否定しがたい事実
トノト村のボーデン・ノボリリ。
男はマユハの叔父だった。
村役場が焼失していた為、確認に時間がかかったが、ボーデン本人であることは間違いないようだ。
わたしはチプスと一緒に繁華街の酒場でボーデンと相対していた。
場所はボーデンの指定だった。
まだ宵の口だったが、彼は既に酒を飲み、半ば出来上がっていた。
ボーデンの話によれば、出稼ぎに行った先で空襲に巻き込まれ、怪我をしたそうだ。トノト村に帰れずにいるうちに、村がマガツに襲われ、壊滅。
やっとの思いで戻ってみれば、実家はまるごと他人の手に渡っていた。そこからマユハの足取りを追って、クルグスまでたどり着いた。駅前公園で遭遇したのは、単なる偶然らしい。
「しかし、農場の権利はトルノ氏……あなたのお兄さんが持っていた。トルノ氏が亡くなった後、一人娘のマユハさんが相続することに問題はないはずです」
チプスは淡々とした口調で示談をはじめた。彼は交渉役を買って出てくれたのだ。ノボリリ家の財産を処分する手続きはチプスが代行してくれたので、一番状況に詳しいということもある。
その時はこんなやっかいな話になるとは誰一人、思いもしなかったのだが。
「ふん。親父は兄貴にだまされたのさ! あいつはご機嫌取りが上手かったからな。毎日毎日、馬鹿みてぇに野良仕事してよ。ま、死んじまったらおしまいだが」
憎々しげに顔を歪め、ボーデンは吐き捨てた。
「だけどな、果樹園は俺がお袋からもらったんだっ! ここにちゃんと載っているだろっ!?」
ボーデンは机に置かれた土地の権利書を平手で叩いた。
確かに果樹園の半分はボーデンへ譲られていた。マガツの襲撃でボーデンも死亡したとされた為、唯一の親族であるマユハがそちらも相続したのである。
だが、それは誤りだったのだ。
「俺の土地をマユハの奴が勝手に自分のものにして売り払ったんだぞ。泥棒じゃねぇか、そうだろ? あのクソアマめっ!」
さすがに聞き捨てならない。
口を開きかけたわたしをチプスが軽く制した。弄うようにボーデンは鼻を鳴らした。
「ふん、文句でもあるのか? そもそもてめぇはなんだよ。戦争の英雄様が、なんだってマユハの代理人なんぞしやがる?」
「わたしはマユハの配偶者よ!」
ぽかんとした顔になった後――ボーデンは笑い出した。
のげぞり、目に涙まで浮かべて哄笑している。
「だはははははっ! はーっ、はっはっはっはっ! こ、こりゃあ、いいぜ! 配偶者ときたかっ!!」
ようやく笑いをおさめると、
「そうかい、あんた……マユハとやったのかよ。よかっただろ、ええっ?」
「な――」
「なんだ、その様子じゃ知らねぇのか? マユハはな――あのド淫売は誰彼構わず、ベッドに連れ込むのさ。十二の頃からずっとな」
獲物をいたぶる猫のように、ボーデンは得々と語った。
「村じゃ誰でも知っていた話さ。金を積めばどこででも、誰とでもやるってな。あの外見だからな。客が順番待ちまでしてたよ」
なにを言っている。
なにを言われているのか、理解できなかった。
マユハが――そんなことを?
「くっくっくっ! しかし、女にまで手を広げていたとは思わなかったぜ。あんた、気をつけろよ。留守中にマユハが誰とやっているか、わかったもんじゃねぇぞ。妙な病気をもらっちまうかも知れねぇからよ、だははははっ!」
耐え切れず、わたしは席を立って怒鳴った。
「黙れっ!! マユハを侮辱するつもりなら――」
「おいおいおい、俺は親切で教えてやっているんだぜ。侮辱ってぇなら、本人に聞いてみろよ」
反論の言葉は出てこなかった。急に力が抜け、席に座りこむ。
突然、突きつけられた硬く冷たい真実の手触りが、わたしをひるませていた。
――それは事実。マユハ・ノボリリはそれをした。
何故か、否定しがたい実感がわく。
涙が出そうになる。わたしは歯を喰いしばって屈辱をかみ殺した。こいつの前で泣くことなんてできない。
咳払いして、チプスが割り込んだ。
「――話を戻しましょう。マユハさんはあなたが出先で死亡したと思っていたんです。あなたは村を出てから一度も実家に連絡を入れていない。住処も転々と変えている。これでは確認のしようがないでしょう」
「うるせぇな、俺の勝手だろ。連絡が取れないと死んだことにしていいのかよ?」
「それは確かにこちらの間違いです」
「間違いですむか、ボケっ!! 詐欺だろ。犯罪だろ。俺の出方によっちゃあ、てめぇは共犯なんだぜ?」
マユハは家族のことについて「みんな死んだ」としか言わなかった。
あの居間にあった遺体――全部ばらばらになっていたが――の数が合っていた為、マユハの証言をもとにノボリリ家は彼女以外は全滅として処理されてしまったのだ。
ボーデンはジョッキを引っ掴むとエールを飲み干し、にやりと笑った。
「まあああっ、いいぜ。俺は寛容なんだ。その上、融通が利く。あんた達を告発したりはしねぇよ。俺の取り分はきっちりもらう。その上でちゃんと誠意を見せてもらえればな」
「つまり、金額の上乗せですか。ちなみにご希望額は?」
「そりゃあ、まずそっちから出してもらわねぇとな! そうだな……明日、また同じ時間に相談しようぜ」
ボーデンは立ち上がった。
酒と己の優位に酔って、すっかり上機嫌になっている。
こんなに醜悪な笑顔を見るのははじめてだった。
「こちらも努力はしますが、ご希望を言ってもらえないと検討のしようがないですよ」食い下がるチプス。
わざとらしく両手を広げ、ボーデンはわたし達を嘲笑した。
「ご希望はたっぷりだ。とにかく、たっぷりの金だ。そっちの英雄さんにぶちのめされた治療費と慰謝料も合わせて、しっかり払ってもらうぜ!!」
自分の顔が青ざめているのがわかる。
金云々ではない。わたしはマユハのほんの一面しか知らなかったのだ。すっかり打ちのめされた気分だった。
「なかよくやろうぜ。なにせ俺達は親戚だ。これからよろしくな、ロゼさんよ」
馴れ馴れしくわたしの肩を叩く。
「おっ、そうそう。別口で小銭を都合してくれよ。マユハのせいで、すっからからんなんでね!」
わたしは財布の中身を丸ごとテーブルの上に投げ出した。早くこの男にここから離れて欲しかった。
「いやあ、ありがたいね。俺も運が向いて来たぜ。ここに着いて早々に、頼りになる親戚と会えるなんてよ!!」
札だけを選んでポケットに押し込むと、ボーデンは高笑いしながら酒場を出ていった。
わたしは――わたしはマユハと話さなくてならなかった。早急に。




