博士の私兵
咳き込んだように、ベルファスト博士は笑い出した。
何がそんなに可笑しいのだろうか。
ひとしきり笑った後、彼はあからさまな嘲りを顔に浮かべた。
「そうかね、傑作だ! いや、これは私が不見識だったかな。あの娘を救う為なら、貴様はなんでもしてくれるわけだ。なるほどな! 改めて聞こう」
ベルファスト博士の双眸は冷え切っていた。
「貴様は私の命令を最優先として動く気があるのか?」
「――どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だ。私の計画はこれまで馬鹿どもに台無しにされてきた。予算だの、しがらみだの、面子だの、倫理だのとな。まったく、くだらん! だが、もう猶予はない。些事に拘泥すれば間に合わなくなる、わかるな?」
わたしは首肯するしかなかった。
「私は人類の勝利とマガツの滅亡を約束しよう。代わりに貴様は、私がやれと命じたことを躊躇なくやるのだ。他の考慮は一切なしにな!」
ベルファスト博士は実験団を取り仕切ってはいるが、軍人ではない。
わたしが彼に従うのは、そうせよという命令が軍から出ているからだ。
もし博士と軍の命令に食い違いが出た場合、わたしは軍命を選ぶのが当然。
それを百も承知で博士は言っている。
つまり、これは博士の私兵になれという意味だ。
許されないことだ。
応じれば今までの自分を否定することなる。
馬鹿にしないで頂きたい、わたしは兵士だ。兵士が従うのは上官のみです。そう言って断るべきだった。
だけど、口からは違う言葉が滑り出た。
「やれば、戦争に勝てるんですね?」
「そうだ」
「――わかりました」
「なにがわかったのかね? はっきり言いたまえ。私の命令を最優先にできるか?」
「できます。博士のご命令を最優先にします」
「なんであろうともやるんだな?」
「はい。なんであろうとも、やります! 戦いに勝ち、マガツを滅ぼす為ならば」
「よろしい。覚えておこう」
博士は鼻を鳴らし、皮肉な笑いをおさめた。
とんでもない奴にとんでもない言質を与えてしまった。
この後、一体なにをやれと言われることやら。
きっと後悔する、と思った。
いや、むしろすでに後悔しつつある。だけど仕方がない。
もし人類の――いや、マユハの命運をかけた仕事があるならば、任を担うのはわたしでありたい。他人になど、とても預けられない。
それはまごうことなく、わたしの本音だった。
であれば、なんであろうともやってのけるしかない。
「しかし、気がしれんな。解き明かすべき世界の真理に比べれば他人なんぞ、なにほどのこともない。とはいえ、人類が絶滅してしまっては研究も続けられんからな」
ベルファスト博士は蠅を追うように手を払った。
「よし、もう行け! 私は本業の理論構築で忙しいのだ。これ以上、貴様ごときと無駄話をしている暇はない!」
もはや取りつく島もなく、わたしはラボを追い出されてしまった。
□
「そんな約束を? 博士の命令を最優先にすると」
「うん。まあ、流れというか……他に選択肢なんてなかったのよ。あの時のわたしには」
「いや、待ってください。まずいですよ……」
アルは苦り切った表情だ。
わたしがあまりに明確に博士とのやり取りを認めてしまったからだろう。
だけど、認めないわけにもいかなかった。
「軍命を忠実に実行し、国家に身命を捧げる。将校になる時にそう誓ったはずです。ベルファスト博士は上官どころか軍人ですらなかった。いまの話だけでも、重営倉行きは免れません」
「そうね。でも、この期に及んで誤魔化しても仕方がないじゃない。だって、当時からあなた――アルは気付いていたでしょう?」
かすかに揺らぐ瞳。
「――ボルド准将、自分は総監の指示でここへ来ました。ですから聞いたことは報告する義務があります。場合によってはあなたが話した内容は公式な証拠として扱われます。理解していますか?」
「もちろん」
「改めてうかがいますが、あなたは軍命より博士の指示を最優先にする約束をした。間違いありませんね?」
「ええ、間違いないわ」
「そして実際にそうした。あの時――ロサイル攻撃で」
「ほら、やっぱり気付いていたんじゃない。ええ、その通りよ」
アルは、「わかりました。では、お話の続きを聞かせてください」と答えた。、目を伏せ、感情を殺すことに必死になっているようだ。
人のよさは彼の美点であり、欠点でもあった。