沼蛇
精霊種は恐ろしく長命だ。
成人後の加齢はあまり外見に反映されない……はずだが、男は例外らしい。
医務官を弾いたのは護身用の魔術だろう。
恐らくはマガツなどと同じ、魔術障壁だ。
男はベッドの真横に来ると、じろりとわたしを睥睨した。
「まったくひどい有様だな。これこそ無様という奴だな。
分をわきまえんからそうなるのだ。まさに愚か者の所業だ。
だが、それが故に英雄というわけだ――処置なしだな!!」
「……いや、あの。どちら様でしょうか?」
たずねてみたが、返答はなかった。
精霊種の男が身に纏っているのは時代がかったデザインの外套であり、軍服ではない。
しかし他人に命令し慣れている口調でもあった。
「貴様は自分をかしこいと思っておるな?」びしっとわたしを指差す。
「いえ、別に」
「それは間違いだ! 貴様はかしこくなーいっ!!」両手を振り回す、オーバーアクション。
「いえ、ですから別に」
「貴様は精々こざかしいのだ! かしこいのは私だ! 否、私だけがかしこいのだ!」今度は立てた親指で自分を示す。
「ええ、それです」
む? とうなり、男は動作を停止。
身振りをおさめると眉間に皺を寄せた。
「なにが、それだ?」
「どちら様ですか?」
わたしはにっこりした。
ここ数日で熟練の域に達したお愛想笑いである。
美少女とベッドでいちゃいちゃしながらでも放つことが可能。
修得して損のないおすすめ能力だ。
「貴様、私を知らんのかっ!?」
驚愕する男。
逆になんで知っていると思ったのか、是非ご教授願いたい。
ところが、意外なことに医務官が答えた。
「まさか……ケトル・ベルファスト博士でしょうか?」
わたしに視線を据えたまま、男は医務官に指先を向けた。
「見ろ! こんなやぶ医者でも私を知っておるじゃあないか。貴様の愚鈍さは救いようがないなっ!!」
えらい言われようだ。わたしも医務官も。
しかしベルファスト博士だって?
もちろん、わたしだって名を聞いたこと位はある。
学者、発明家にして秘境の探検家。
南方大陸で現地調査を行い、マガツ研究の先駆けとなる論文を書き上げた。
近年は技術者として独創的な兵器開発にも手を染めている。
フレイヤシステムの根幹部分を設計し、呪力を帯びる合金や術紋を1人で考案した。
この功績は軍事上、とてつもなく大きい。
現在、精霊種はロアン大陸に数十万人程度しかいない。
大半は王国内の自治区にこもっており、滅多に見かけることはなかった。
ベルファスト博士のように汎人の社会に入り込み、長年活動している精霊種は珍しいのだ。
「お名前は存じてますが、さすがに顔までは……」医務官をちらりと見る。
「ああ、いえ自分もたまたまですよ。先日読んだ軍の広報誌に博士の写真があったのです。
確か、新しい装備についての記事で――」
「おう、それだ! それやこれやで来たのだ! 時間がない、わかるなっ?」
わかるものか。
さすがに愛想笑いもこの辺が限界である。
「いえ、まったく」
「な……っ? 何故そんなに頭が悪い!?」
髪をかきむしらんばかりの勢いで煩悶する博士。
うん、とにかくわたしは悪くない。議論の余地なく、これっぽっちも。
「謎だ。わからん。いっそ解剖したいところだが、貴様の卑小な脳味噌なぞにかかずらっている場合ではない」
こっちの台詞だってば。
そろそろこの変人を追い出すべきだろう。
なんといってもここは病室なのだ。
「ええ、そうでしょうとも。わたしだって――」
「そう、貴様だってだ!」
本当に意味がわからない。
おまけに鼻先にまで指を突きつけられては、さすがに気分がよくない。
わたしは手を払い除け、博士を睨んだ。
「わたしがなんです?」
「東の辺境に沼蛇という奴がおる。名の通り、蛇のように細長い淡水魚だ」
今度はなにがはじまったのだろう。
もう、いい加減にして欲しい。
「こいつを豆のムースと一緒に鍋に入れ、水を注いで火にかける。
水が湯になると沼蛇はムースの中へもぐりこむ。そこならまだ冷たいからな。
だがそれは自ら逃げ道をふさぐ行為だ。
やがてムースと一緒に蛇は煮えてしまう。愚か者の末路だ。似合いの末路だ」
うんうんと独りごちる博士。
かと思えば、いきなりかっと目を見開き、叫んだ。
「活路は鍋の外にしかないのだっ! 無謀であっても飛び出すしかない!
手近な安寧に逃げこみ、気づかぬふりをするのは自殺行為に他ならん!!
誰でもわかる、貴様でもわかる、ちゃんとわかっているはずだ!
で、あるのに……で、あーるのにっ!!」
博士は冷たい目でわたしを――わたし達を睨んでいた。
わたしとマユハを。
「貴様はなにをしとる?」
詳細は不明だが、博士はわたしにやらせたいことでもあるのか。
だが、こちらはなにも聞いてないし、従う義務もない。
「いい加減にしてください。わたしはどこからも命令を受けておりません!
兵士が負傷療養することに文句があるのなら――」
「命令? どこまで愚かなのだ! 私は時間がないと言ったはずだぞ!!」
「だから、それじゃわからないってば! 博士はわたしになんの用なんですか!」
「フン、私は貴様なんぞに興味はない。英雄だと? バカバカしい! 私は私の大事な仕事を抱えているのだ、山ほどな!」
「じゃあ、なにしに来たのよ、あんたはっ!? 頭沸いてんのか、糞エルフ!!」
わたしは思い切り怒鳴っていた。
もはや最低限の礼儀も消し飛んでしまった。
「私ではない。人類がだ。貴様に用があるのは人類だ」
「なに――人類ですって?」
「貴様か、貴様よりマシな誰かが必要なのだ。そうでなければ――」
博士の深いグリーンの瞳は強く底光りしている。
磁力でも発しているのか、わたしは視線をそらせなくなってしまう。
「でなければ、人類は遠からず敗北する。確実にな」
「な――」
「今年はまだ保つだろう。だが、来年は危うい。その次となるともう無理だ。マガツが上陸し、人類は滅亡する」
論文を読み上げるような、淡々とした声音。
感情を交えない――いや、交える必要がないのだ。ただの事実だから。
「誰も生き残れない。全員まとめて蟲の餌だ。まさか、知らなかったのかね?」
結局、わたしは退院を早め、翌日には汽車で出発した。
城塞都市クルグスにある王立飛翔実験団。それがわたしの新たな所属となった。
正式な辞令が下ったのは、到着から一週間も後のことだった。




