しかるべき報い
1244年6月 クルグス市 旧市街
わたし達はいつものように買い出しに来ていた。
行き先は壁内の旧市街にある市場だ。
週末でもあり、駅前の公園は人でごった返している。
ベンチの前を通りかかった時、座っていた親子連れが席を立った。
「汽車の時間まで少しあるし、一休みする?」
「するぅー」
だろうなぁ。
両手一杯に抱えた買い物袋を下に置き、マユハは空いたベンチにへたり込んだ。
食料品の他に夏服も買い足したから、荷物が多い。
散々歩き回ったし、マユハにはちょっときつかっただろう。
「何か飲む?」
「うん! ぎぶみー、檸檬水。ひえひえの奴」
「どのくらい冷えているかはわからないけど、買ってくるわ」
わたしは飲み物の屋台へ向かい、順番待ちの列に並んだ。
クルグスでは段々物資が手に入りにくくなっている。値段も高い。
街で気楽に買い物ができるのは、今のうちだけかも知れない。
購入した檸檬水を手に振り返ると、見知らぬ男がマユハに近寄ろうとしていた。
男はみすぼらしい身なりをしており、足を軽く引きずっている。
昼日中に物盗りでもあるまい。難民か、物乞いだろうか?
気付いたのか、マユハも立ち上がる。
ところが、男はいきなり彼女の頬を張り飛ばした。
「――マユハっ!!」
わたしは檸檬水を投げ捨て、走り出した。
あろうことか、男はマユハにつかみかかってる。
マユハは無抵抗だ。
だらりと両手を下げ、まるで相手を迎え入れるかのように掌を向けていた。
わめいている男を静かに見返すばかりだ。
「なにを――しているっ!!」
わたしは走ってきた勢いをそのまま乗せて、男を殴り飛ばした。
男は悲鳴を上げて転がったが、知ったことではない。
「大丈夫、マユハっ!?」
「……ロゼ」
夢から覚めたような、まばたき。
マユハは長々と息をはき、肩を落とした。
表情には出ていなかったが、緊張して全身に力をこめていたらしい。
痛々しく赤らんだマユハの頬にそっと触れる。
大丈夫だ。
この程度なら冷やせば痕も残らずに治るだろう。
だが、それでよしとできる話ではなかった。
「て、てめぇっ、なにをしやがるっ!! いきなり……」
よろめきながら、男が立ち上がった。
ふざけるな。誰が立てと言った?
躊躇なく、男のみぞおちに前蹴りを叩き込む。
息を詰まらせ、硬直した男に追い打ちの回し蹴りを放つ。
吹き飛ばされた男は、背中から街路樹に激突した。
わたしは仕返しが得意なのだ。
崩れ落ちた男の胸ぐらをつかみ、ひきずり上げる。
不遜な態度は消え失せており、男はみっともなくうろたえた。
周囲の人々が何事かとわたし達を遠巻きにしている。
「や、やめろ、やめてくれっ! 誰か、助けてくれぇっ!!」
「はぁ!? いきなり襲ってきたのはあんたでしょうがっ!」
言い捨て、男を煉瓦敷きの地面に投げ飛ばす。
地べたに転がった男を押さえつけ、手を振って警吏兵を呼び寄せる。
駆けつけて来た2人の警吏兵は、獣人種だった。
古来から汎人種とは相性のいい種族で、王国人口の約2割を占めている。
わたしは彼らに男を引き渡した。
「ち、ちきしょう……なんだ、なんなんだよ……」
男は息も絶え絶えで、もはや半泣きだ。ざまあみろ。
警吏兵の一人がわたしにささやく。
「失礼ですが、もしやロゼ・ボルド中尉では?」
「ええ、いまは勤務時間外だけど。どこかで会ったかしら?」
「いいえ、残念ながら。ですが、新聞や雑誌やらで中尉のお顔を拝見しない日はありませんよ! ウチの子供はブロマイドを持っているくらいです。そのあなたの匂いに直に触れられるとは光栄だ。仲間に自慢ができますよ!」
警吏兵は嬉しそうに鼻をひくつかせた。
獣人種は身体能力に優れるが、火器の音や臭いを嫌う為、軍にはほとんどいない。
代わりに強い順法精神と忠誠心を生かして、役人などになる者が多かった。
「ああ、失礼。つい脱線しました。それでこいつは何を?」
「わたしの配偶者に暴行を働いたのよ。小銭でもせびろうとしたんじゃないかしら」
ところがマユハに断られ、腹を立てた――大方、そんなところだろう。
「小悪党がしかるべき報いを受けたというわけですな。後はこちらで処理しますので、お任せください」
わたしはうなずいた。
法的な裁きを下すなら証言なり必要だろうが、そこまではいらないだろう。警吏から適当に説教でもしてもらって、懲りさせれば充分だ。どうせ二度と会うことはない。
男はもう一人の警吏兵に捕縛され、引き立てられようとしていた。助けを求めるように周囲に視線をさまよわせる。
「いや、違う! 俺は……俺じゃねぇよ! ちくしょう、なんで……」
なにをいうのか。こいつが手を上げるところをわたしはしっかりみたのだ。
マユハがやって来て、わたしに並び立った。
彼女の横顔を見た瞬間、背筋がぞくりとした。
出会ったばかりの頃によく見せていた、無感動な瞳。
青ざめた肌は無機質な人形のようだ。
マユハに気づいた瞬間、捕えられた男は怒りを爆発させた。口から唾を飛ばしながら、怒鳴りちらす。
「くそっ、悪いのは俺じゃない! その女が俺のモノを盗みやがったんだぞっ! そうだろうが、マユハぁっ!!」




