戦争の向こう
下手に教えるとリニアに迷惑がかかるので、適当にぼかして答えた。
本当のところ、王都へ行く目的は、軍病院で精密検査を受けることだった。わたしの呪力や詳細な生体情報を計測するらしい。
それは「とっておき」の操縦者を選抜する上で、重要な指標となる――とハインズ班長から示唆されていた。
わたしは兵士だ。誰かの為に人並みにできる仕事は戦うことだけだ。だから、わたしは選抜されたかった。
マガツを滅ぼし、戦争を終わらせる。
途方もない話だ。正直、具体的な方法が思いつかない。マガツは世界の大半を制しているのだ。防戦一方の我々が、反転攻勢に出られるのだろうか。
膨大な敵を倒しつつ、幾つもの大陸を奪還するのに一体何年かかるだろう。考えれば考えるほど現実味が薄れ、自信も揺らぐ。
しかし、ベルファスト博士はできると思っている。確信している。狂気に取り憑かれたあの精霊種は、勝利へ至る隘路を見出し邁進している――はずだ。
本当にその道は正しいのだろうか。
本当にできるのだろうか。
いや、できる。
やるのだ。他の誰でもない。
わたしの手で人類に勝利をもたらす。わたし達が生き残る為に。
「ロゼちゃん?」
「うん――大丈夫よ。わたしのことは心配ないわ。後のこと、お願いね、リニア」
気遣わしげなリニアに微笑んで見せる。
この状況下において、個人の幸せは戦争の向こうにしかないのだ。
ならば、勝つ。勝ってこの手につかむしかない。
わたしとマユハ。
チプスとリニア。
数多の見知らぬ人と人。
この世界で寄り添い、愛し合って生きている、名もなき人々の未来を。
□
汽車が動き出した時、わたしはまだ自分の客室を探していた。
リニアと長々と話してしまったせいで、乗車が出発ぎりぎりになってしまったのだ。通路はせまく、背嚢は重く、汽車は揺れた。
「二等寝台車、十二号室……ここね」
ようやく目当ての客室を探し当てた。引き戸を開けると、細長い室内には寝台が二つ並んでいた。
片方の寝台には先客が寝ているようだ。頭から毛布をかぶって身体を丸めている。
うわ、狭いなー。三等寝台にしなくてよかった。
ベルゲン着は翌朝のはずだ。
わたしは早くも空が恋しくなってしまった。地上はなにかと面倒が多い。
先客――というか、毛布のかたまりがもぞもぞ動いた。
もしかしたら、いま起きたところなのか。
「失礼、同室の者です。しばらくご一緒させて頂きます」
「……」
返事はない。寝起きで不機嫌なのかも知れない。わたしはしゃがみ込み、寝台の下にある荷物置き場に背嚢を押し入れた。ふと、先客が床に置いている靴が目に入った。
リボン飾りがついたストラップ止めの編み上げ靴。
わたしには全然似合わないだろうなぁ、こんなかわいい靴は。
この前、マユハに買ってあげたものとよく似ている。
似ている――というか、同じ靴だ。むしろ、そのものじゃないのか、これ。
わたしはゆっくり立ち上がった。向かいの寝台に目を据える。
まさかとは思うが、だけど間違いない気もする。
揺れる室内はがたがたと騒々しい。あえてそっと「マユハ?」と呼びかける。
毛布のかたまりはびくっと震えた。
「マユハーっ!!」
「あうっ!」
勢いよく毛布を引き剥がすと、やはりそこにはマユハがいた。
胎児のように小さく丸まっている。
そのまま狭い寝台の端に身を寄せ、
「気のせい」とつぶやく。
なにがだよ。これで誤魔化せたら奇跡でしょ。
さすがに無理を悟ったのか、マユハはもぞりと身体を起こした。
「ロゼのえっち」
「言いたいことはそれだけ?」
「えっとぉ……おはよう」にっこり笑う。
かわいい。やっぱりかわいい。
あまりのかわいさにぐっと来てしまう。
マユハはいつでもかわいいな。
だが、さすがにこの状況をうやむやにするほどの破壊力はなかった。
「おはよう、じゃないでしょっ! ここでなにしてるのっ!!」
「ごろごろしてるー」またにっこり。
「そうじゃなくて!」
「かくれんぼしてる」
「わたしが鬼って言いたいわけ?」
マユハは考え込むふりをしてから、ぽんと手を打った。
「お話してる。ロゼと!」嬉しそうにはしゃぐ。
「違う! いや違わないけど、そうじゃないでしょ!」
叫んでしまってから、わたしはため息をついた。
マユハのペースに合わせちゃだめだ。
落ち着いて話さないときりがない。
「これは王都行きの特急よ。なんで君が乗っているの?」
「人は自由だから。そう、いつでも」
マユハは芝居がかった仕草をするが、視線の先には扉しかない。
逃げたいのだろう、ここから。わかる。よくわかる。
わかるが、不許可である。
わたしはマユハの頬をつまんで思い切り引っ張った。
すごい伸びるのだ、この娘。
「いーいから、ちゃんと説明しなさーいっ!」
「いひゃい、いひゃい~っ」
指を離してやるとマユハは涙目で頬をさすった。
仕草がいちいち愛らしく、わたしは微笑みそうになってしまう。
いけない、ここで甘やかしては歯止めがきかなくなる。
「ほら、ちゃんと説明して」わたしがうながすと、
「だって――ちゃんと話してないから」とマユハは返す。
ふざけているのかと思ったが、そうではなかった。
マユハは濡れた瞳で床に視線を落としている。
「ケンカしたまま。なかよししてない」悄然とするマユハ。
そんな表情をしないで欲しい。
わたしは落ち着かない気分になった。
「ええと、その……券を取ってくれたのは、リニアなのね?」
マユハはこっくりうなずく。
ベルゲン行きの特急券はなかなか入手できない。リニアも手配には苦労したはずだ。怒らないであげてって、こういう意味だったのか。わたしは努めて声の調子を和らげた。
「マユハ、次の停車駅で降りてね。お金を渡すから、クルグスに戻る汽車に乗るのよ」
返事はなく、マユハは視線を逸らしたままだ。
わたしを見てくれない。
「ちゃんと話せないまま出発してしまったのは悪かったけど、これは仕方のないことなの。命令なんだから、わたしが嫌だと言っても――」
「嘘。ロゼは、言わなかった」
ようやくマユハと視線が合った。
何故か、彼女の目には確信が宿っている。
「行きたいんでしょ? ベルゲンに」
「――どうしてそう思うの?」
「ロゼは選ばれたいから。特別なお仕事に」
虚を突かれ、わたしは言葉を途切らせてしまった。
わたし達の間で任務に関する話はほとんどしていない。マユハはなにも知らないはずなのに。
「ちょっと待って。マユハ、その話誰から聞いたの?」