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死の群れ

 1229年11月 ガメリア大陸 辺境の漁村






 村は海沿いにあり、漁業で栄えていた。

 

 当時、わたしは4歳だった。

 その日は曇天から粉雪が舞い、冷えた空気が喉に痛かった。

 

 だけど、母に強く握られた左手の方がもっと痛む。



――痛いよ、お母さん。



 抗議しても母は振り返りもしない。

 握る指を少しも緩めず、ますます勢いをつけて引っ張っていく。

 遠雷のような轟きが聞こえ、わたしは振り返った。

 

 遠い森の梢を越えて真っ黒な雲がむくむくと伸びている。いくつもいくつも。

 

 なんだろう? なにが起きているんだろう?

 父は郷土防衛団の持ち回りの仕事で、村の外に見回りに行ったはずだった。



――ねえ、お父さんは?



 母の蒼白な頬が痙攣したように見えた。

 だけど、答えてはくれなかった。どうやら桟橋に向かっているらしい。

 進むうちに道は人でいっぱいになっていた。

 母は舌打ちすると、道の横にある用水路の堤防に駆け上がり、下の通路に飛び降りた。

 わたしが慌てて後を追うと、母は通路から

 

「なにしてるの! 早く来なさいっ!!」と怒鳴りつけた。


 普段、危ないから堤防の下には降りるなと言っていたのに。

 母の剣幕に押され、わたしは堤防を転がり落ちてしまう。

 用水路には落水せずに済んだが、したたかに腰を打ってしまった。


「さっさと立ってっ!」


 勢いよく引きずり上げられ、また手をつかまれた。

 怖い。嫌だ。

 思わず振り払おうとすると頬を叩かれた。


「来なさいっ!!」


 一喝すると、母はわたしの手をつかんだまま走った。

 わたしは半べそをかき、転ばないように足を動かすだけで必死だった。

 しばらく進むと、母はわたしを堤防の上へ押し上げた。


 村にはいくつもの桟橋があったが、どれも人でびっしり埋まっていた。


 わたしの横を滑り降りると、母は「おぶさって、早く!」とまた怒鳴る。

 背にしがみつくと同時に母は一番近い桟橋へ駆け出す。

 

 人がいっぱいでとても進めない――と思ったのだが、母の強引さはわたしの想像を超えていた。


「どいて、どきなさいっ! 子供がいるのよ、どけてっ!! どきなさいっ!」


 文字通り人の背中を蹴飛ばし、髪をつかみ、無理矢理人垣を割って進む。

 周囲はみんな見覚えのある人達だ。

 同じ村の住民なのだから当然なのだが、こんな真似をしたら嫌われてしまう。

 わたしは怖くて、母の背中に伏せて顔を隠した。


 桟橋を進むと停泊している小船が見えた。目一杯人が乗り込んでおり、立錐の余地もない。

 船はちょうど離岸するところで、桟橋上の人達が大声で怒鳴っている。


「――っ!! 降りなさい!!」


 わたしが背中から降りると、母はこれまで以上の強引さで桟橋を駆けた。

 手首をがっちりつかまれ、わたしの身体は完全に宙に浮いていた。

 

 人にぶつかり、めちゃくちゃに振り回された後――わたしは空を飛んでいた。


 数瞬の後、わたしは船上にいる人達の頭上に落下した。

 衝撃で息が詰まった後、左腕に痛みが跳ね、わたしは悲鳴を上げた。

 肩はだらりと下がり、力が入らない。手首をひどく挫いていた。

 おまけに口の中を切ったようだ。

 

 後から考えると、母はわたしを無理矢理投げ飛ばしたのだ。

 

 幸いにも船上の人々はわたしを放り出しはしなかった。

 降りようにも場所がなく、わたしは他の人達の肩に乗るような形になった。

 船は全速力で桟橋から遠ざかっていく。

 

 母の姿はない。

 いや、いた。

 

 幾人か桟橋から水に落ちた人達がいて、母もその中にいた。

 目が合うと母は――微笑んだ気がした。

 

 なんで? お母さん、なんで……?

 

 わたしは混乱の極にあり、なにが起きているのかまったくわからなかった。

 

「マガツだっ!!」


 誰かが叫んだ。

 遠ざかる村――街路を、なじみ深い家々を、畑を越えてくる異形の姿。

 見る間に増えて、視界いっぱいに、地面が真っ黒になるほど、津波のように押し寄せてくる。

 猛烈な勢いで、すべてを引き裂き、踏み潰しながら。

 

 だめだ。


 あれはだめだ。

 

 死。死、死、死の群れだ。

 

 わたしは突然理解した。



――お父さんは、殺されたんだ。



「なにやってんだ、急げっ! 追いつかれるぞっ!!」


 船員にくってかかる人。

 恐怖の嗚咽をもらす人。

 抱き合って、震える人。

 

 みんな、桟橋から視線を外せない。

 マガツに蹂躙されていく故郷と喰い散らかされる隣人から。

 もう、誰が誰なのか見分けもつかない。


「逃げて、お母さんっ!! 逃げてぇっ!!」


 精一杯の叫びは果たして母に届いたのだろうか。

 桟橋は遠ざかっていく。もう人影は判別できない。

 マガツは次々と水に飛び込み、白波を蹴立てて追いすがって来た。

 周囲には何艘も避難する船がいたが、マガツは圧倒的に速い。

 

「早く、早くしろ、はや……うわあああああっ!!」

 

 目前に迫ったマガツに、船尾にいた人々が悲鳴を上げた。

 この船と同じくらいの大きさのマガツが何体も群がってきている。

 

 後方でマガツにのしかかられた他の船が転覆した。

 

 もう数秒しかない。

 数秒後にはマガツに追いつかれ、同じ運命をたどる。

 

 わたしは目を見開き、迫り来る死を凝視していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] お母さあああああん!!!! 最後の微笑みのシーンは、涙なしには読めませんでしたよ……。 これはマガツ絶対殺すウーマンになりますわ。
[一言] 展開ハードになりましたね。 心して拝読します。
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