わたしの敵
彼女の手をつかみ、部屋から飛び出した。
急げ、急げ。
急いで、ここから逃げなくては!
幸いにも少女の足は速いようだ。遅れることなく、追従してくる。
よかった、これなら何とかなる!
階段を駆け下り、勝手口から外へ出た。
地面に家の影が落ちている――と、そこにいくつもの影が加わり、わたしはぎょっとした。
嘘でしょっ!? まさか、こんなに早く――
残念ながらわたしの推測は正しかった。
わたし達の周囲に十数匹のパラライズワームがばらばらと降って来た。
連中は表側の壁を這い上がり、屋根を越えてきたのだ。
押し包まれたら逃れる術はない。
「――っ! 飛んでっ!!」
敷地の境にある柵を飛び越える。蟲達は柵にぶつかり、わずかに遅れた。
意外にも少女は軽々と跳躍し、わたしの先に立って走り出す。
「あそこに?」
少女は沼地に不時着しているサブラを指さす。わたしはうなずいた。
わたし達は転げるように丘の斜面を下った。
振動とキィキィ耳障りな鳴き声で、背後からパラライズワームが迫ってくるのがわかる。
まずい。ここじゃ、食い止めようがない。とにかく、いまは逃げるしかない。
だが、このままでは追いつかれる!
少女はふいに方向を変え、草を食むコブウシの真正面に走り出した。
「わ、うおおおぅおおおおお~っ」
両手をばたばたと動かし、少女は間の抜けた叫びを上げる。
たぶん彼女としては威嚇しているつもりなのだろう。いちじるしく迫力に欠けているが。
しかし牛達にとっては、それで充分だったようだ。
数頭のコブウシがいきり立ち、少女に向かって突進する。
ぶつかる寸前で、彼女はウシ達をひらりとかわす。舞うような鮮やかな身のこなしだ。
興奮が伝播したのか、さらに数頭のコブウシが突っこむ。
少女はそれも綺麗に避けた。
勢いあまった牛達は、パラライズワームの群れともろに激突した。
牙こそないが、コブウシの方が身体が大きい。体重もずっと重いはずだ。
ウシ達は蟲達を文字通りに跳ね飛ばし、丘を駆け上がっていった。
戻って来た少女に、わたしは走りながら呼びかけた。
「君、すごいじゃない! コブウシを利用するなんて、さすが農家の娘ね!」
「いえーい」無表情のまま、少女は二本指を立てた。なんだそれ。
わたしはおかしくなって、笑い出してしまった。
本当に妙なノリの娘だ。緊迫した状況なのに肩の力が抜けてしまう。
友達になれたらきっと最高に楽しいだろうな。
声を上げて笑いながら、走る。なんだか、久しぶりに笑った気がした。
そうだ。別にこれでもいいんだ。
わたしの死はもう目前だ。
きっと助かることはできないだろう。
だからって、笑っちゃいけないなんてことはない。
できるだけ楽しんでやる。面白がってやる。
この命が尽きる、その瞬間まで。
「ふぉろーみー。同じとこ、踏むべし」
少女は沼地へ踏みこんだ。
驚いたことに、ほとんど走る速度が落ちない。
続けてわたしも沼地へ降り立ち、少女の足跡をたどる――足が沈まないではないか!
彼女は沼底にある岩の位置や泥が浅い箇所を知っているらしい。
自宅の裏庭ではあるが、あの歳で泥遊びでもしているのだろうか。
ともあれ、わたし達は若干の余裕を持ってサブラに辿り着けた。
わたしは少女を操縦席に押し上げた。
狭苦しい座席も小柄な彼女には充分なスペースがあった。
「これを引けば、天蓋が降りる。降り始めたら手を離していい。後は自動的に施錠されるわ」
天蓋の下部フレームにあるハンドルを示す。
少女はきょとんとした。
「わたしだけ?」
「1人乗りなのよ、それ。わたしはまだ仕事が残っているから」
ウィンクをしてみたが、我ながらへたくそな気がした。
わたしはサブラに背を向けた。自分にできることが、もう少しだけある。
そういえば、あの娘の名前も知らなかったな。
君のおかげで最後に笑えた。
どうにか、生き残ってくれるといいけど。
どんなに怖い思いをしても、生きている方がずっといい。
死んでしまっては、あらゆることが無意味になる。
泥の海を泳ぎ渡るように蟲どもが押し寄せて来た。
押し合いへし合い、我先に。金切声を鳴き交わしながら。
わたしは小銃を構え、群れの中央で先頭に立つパラライズワームを狙った。
あら、ずいぶん張り切っているじゃない。殺したくてたまらない感じ?
奇遇ね。わたしもそうよ。
わたしの恨みを知るがいい。
錆びた鉄のような血の味。
焼け焦げる人々の吐き気をもよおす臭気。
いまも耳にこだまする、恐怖の絶叫。
許すものか。お前達は――わたしの敵だ!
装填ずみの術弾に呪力を込める。
サイズは小さいが、基本的な仕組みは呪槍と同じだ。
ほとんど無意識のうちに引き金を絞り、弾が発射された。
パラライズワームに命中。
呪詛が発動し、球状の小型呪界が出現。
数体のパラライズワームが呪界に吸い込まれ――爆発した。
爆風に飛ばされ、泥と肉片がこちらまで降りかかる。
群れの中央が崩され、ぽっかりと穴があく。
よし、殺せた!
素早く銃のボルトを操作し、空薬莢を弾き出す。
次の弾を装填し、群れの左側にいる奴を狙って発砲。命中、爆発。
また殺せた!
さらにもう一度撃つ。今度は群れの右側が吹き飛んだ。
敵はまだまだ沢山いる。一方、残弾は2発。
あと2回、撃てる。殺せる。
さあ、楽しみましょう!