婚姻関係
「はっ? あの娘って、マユハとですか!?」
あまりに意表をつかれ、わたしは妙な声を上げてしまった。
いきなりなにを言い出すのだ、このおっさんは。
「他にいねぇだろ。なんだよ、別の娘にも手ぇ出してんのか?」
「してませんっ!!」なんで相手が女性の前提なんだ。
「だろうな。ま、今は実験団勤めだからいいが、前線へ配属されたら滅多に会えなくなるぞ」
「いや、あの……でも、わたし達は同性だし」
「別にいいじゃねぇか。クルグスの役所だとダメだが、隣のオウルズなら同性の結婚届も受理されるぞ」
そんなことは知っている。というか、調べてある。
だけど、わたし達はまだ――いや、マユハの気持ちとか――違う、そうじゃない。
「家庭を作るなんて、わたしには無理です!」
思わず叫んでしまった。
班長は不思議そうな顔をした。
「なんでだよ?」
「なんでもです! わたしは……」言いかけて、言葉につまる。
「あのな、俺は汎人のことはよくわからん。お前さんの過去になにがあったのかも聞かねぇし、興味もないけどよ」
班長は帽子をぬぐと、頭をぼりぼりとかいた。
「お前さん、もうあの娘とやってんだろ?」
「な、なにをですかっ!?」
「阿呆、一緒の暮しをだよ。嫌な思いでもしてんのか? どうも合わないとか、生活習慣とか、価値観が違うとか」
「いえ……」
もちろん細々した不満や行き違いもあるが、幸せだ。
家に戻るとマユハがいる。一緒にご飯を食べて、笑ったり、つまらないことでケンカしたり。夜は愛し合って、彼女の香りに包まれて眠る。本当に幸せだった。
だから、怖い。
この幸せを失うことが恐ろしい。
わたしは弱くなってしまったのだ。とても弱く。
「ちょっとでもその気があるなら、相談くらいしてみろって。もしお前さんが死んでも、あの娘は生きていかなきゃならねぇ。その為にもきちんとしとくのは大事だろ」
言っていることはわかる。
戦争に勝てるにしても、それまでわたしが生きている保証はない。
むしろ、その前に戦死してしまう可能性はかなり高い。
婚姻関係になっていればマユハは王国から年金を受け取れる。
戦後も彼女の人生が続くなら、多少の助けにはなる。それはわかる。
わたしは家族というものにいい印象がない。村を脱出した日のことを別にしても、切れない呪縛に息苦しさを覚えてしまうのだ。
だけど、考えてみれば配偶者は親子とは違う。
二人の関係は維持する意思がなければ、解消もできるのだ。
怖じ気づく必要はないのかも知れない。
マユハから別れを切り出してくる可能性だって――
そこまで考え、わたしは胸中で苦笑した。
失うのは怖い。縛られるのも嫌だ、なんて。
なんだか矛盾した話だ。
戦時下でモラトリアムを楽しむ贅沢は許されない。
迷っているうちにその時はきてしまうかも知れないのだ。
ちゃんと向き合って見定めよう。
わたしがマユハとどうなりたいのか。
マユハがわたしとどうなりたいのか。
2人の気持ちと覚悟を。
「まあ、考えとけよ。マガツ共は俺達の痛いところを突いてきているんだ。こちらも手を打っちゃいるが」
班長はメルカバに視線を向け、表情を険しくした。
「この先、かなり厳しくなるのは間違いねぇぞ」
□
「入籍はハインズ班長のすすめで行ったわけですね」
アルは手帳にメモを取りながら、わたしの話に耳を傾けていた。
「きっかけはね。わたし達もお互いに望んでいたことだったのよ。結局、すぐに婚姻届を出して……パーティにはアルも出てくれたよね」
「ええ。実はあの時、ミード少尉は先を越されたと悔しがっていましたよ」
「そう――なんだ」
婚約しているという事実が、チプス達を安心させていたのかも知れない。彼らはちゃんと準備して、まともな式を挙げるつもりだったのだ。
わたし達のやりようはいかにも性急だったけど、そうしなければ間に合わなかっただろう。
「ここまでの話は班長の証言とも一致します」
「班長にも会ってきてたの?」わたしが驚いて聞き返すと、
「はい、大変お元気そうでした。あなたのことを、とても心配していましたよ」
アルはおだやかな微笑みを崩さない。
ずいぶん入念に下調べをしてきているようだ。
「うーん。わたしのあいまいな記憶より、アルの調査の方が事実に近いんじゃない? こんなに喋る必要ある?」
「かも知れません。ですが、やはり細部はあなたの口から聞かせて欲しいのです」
やっぱり、真面目だなぁ。
わたしはあくびをかみ殺し、伸びをした。
もう日付が変わる時間だった。
「わかったけど、今夜はここまでにしない? 続きは明日ってことで」
「ええ……いえ、すみません。お疲れですよね」
「ごめんねー。年寄りは夜が早いのよ」
茶化してみたが、思った以上に負担になっていたらしい。
椅子から立ち上がろうとした時、わたしはバランスを崩した。
「ロゼっ!」
アルが抱き留めてくれた。杖は床に転がってしまっている。
酔いはとっくに醒めていたのに、みっともない。
「あ、ははは……ありがと。本当に年寄りだね、これじゃ」
「本当にすみません、自分が無神経でした。無理をさせてしまいましたね……」
アルはわたしをしっかり支えていた。
少年のようにほっそりして、でも力強さを秘めた胸。
わたしは安心して彼に身体を預けた。
こんなにそばで誰かの息づかいを感じるのは久しぶりだ。
とても、久しぶりだった。
どれだけそうしていただろう。
アルはぽつりとつぶやいた。
「自分はあなたに――憧れていました」
その言葉は磁力のように作用して、わたし達をさらに引き寄せた。
「……戦争の英雄だったから?」
「いいえ。嘘がなかったからです。あなたは純粋で、心と行動にぶれがなかった。苦しむとわかっていても、偽らなかった。己の想いに忠実でした。それが自分にはまぶしかった……」
たぶんそれは、アル・ハヤ・ファレスの本心から出た言葉だったのだろう。まっすぐな憧れを彼がロゼ・ボルドに向けていたことをわたしは覚えている。
わたしはその夜、初めてアルに抱かれた。




