英雄の帰還
翌朝わたしが目覚めると彼女は姿を消していた。
一抹のさみしさを覚えたが、面会時間がはじまったとたん、
「おはよ、ロゼ」と、マユハはぬけぬけと病室に現れた。
気恥ずかしくてうろたえたわたしに対し、マユハは平然としていた。
やはり肝が太いのだろうか。
幸い、あれこれはなにも露見しなかった。
発覚していたら、間違いなく大問題になったはずだ。
昇進から降格までの最短記録を作っていたかも知れない。
その日もわたしは朝から立て続けに検査や回復療法を受け、合間に取材対応をこなした。
入院患者の割にちょっと忙しすぎる。
全ての予定をこなした時には、もう夕方近かった。
やっと病室に戻ったわたしを気の抜けた声が出迎えた。
「ロゼ、お帰り~」
椅子に座っていたマユハが振り返り、ひらひらと手を振る。
「えっ、マユハ!?」
思わず、戸口から駆け寄ってしまった。
今日はかまう時間がないから宿に戻るように言っていたはずなのに。
「もしかしてずっと病室で待っていたの?」
ふるふると首を振るマユハ。
どうやら院内をあちこちうろつきまわり、他の患者達とお喋りをしていたらしい。
といっても、マユハはほぼ聞き役だったようだ。
「入院中は暇を持て余す人が多いからね。退屈じゃなかった?」
「話聞くの、面白い。もっと知りたい」
ここの患者は基本的に兵士ばかりだが、役割や出身地は様々だ。
家庭環境も労働者から貴族まで、バリエーションに富んでいるはずだ。
言い方は悪いが、マユハの村は片田舎である。
色々な話を聞くだけでも十分に楽しめるのだろう。
「ロゼは? もう治った?」
「いや、さすがにそんな早くは……」
「そうでもなさそうですよ、ボルド中尉」
開きっぱなしの扉から若い医務官が顔をのぞかせていた。
わたしの担当医だ。眼鏡がよく似合う、なかなか魅力的な青年だった。
中に入って扉を閉めると、軽く会釈をする。
「失礼、検査結果をお話にうかがいました。そちらは?」
マユハはぱっと立ち上がると「はぐー」とわたしに抱きついて来た。
相当に体裁が悪いが、こうなったら容易に引き剥せないのは学習済みだ。
わたしは精一杯、表情を取り繕い、
「この娘のことは気にしないでください。わたしの親しい友――」
「じー」
恨みがましい視線を向けられ、口ごもる。
わたしは軽く咳払いした。
「その……わたしのパートナーです」
「大変失礼ですが、身元は確かですね?」
「ええ、トノト村のマユハ・ノボリリです。軍機以外は聞かれても問題ありません」
医務官は心得顔で首肯した。
身振りでわたしにベッドに腰掛けるよう促すと、彼は説明をはじめた。
「もともと経過は悪くなかったんですが、数値が急によくなりました。
昨日の夕方から今日の朝にかけて、何故か大きく改善されたようなのです。
なにか心当たりが?」
手にしたクリップボードをめくり、ちらりとこちらを見やる。
「あ」
ぽんと手を叩くマユハ。
嫌な予感がしたので、喋り出そうとする口を掌でふさぐ。
「ス、ストレスが解消されたのかも知れません!
個人的な事情ですが、昨夜悩みが一つなくなりましたので」
「ああ、なるほど。
呪障の治癒は本人の精神状態で経過が大きく変わりますからね。残留呪力がかなり減っています。
この調子でいけば来週には退院して、原隊復帰できるでしょう。英雄の帰還ですね!」
「えいゆう?」
きょとんとした顔のマユハに医務官は笑いかけた。
「おや、ご存じない? 先日の大空襲をただ一機で撃退した英雄なのですよ、中尉は!」
「ちょっと、盛りすぎですよ! 戦区内の大隊総出で迎撃したんですから!」わたしは慌てて訂正する。
「そうでしたか? でも、中尉の放った一撃で奴らは全滅したと新聞に載っていましたよ」
「違います! たくさん墜としたのは確かですが、敵は1000体もいたんです。
全滅にはほど遠かったし、とにかく、わたしだけの力ではありません!」
さすがに話が膨らみすぎている。
わたしはちゃんと説明したのに、どんな取材をしたんだ、あの記者達は!
「えいゆう……」
マユハはわたしをじっと見ていた。
「もう、やめてってば。わたしが誰なのか、君はよく知っているはずでしょ?」
「――ロゼだったんだ。あの爆発」
「え? あ、そうか。マユハの家からも見えたんだね」
こっくりとうなずき、「すごい爆発だった。とても驚いた……」
マユハの顔から表情が失せていた。
しまった。
爆発が起きた時、彼女の家は斥候タイプに襲われた前後だったはずだ。
惨劇を思い出させてしまったのか。
唐突にばん、と勢いよく扉が開かれた。
「なんと個室か、無駄だな! 治療上、個室を使う意味はない!
英雄だからか。ちやほやされているというわけだな、くだらん!」
室内の全員が茫然とする中、痩身の男がずかずかと踏みこんできた。
くしゃくしゃの長髪。薄汚れた外套。肌は死人のように青白い。
充血した両眼はどす黒いクマに囲まれているが、ぎらぎらと輝いている。
老いと疲労の奥から精力が噴き出ているような中年男だ。
「あーあー、そうか。貴様、貴様か、英雄は! そうか、貴様がそうか!!」
つかみかからんばかりの勢いで、中年男はベッドに近寄ってきた。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい! あなたは……うわっ!」
制止しようとした医務官は男に呆気なく突き飛ばされた。
痩せている割に膂力があるのか――いや、違う。触れる前に弾かれたのだ。
男の髪が乱れ、長い耳がのぞく。わたしはやっと気づいた。
「精霊種!?」




