墜ちない
玄関に向かう廊下をずんずん歩きながら、わたしは黙りこくっていた。
ここが実験団でよかった。
タンブールの基地であんな騒ぎを起こしていたら、叱責ものだ。マユハも出入り禁止を食らっていただろう。まあ、他のみんなも基地じゃあんな真似はしないだろうが。
「ごめーん……」
さすがにマユハもしおらしい。並びもせず、一歩後ろからついてくる。多少口が滑るのは許すけど、夜の生活までばらされてはたまらない。
少しはしょげればいいのだ!
「ごめーん……」
ううう、もうかわいそうになってきた。
仕方がない。わたしの怒りは数分しかもたないのだ。ため息をついて、手を差し伸べる。
「もういいわ。でも、これからは気をつけてね。わたし達のプライバシーなんだし、場所もわきまえないとね」
「うん!」
ぱっと表情を明るくし、マユハは手をつなぐ。
「ロゼ、好きー」
笑顔が満開だ。本当にこの表情にはかなわない。
マユハは明るくなった。張り詰めたような硬さが失せ、穏やかな顔をしていることが多い。喜怒哀楽もわかりやすく表情に出るようになった。
わたしと結婚したお陰だ。
わたしと一緒で幸せだからだ。
わたしのことが好きなのだ。
わたしがマユハをそう思っているのと同じように。
比較的安全な任務をこなし、愛する者と日々を過ごせる幸運にも恵まれている。これで不満など抱えては前線の兵士達に申し訳が立たない。
わたしは満たされているはずだ。
でなければおかしいはずだ。
なのに、わたしの気分は沈んだ。
生来の美しさも手伝い、近頃のマユハはまばゆいような魅力を放つようになった。本当に綺麗で、かわいらしい。
この笑顔を彼に向けていたのか。
思った瞬間、言葉が勝手に滑り出た。
「……マユハは、アルと仲いいよね」
「ん? そう?」
そう見えるよ。だから気になるんだよ。
お互いに興味があって、探り合っているみたいに見えるよ。つき合う直前の恋人みたいに。
「ロゼ?」
そんなこと、聞けるはずがない。
マユハはわたしの配偶者だ。結婚したばかりで、浮気を疑うようなことなんて言いたくない。アルに取られそうで怖いなんて、認めたくない。
「おーい?」
人を愛することに慣れていないからか。
ろくに準備もせず、慌ただしく入籍してしまったからか。
わたしはどこか引け目を感じている。
マユハにはもっとふさわしい相手がいるのでは――という劣等感をぬぐえない。
結婚したからって、別に安泰ではない。いつでも解消できるのだから。マユハがいつまで“わたしの専属”でいてくれるかは、わからないのだ。
「ロゼってば。おおーい?」
だけどアルにもすごく失礼だよね、これ。
彼はわたしの部下で、真面目な性格だ。おまけにわたしには不相応な憧れを抱いてくれている。マユハに横恋慕なんかするわけがないではないか。
「ボルドさーん? 聞こえてるー?」
なんでだろう。気持ちが乱れて落ち着かない。
どうしてこんなに――
「自信がないの?」
「――えっ?」
「不安なの? ロゼ」
思わずわたしは足を止め、マユハと向き合った。
視線は合わなかった。彼女は目を伏せている。
「わたしも不安。わたしも……怖いよ」
マユハの指先はかすかに震えている。
たちまち後悔にみまわれてしまった。馬鹿だ。どうして気づかなかったのだろう。
「今日も帰って来たよね。ロゼは強いから。だから、ロゼは墜ちない。絶対に墜ちない。いつも帰って来る。そうだよね?」
胸の奥をぎゅっと鷲づかみにされた気がした。
毎日、目の前にいたのに。
「信じてるよ、わたし。もちろん、ロゼを信じてる、けど……やっぱり、自信がない。本当は怖いよ……!」
わたしは愛する少女をしっかりと抱き締めていた。場所柄なんて、もうどうでもいい。服に沁み込む涙の暖かさは、わたしに向けるマユハの思慕の証明だった。
本当に馬鹿だ、と何度もわたしは思い知る。
マユハはわたしと一緒で幸せなんだ。
マユハはわたしのことが好きなのだ。
マユハはわたしを失いたくないのだ。
それなのに、わたしはわたしのことばかり考えていた。わたしが死んで年金なんてもらっても、マユハは少しも嬉しくない。むしろわたしと引き換えに金を受け取るように思えて、苦痛になるかも知れない。
もちろん、万が一の時への備えはいる。
だけど、わたしはもっと大事なことをやるべきだった。石にかじりついてでも、なすべきことがある。
生き残るんだ。
どんな目にあっても諦めない。2人で絶対に生き残る。どちらが欠けてもダメだ。一緒に生きるんだ、最後まで。
わたし達はつがいなのだから。
「大丈夫よ、約束するわ。絶対に帰ってくる。君を一人にはしないわ。ずっと一緒にいるから」
「うん……」
復讐が終わった後の人生など、わたしは考えたことがなかった。もうそういうわけにはいかない。未来に目を向ける必要がある。わたし達がずっと一緒にいる為に。




