宣伝工作
1243年7月 タンブール市 王立軍病院
「それじゃ失礼します、ボルド中尉。長々とお時間を頂きまして、ありがとうございました」
一礼して退出する最後の記者を、わたしはベッドの上から見送った。
愛想笑いを浮かべ、軽く会釈を返す。
もうそれで精一杯だった。
「つ、疲れた……」
シーツに突っ伏す。入院してから今日で一週間か。
これまで軍属から民間まで一体何人の記者がやって来ただろうか。
インタビューやら写真撮影やらで、ろくに休む暇もない。
ただでさえ、呪い返しを喰らってしまったせいで身体がだるいのに。
まあ、それも仕方がない。
マガツによる大空襲の撃退は、我々にとって久しぶりの大勝利だった。
これを宣伝工作に使わない手はない。
わたしはたちまち勝利の立役者として、国内外に喧伝されてしまった。
軍の広報誌、新聞、ラジオ、果てはニュース映画まで。
規定違反はどこに行ったのか、誰もがわたしを褒めちぎった。
まるで本人さえ知らぬ間に偉くなったかのようだ。
もちろん、実際はなにも変わらない。いや、中尉に昇進したか。
棒給は増えるし、退院後は自分の飛翔小隊を率いることになるのだろう。
階級的にはちょっとだけ偉くはなったわけだ。
ベッドに拘束されている身では、まだ実感はないが。
実利もあったし、覚悟していた叱責もなかった。お祭り騒ぎには象徴も必要だから、担がれるのもやむなしと思うしかない――のだが、やっぱり疲れる。
呪いは外部からの働きかけでは、なかなか治らない。
薬湯を飲み、安静にして栄養を取り、少しずつ滞留する呪力を抜く。
きちんと療養しないと、治るものも治らない。
ともあれ、本日の面会時間はそろそろ終わりだ。
食事までの間、少しはゆっくりできるだろう。
と、思った途端にノックの音がした。がっくりくる。
「どなた?」
「ミード少尉です。よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
ドアが開き、チプスがばつの悪そうな顔をのぞかせる。
「すみません、中尉。もう遅いから明日にしようと言ったんですが……」
「ロゼ、発見!」
チプスとドアの隙間をくぐり抜け、小柄な娘がベッドに走り寄ってきた。
わたしが助けた少女――マユハ・ノボリリだ。
「さーち、あーんど……ですとろーいっ!」
マユハはぴょんと跳ねて、勢いよく飛び込んで来た。
お蔭でわたしは押し倒され、ベッドの枠に頭をぶつけてしまった。
「あ痛っ! もうマユハってば、ふざけないでよ! わたしは病人――」
「だから癒やしてあげるの。はぐー」
言いながら、ぎゅうっと抱きついてくるマユハ。
か、かわいい。猫か。猫なのか、君は。怒りがしゅるしゅると溶けてしまう。
いやいや、ここはがつんと言わねば。
「だ、だから……危ないでしょ?」
「はぐー」
しっかり抱き締め、顔をこすりつけてくる。
わたしはまるで大きなぬいぐるみ扱いだった。
見た目ならマユハの方がずっとお人形さんっぽいのだが。
ついと顔を上げ、「さみしかったー」とマユハはつぶやく。わたしはがんと殴られたような衝撃を感じた。
ずるい。ずるい、ずるい! 脳内でわめき、地団太を踏む。
かわいすぎる! こんなの卑怯じゃないか!
わたしはこんなスキンシップには慣れてないんだから、もっと加減してよ!!
「さ、さみしかったって、たった半日ぶりじゃない」ううう、声が動揺している。
「関係ない。時間など」何故かイケメンっぽくマユハは決め、「半日でもさみしいよ。ロゼは?」
「ええと、まあ……わたしもかな。色々あって疲れたし」
「うん。だから会いに来た。はぐー」
ああ、もう無理だ。これじゃ怒れない。
仕方がないので、頭をなでてやる。
満足そうにごろごろと喉を鳴らすマユハ。やっぱり、猫なの?
「あのう、ボルド中尉。一応、報告なのですが……」
「うっ! は、はい。報告ね、ちょっと待って」
まずい、チプスの存在が頭から飛んでいた。
彼とは同期ではあるのだが、今はわたしが上官だ。それらしく振る舞う必要がある。
だが、ひきはがそうとしてもマユハは「やだー」としがみついて離れてくれない。
ええい、もう今更か。
格好はつかないが、まだ軍務には復帰してない。
わたしは療養中なのだ。任務中ではない。
だから、これでいいのだ! と思うことにする。
マユハに抱きつかれたまま、チプスに向き直った。
「どうぞ」
なんとかすましてみたが、チプスはもはや吹き出しそうになっていた。
咳払いをすることで、なんとか我慢してくれたようだ。
「失礼しました、中尉。本人の希望通り、マユハ・ノボリリの転入手続きをしました。
住居を失ったわけではないので、難民ではなく通常の転居扱いです。
あの村――トノト村にある資産はすべて売却する手配をしておきました」
チプスはあっさり話しているが、かなり大変だったはずだ。
襲撃とその後の掃討戦によって村の役場も破壊され、重要な記録類が焼失してしまったのだ。
本人たるマユハは希望を述べるだけで、実務能力はゼロ。
チプスはわざわざ休暇を取り、面倒な手続きに奔走してくれたのである。
「ありがとう、チプス。手間をかけたわね、本当に」