の主戦場がどこであるにせよ、揚陸の拠点を叩くのは理にかなっていた。
信用できる情報は少ないが、貴重な時間まで無為に消費してはならない。
司令部は賢明な判断を下したと言えるだろう。
ただ、地上の戦況がわからないのはやはり不安材料だった。
橋頭堡の上空は確実にマガツの飛翔種が遊弋している。
奴らを突破して海上輸送を担う水中種の大型輸送タイプや補給の集積所を攻撃しなくてはならない。
単体同士の戦闘力は飛翔機――中でもメルカバが上だ。
もちろん、数はマガツが優勢だろう。
わたしは上手くやれるだろうか。
心の揺れはPLS経由でフレイヤまで伝わってしまったらしい。
『落ち着いてください、大尉。戦況を安定させないことには、混乱は収まりません。手持ちの戦力は全部かき集めて、ぶつけるしかないのです』
「わかっているわ、フレイヤ。しばらく暇なものだから、ついね。まだ結構あるでしょ?」
『はい、現在の対地速度ですと西海岸到達まで140分ほどです』
攻撃隊は低空から忍び寄ろうとしているが、目的地までは遠い。
途中でマガツに見つかったら、攻撃は失敗してしまう。
『攻撃隊の大半はベルゲンから離陸するしかなかったのです。他の基地は使用不能が多くて』
「そうらしいわね。タンブールが使えたら近くてよかったんだけど……」
『すみません、ボルド大尉』
「君があやまることじゃないわ。むしろ昨夜の迎撃が間に合ったのはフレイヤのお陰よ」
『いいえ。もっと早く警報を出せていれば、結果は違ったかも知れません』
フレイヤは無念そうだ。
彼女は空襲の少し前に数千の小型マガツの群れを探知。ただちに飛翔軍に警報を出していた。深夜であったが、タンブール基地も警報に応じて操縦者をたたき起こした。
そして飛べる機体はすべて発進させ、迎撃を行ったのだ。
「ぎりぎりだけど、大半の機体は上がれたんでしょ?」
『はい――ですが、敵の戦術が予想外でした』
襲来した小型マガツはすべてが炸裂卵を抱えていた。動きがにぶい為、墜とすこと自体は容易だったはずだ。しかし連中は都市や迎撃機を無視した。
飛翔軍の基地だけを狙い、高空からの特攻――急降下自爆攻撃を仕掛けてきたのだ。
重爆撃タイプなどの大型のマガツがいなかった為、呪槍は役に立たない。呪圏や爆風で一網打尽にすることはできなかったのだ。
撃ち漏らしたマガツ達は次々と地表へ激突し、炸裂卵が爆発。
滑走路は破壊され、タンブール基地は使用不能となった。
飛翔機はいつまでもは飛べない。
燃料切れになる前にどこかに降りなくてはならない。着陸後は整備も必要である。出撃した基地が駄目なら他のところへ行かざるを得ない。
結果、迎撃隊はタンブールから離脱するしかなかった。
状況は飛翔実験団のあるクルグスも同じだったようだ。他にも幾つもの基地が空襲を受けており、復旧には時間を要するだろう。
一時的ではあるにせよ、西海岸から内陸にかけての広大な空域から飛翔軍は排除されてしまったのだ。地上軍は上空援護なしで上陸したマガツと戦う羽目になっている。
またしても奴らは我々の痛いところを突いてきた。それも恐ろしく的確に。
深夜の迎撃戦闘を生き延びた機体は、フレイヤによってベルゲンへ導かれた。ベルゲンも空襲を受けたが、空港の滑走路はかろうじて使用できたからである。
タンブール基地の第102飛翔戦闘団からバモンド少佐とチプス、アルを含む三十あまりの残存機。
クルグスの飛翔実験団からも第二小隊のムンスター中尉ほか二機。
彼らはベルゲンで他の部隊と合流し、反撃に出た――というのが、ここまでの経緯だった。
わたしも機体を受領し、大急ぎで個体調整を済ませ、中隊指揮官として第102飛翔戦闘団に加わった。配属は当初の予定通り第二大隊、第三中隊である。
だが、我が中隊の員数はたったの5人だった。
ムンスターと彼の部下であるアルス少尉とガルウィン少尉。
他にはチプス、アル、わたしだ。
定員割れもいいところで、実質二個小隊にも満たない戦力でしかない。こんな形で中隊長としての初陣を迎えるとは思ってもいなかった。
戦闘自体はなんとかなる。
中隊のメンバーは旧知の間柄であり、お互いに技量も把握している。指揮官はバモンド少佐だから、大隊の統率は万全だった。
問題は人の心の方だ。
ベルゲンの空港で再会して以来、チプスはほとんど押し黙り、暗い表情のままだった。もちろん、彼の気持ちはわかる。わたしも同じ不安と焦燥にとらわれていたからだ。
リニアは無事なのだろうか。
つい昨日、クルグスの中央駅で顔を合わせたばかりなのだ。
婚約者を戦場へ送り出す悲しみを明るい笑顔の下に隠し、わたし達を見送ってくれたリニア。昨夜、チプスはまさに断腸の思いで撤退したのだろう。本当は彼女のもとへ駆けつけたくてたまらなかったはずだ。
小型マガツの標的は街ではなく、飛翔実験団の施設だった。だから市街に大きな損害は出ていない――はずだ。上陸したマガツがいかに早く進撃しても、さすがにクルグスまでは到達していない――だろう。
妥当ではあるが、いずれも推測にすぎなかった。
まだ飛翔実験団との連絡は回復しておらず、状況がはっきりしていない。まして個人の安否などわかるはずもない。ベルゲンもそうだが、撃破されたマガツが墜ちれば市街にも被害が出る。巻き込まれる可能性は無視できない。
本当なら一刻も早くクルグスへおもむき、リニアの無事を確かめたい。
だけど、わたしには果たすべき任務があった。
共に飛ぶ友軍機のほとんどは知らない任務。
フレイヤさえ内容を把握していない、特別な任務だ。
舞台となるのは海岸ではない。
大陸西部の商業都市、ロサイルだった。
かつてマガツの大集団に狙われ、壊滅の危機に瀕した都市。
チプスの両親も未だ在住している都市。
ロサイルはいまマガツの占領下にあるのだ。この情報を知る者はわずかしかいない。
もう一度、ロサイルを救え。
住民の為ではない。全人類の為にロサイルのマガツを撃滅しろ――
ベルファスト博士からわたしに託された使命は、それだった。




