使い捨ての槍
「知らねぇよ、いざとなったら捨てて逃げる腹づもりなんだろ。イモタ湾も、セイヨ高地も、バッカク平野もな!」
班長は憤懣やるかたない様子で吐き捨てた。
イモタ湾は天然の良港で、交易船が行き来する王国の表玄関だった。
セイヨ高地は麓に太い地脈の噴出点があり、エーテルの一大供給源だった。
バッカク平野は肥沃な土壌を抱え、国内小麦の10%を生産していた。
いずれも古くから開かれた要地であり、大勢の人々が住んでいた。
戦略上の必要性があったとはいえ、割譲は王国内で議論百出し、まさに断腸の思いで実行された。
ところが巨人族は割譲された土地から、他の人種を追い出してしまったのだ。
これは集団魔術の効率を最大にする為の措置だったらしい。
しかし、追い出された方はおさまるものではない。
割譲から十年が経過したいまでもおりに触れて蒸し返され、論争の種となっている。
故郷を失うのは、それほどまでにつらい。
なのに、巨人達はその土地を捨てて逃げるつもりとは。
「連中にも事情はあるんだがな。マガツの重爆撃タイプが巨人族の首都に攻撃を仕掛けているんだとさ」
「まさか! どの大陸からでも航続距離が足りないですよ。巨人族の首都ってバゴダですよね。ロアンの北端じゃないですか」
重爆撃タイプは自力での捕食活動ができない。栄養嚢に充填されたエネルギーを消費し切れば、たちまち餓死してしまう。
ぼりぼりと首筋をかき、班長は答えた。
「片道なら足りるさ。低空で独行し、街に突っ込んで自爆する。はなから帰還するつもりがねぇんだよ」
「それは攪乱攻撃ですよ! 撃ちもらしても大きな損害は出ないはずです」
なにしろ出撃した重爆撃タイプは確実に喪失する。
意表を突く一刺しはできても、バゴダを焦土にするほどの数は投入できないだろう。
「正論だな。だけど、巨人族の子供はバゴダの地下空洞でしか産まれないんだぜ。そこがやばいとなれば、汎人種の王国になんぞ、構っちゃいられないだろ?」
自爆攻撃を防ぐ為、巨人族からは援軍を派遣しろと繰り返し要請が出ていたらしい。
巨人族の弓は対空砲並の威力があり、魔力誘導で命中率も高いが、最大射高は精々3000m程度である。彼らは複雑な機械も操作できない。サイズを別にしても飛翔機には乗れない。
もちろん、バルト王国の飛翔軍はすでに手一杯の状況だ。
大陸北端へ部隊を展開する余裕など、どこにもない。
業を煮やし、巨人族は軍団を首都へ呼び戻している――ということか。
なるほど、ありそうな話だ。
「巨人族は最悪、首都近辺だけを守り抜くつもりなのさ。連中の本拠地だから、広域術の効きも半端じゃない。上手くすりゃ、マガツに包囲されても数年は持ちこたえられるだろ」
「ま、巨人共のことなんぞ、あれこれ気にしても仕方ねぇけどな。俺には俺の仕事があるからよ」
班長は半ば投げやりに言葉を切った。
馬鹿な、持久してどうなるのだ。粘ったところで助けはどこからもこない。いずれは追い込まれ、最後には負けてしまうのに。
でもそれは――わたし達も同じなのか。
いや、違う。違うはずだ。
負けないように、勝てるように、博士が手はずを整えているはずだ。メルカバもその一環のはずだ。
動揺が顔に出てしまったのか、班長は渋面になってわたしに釘を刺した。
「いいか、ただの噂だぞ。他の奴に話したり、下手に嗅ぎ回ったりするなよ。国家保安局に引っ張られたくなければな」
わたしは「ええ」と答えた。
全体の状況は知っておきたいが、どの道やれることはない。わたしは一兵士にすぎないのだ。
「ベルファスト博士は今週もクルグスにいないんですよね?」
博士と話したところで馬鹿にされるか一喝されるだけだろう。
それでも「勝てる」と言って欲しかった。
「ん? ああ、旦那はベルゲンだ。王立工廠につめているんだろ。当面は帰ってこないぜ」
ベルゲンはバルトの王都である。クルグスよりもさらに内陸にあり、各軍の基地や重要な工場施設が林立している、王国のまさに心臓部だ。
ここにも試作工場はあるが、ベルゲンにある設備は規模が違う。博士は色々と準備を進めているのだ。そう、「とっておき」のなにかを。
だけど、本当にそれは間に合うのだろうか。
「不安か?」
わたしは取り繕う気にはなれなかった。
「……ええ。栄えある我が王国の勝利を確信している! なんて、とても言えませんね」
聞き飽きたプロパガンダ文句をわたしが揶揄すると、班長は苦笑いした。
「そりゃそうだわな。正直、俺は逆にほっとしたぜ」
戸惑うわたしの肩を班長はぽんと叩く。
「不安になるのは生きていたいから、未来が欲しいからだろ」
「それは……誰でもそうじゃないですか」
「いいや、学校にいた頃のお前さんはそうじゃなかった。恨みと憎しみで凝り固まってよ、他のことなんざ一欠片も顧みねぇ。マガツをぶっ殺して、さっさと自分も消えちまいたい……そんな感じだったぜ。使い捨ての槍みたいな女だ、って思ってたよ」
そうだ、その通りだ。わたしはそんな女だ。
そんな風に生きて、そんな風に死ぬ。そのはずだった。
「だから、ここで会った時には別人に見えたぜ。特に近頃はめっきり人間っぽくなった。俺達は兵士だが、生きているんだ。戦争の為だけにいるんじゃねぇんだから、それでいいのさ」
班長は軽く息をつくとわたしをとっくりと眺めた。
なんだろうか?
「――あのな、実は俺も来月には王都へ異動になるんだよ。整備三班の連中と一緒にな」
「え、そうなんですか?」
整備三班はハインズ班長の直属の部下達だ。班まるごとの転属はあまり聞いたことがない。なにか重要な、それも急ぎの仕事でもあるのだろうか。
「だからこの際、余計なお節介を言わせてもらうとだな……お前さん、あの娘と結婚したらどうだ?」




