人工精霊
1243年6月 バルト王国 ドーラ哨戒区
高度6500m。
わたしの飛翔機は雲にすっぽりと覆われていた。
習慣的に後方を確認するが、なにも見えない。発動機の低いうなりが聞こえてくるだけだ。
計器飛行の経験はあるのだが、やはりすこし不安になってしまう。
『――敵集団、接近中。現針路、速度、飛行姿勢を維持してください。会敵まで、およそ5分です』
落ち着いた女性の声が柔らかく耳朶を打つ。
「本当に? まだなにも見えないわ、フレイヤ」
『大丈夫です。雲を抜けたら見えますよ、ロゼ・ボルド少尉』
言葉がレシーバーを経由して身体に沁み渡る。
人工精霊ならではの、完璧に調律された語り口は耳に心地よかった。
「そうだといいんだけど。このままじゃ誰かが近寄って来ても、鼻をつままれるまで気づけないわね」
わたしは操縦桿を軽く揺すってみた。
手応えは重く、老いたロバに乗っているようだ。とても空戦はできない。
この機体は腹に大荷物を抱えているから、仕方がないのだが。
『ご心配いりませんわ。各機の間隔は充分とられていますし、周囲は私が警戒しています。それともご信頼頂けませんか?』
「まさか。あなたなしじゃ、隊の半分は迷子になって待ち合わせに遅れちゃうわよ」
フレイヤは遙か離れた場所から敵の動向を探知する。
そして針路、高度、速度を割り出し、各戦区に散らばる基地へ警報を出す。
さらに迎撃部隊を個別に管制、作戦空域まで誘導するのだ。
早期警戒・統合管制システム、フレイヤ。
わたし達はみんな、彼女にぞっこんだった。
「ねえ、君のファンクラブがあるって知ってる? うちの連中、ほとんど入っているわよ」
話をしつつ、計器類をチェック。
わたしの機体は単座の単発機――つまり一人乗りで一基の発動機を積んでいる。
この発動機が回転翼を動かし、推進力を得る仕組みだ。
機体は頑丈な分重いから、滑空は苦手だった。
もし発動機にトラブルがあれば、石のように落ちてしまう。
幸い、快調に動いているようだ。
『ええ、光栄ですわ。実を言えば、私はまさにいま、誘導している飛翔兵のみなさんから口説かれているところなんです』
軽やかな含み笑い。
上品でいたずらっぽい、素敵なお姉さんの姿を想像してしまう。
まるきり、人間と話してるような気がする。大したものだ。
「呆れた。作戦行動中なのに――」
『悪天候が続いて二週間ぶりの出撃ですから。みなさん、想いが募ってしまったようですね』
「いや、ちょっと待って。中隊長も?」
『バモンド大尉は特に情熱的ですわ』
「うわー、聞きたくなかったわ。フレイヤ、やめといた方がいわよ。あの人、奥さんいるんだから」
『あら、大丈夫ですよ。私は秘密を守れる女ですから』
大丈夫じゃないでしょ、色々と!
とか突っこみそうになったが、やめておく。
フレイヤの実体は、巨大で複雑な魔術装置である。
直接見たことはないが、総重量は20トン近いと聞く。
輸送中隊でも引き連れていないと、食事に連れ出すことさえ難しいだろう。
もっとも詳しい所在は最高機密だ。
アプス山脈の分厚い岩盤に守られた地下防空壕に設置されている――のではないかと噂されている。
『私よりもボルド少尉はいかがなのですか?』
「えっ、わたし?」
『はい。健気な求愛者の戦列をばたばたなぎ倒していると聞いていますよ。パートナーを作る気はないのですか?』
人を塹壕に据えられた機関銃みたいに言わないで欲しい。
基地にいる男どもは女と見れば挨拶代わりに口説きはじめるような輩ばかりだ。
これでは好みもへったくれもない。
彼らも兵隊暮らしで刹那的になるのはわかるが、ものには限度がある。
掃射したって、文句を言われる筋合いではない。
「わたしは空で戦いたいの。恋人がいると操縦が上手くなるなら、そうするけどね。
男を100人斬りするより、1つでも撃墜数を伸ばしたいわ」
まして、女には妊娠のリスクもある。
わたしは子供が苦手だ。正直どう扱っていいのか、わからない。
自分が母親になるなんて、およそ考えられなかった。
世界はもう充分に不幸で満ちている。
不幸せな家庭やかわいそうな子供をさらに増やす必要はないだろう。
それに、わたしはもうわたしの使い道を決めている。
子供は必要ない。私的なパートナーも同じことだ。
誰かを好きになったことなんて、一度もないのだから。
『少々短絡的では? スキンシップはストレス解消にも有効ですよ』
「――もしかして、君がこんな話をしている理由って、それ?」
『はい、ある程度は。少尉のストレスは上昇傾向にあります。なんらかの手当をした方が賢明でしょう』
なんとまぁ。
ただの軽口かと思っていたが、メンタルケアの一種だったとは。
『ただ、私は人間に興味があるのです。愛情の表現についても。少尉はご興味ない?』
「なくはないわ、優先事項じゃないってだけで」
わたしが配属されてから今日で10回目の出撃だ。
操縦者として仲間から一人前と見なされてもいい回数である。
実際、そこそこの戦果を上げていた。
だけど、男所帯の中でわたしはどこか浮いていた。
別に陰湿ないじめを受けている訳ではない。
でもわたしが食堂に入って行くと、中で騒いでいた連中は声をひそめてしまう。
わたしに話しかける時は口調が変わる。汚い言葉も控えているようだ。
『きっと、中隊のみなさんはあなたの騎士でいたいのですよ』
フレイヤの言う通りかも知れない。
だけど、少しも嬉しくない。
わたしは兵士として、もっと仲間に受け入れられることを欲していた。
この空は戦場だ。
いつかわたしが墜ちる番が来る。
お姫様扱いのまま墜とされてしまったら、きっと悔やむだろう。
確かにこれは根深いストレスになっていた。
解消するには、戦って認められるしかないのだ。
「大体、基地には男としては不誠実な奴しかいないわよ。誰かおすすめがいるなら聞くけど」
『そうですね……どなたも魅力的ですが、誠実さの観点から少尉のおめがねにかなうのは難しそうですね』
「でしょ? 安売りして病気でももらったら洒落にならないわ」
『では、私ではいかがでしょうか? 正真正銘の箱入り娘ですから、性病の心配はありません。木曜の晩なら空いていますよ』
すごいな、本当に人間と話しているみたいだ。
軍用のシステムにこんな会話機能が必要なのだろうか?
「ありがとう。素敵なお誘いだけど、遠慮しておくわ」
『まあ。私になにかいたらぬところが?』
「いいえ、君は素晴らしいわ。本当に最高の施設だもの」
実際、フレイヤは近年最大の発明品といえた。
我々が少ない戦力をフル活用できているのは、彼女のおかげだった。
設計したのはもちろん魔法技術に秀でた精霊種だ。
地棲種が稀少な原料鉱石を採掘し、太躯種が製造し、汎人種が運用する。
まさに人類連合を象徴する施設だった。
「わたしは心から愛しているわよ、フレイヤもみんなも。戦友愛だけどね」
『本心からのお言葉と受け取っておきますわ。もっとお話したいですが、残念ながら会敵地点に到達しました』
「続きはまた今度ね」
『はい、ボルド少尉。前方正面、500m下方に敵集団です』