転換点
驚きのあまり、思わず詰問口調になってしまった。
マユハは平然と答える。
「色々な人から。ロゼからもだよ?」
おかしい、そんな記憶はないぞ。
と思ったのだが、わたしは間違っていた。
よくよく聞いてわかったのだが、マユハは生来の特技――異様なほど聞き上手――を駆使していた。
マユハは毎日、実験団までわたしを迎えに来ていた。
その待ち時間の間に驚くほど多様な人々と話をしていたのだ。
地上作業員、アルやチプスをはじめとした操縦者、医務官、事務員、出入りの業者達。もちろん、得られるのは極めて断片的な噂話にすぎない。
マユハは全てをつなぎ合わせ、意味のある情報に再構成。
さらに身近にいるわたしの言動や出来事への反応をうかがうことで、正誤を精査したのだ。
結果、博士やフレイヤ、メルカバについても、マユハは非公開情報のかなりの部分を把握してしまった。
実を言うと、ベルゲンで行われる精密検査は呪力に関する負荷試験も伴う。これは心身にかなりの負担がかかり、後遺症の危険さえあるそうだ。だから軍からの打診に応じて、志願した者にしか実施されない。
わたしが実験団で事前検査を受けた上で精密検査に志願したことも、マユハは知っていた。
驚くべきことだった。
「もしかして、もう誰かに話してしまった? わたしの任務に関わることを」
幸い、マユハは首を振った。
リニアにも特に詳しい話はしていないようだった。
「いい、マユハ。その情報はとても危険なのよ。聞いてしまった相手にも責が及ぶから、絶対に誰にも言わないで」
こちらの真剣さが伝わったのか、マユハも神妙な顔になった。
「言わなければいい?」
実際のところ、マユハはなんの罪も犯していない。
問題があるのは実験団の機密保持の方だろう。
「ええ、大丈夫よ」わたしは請け負った。
「わかった」
素直に応じるマユハ。わたしはほっとした。
タンブールに着任して落ち着いたら、この件は上層部へ報告しておくべきだ。
がくん、と身体が揺すられ、わたしは窓の外へ目を向けた。
「あっ! しまった……」
窓の外を最初の停車駅が流れていく。
話に気を取られ、マユハを降ろすのをすっかり忘れていた。次に停まるのは30分ほど後のはずだ。どうしようか――とわたしが悩んでいると、いきなりマユハが抱きついてきた。
勢いに押され、わたしは後頭部を壁にぶつけてしまった。
「痛っ! ちょ、マユハ!? 飛びつかないでって前にも――」
「なかなおり」
「あ……っ、待って! ダメよ、マユハ……っ!」
「なかよくしたい。ロゼは嫌?」
興奮に上気した頬。濡れた光を放つ瞳。
だがマユハの身体は硬くこわばっていた。
おびえている?
彼女はまたしてもなにかの恐れに追い立てられているらしい。
まだ、わたしが彼女を見捨てると思っているのかな。
そう思うと少しさみしかった。
やっぱり、お互いに納得できるまで話し合いの機会を持つべきだったか。
わたしはマユハをかき抱き、なだめるように口付けした。
ゆっくり優しくキスを繰り返すと、次第にマユハの身体から力が抜けていく。
「落ち着いた?」
「うん」
「わたし達はなかよし、でしょ?」
「うん……」
「わたしが……信じられない?」
ふるふると首を振るマユハ。
なにか迷っているような、困ったような顔だ。
「一緒にいたい、ロゼと」
「もちろん、わたしもよ。忘れちゃった? わたし達は結婚しているのよ! ただ、今は――」
「だめ」思いがけない強さでマユハは、
「一緒にいないと、だめっ!」と叫んだ。
結局、わたしが折れた。
ベルゲンでわたしが泊まる宿は、マユハが勝手に2人部屋に変更していた。
軍病院での精密検査にもついてくるという。
ほめられた話ではないが、待合ロビーにいる分には問題にはならないだろう。
とはいえ、さすがにタンブールの基地には連れていけない。
わたしの検査が終わったら、マユハはクルグスに戻る約束をした。
決めてしまった以上、もううだうだ考えても仕方ない。
頭を切り替えて、マユハとベルゲンまでの小旅行を楽しもう。
考えてみれば2人でこんなに遠出するのは初めてだ。
景色はよかったし、食堂車の料理はまあまあだった。
停車駅では押し寄せる物売り達からみやげ物や菓子を買うことができた。
客車の壁は薄かったが、人目を忍び、声をひそめることで得られる恩恵だってある。
してはいけない場所での行為の、ぞくぞくする感じ。
たぶんわたしの場合、最初の経験がいけなかったのだろう。
□
「だから、マユハ・ノボリリはクルグスにいなかったんですね」
アルの言葉にわたしは軽くうなずく。
「ええ――あの時、一緒にいられて幸せだったわ。わたしの人生は彼女とともにあったのよ」
2人でゆっくり過ごせたのは、ベルゲンまでの旅程が最後となった。
アル達の方は午後にはタンブールに到着し、大隊に着任の申告を済ませていたそうだ。
「お互い幸運でした。もし、一日後になっていたら……」
続きを聞かなくても彼が言わんとすることは理解できた。
戦争の大転換点となった、バルト王国に対するマガツの大攻勢。
戦端が開かれたのは、あの日の夜――わたし達が寝台で眠っている時だった。