絆
フレイが釘を刺してくる。
これまでも彼には色々と尽力してもらっていた。
「はいはい。ああ、アルの身分証と乗船許可証もお願いね?」
「わかっているよ」
このところ、ガメリア大陸への移民が盛んになっていた。
もともとガメリアから難民としてロアン大陸へ逃れていた人々が大勢いるのだ。
彼らを中心に、再開拓が始まりつつあった。
といっても、まだまだ現地は混沌としている。
お尋ね者が身を隠すにはうってつけだ。
「開拓村の土地を押さえてある。権利書もあるから、そこで畑でも耕していればいいさ」
「あ、そうだ。ついでに当座の資金も割り増ししてよ。家族が増えるからね、お祝いもかねて多めにね」
「よくそこまで厚かましくなれるね、まったく……」
「ねえ、本当にフレイは一緒には行かないの? 保安局はあなたも探しているのよ」
「頭と金とコネがあれば、阿呆どもの捜索はかわせる。僕は僕でやることがあるんだ」
ロアン大陸東部の森林地帯には精霊種の自治区がある。
フレイはそこを訪れるつもりのようだ。
確かに自治区内に入ってしまえば、保安局も手が出せない。
精霊種は外部からの干渉をことのほか嫌うのだ。
しかし博士の係累とは言え、フレイは養子である。
排他的な精霊種が人種の違う彼を受け入れるとは限らない。
「別にその時はその時さ。僕は――ただ、区切りをつけたいだけだ」
ベルファスト博士が故郷を出奔してから軽く200年は経過している。
それでも自治区には当時の博士を知る者がいるはずだ。
フレイはどうにかして彼らに会い、父にまつわる話を聞きたいらしい。
「ふうん。あなたなりの弔いってわけね」
「――バモンドのおっさんはどうする? この際だ、言伝があるならうけたまわるよ」
わたしはちょっと考えたが、伝言はしないことにした。
保安局はかつてのマガツ協力者をあぶり出し、処刑しようとしている。
アルは扱いにくい英雄から情報を引き出し、最後には処分する目的でやって来たのだ。
当然だが、バモンド少将はアルに何の指示も出してない。
保安局の動きも把握していないはずだ。
こちらから下手に接触すれば、少将の立場を危うくしかねない。
「気が済んだら、一度顔を出しなさいよ。お茶をご馳走するから」
「ガメリア大陸まで、わざわざ?」
フレイは顔をしかめてから思い直したように、
「いや、例の魔獣の件があるか。いずれ、調査に行かないとな……」
ガメリア大陸に出没し始めた、魔獣達。
これは生命循環にマガツを取り込んだ影響だと、フレイは考えているのだ。
予想が正しいなら、いずれロアン大陸にも魔獣が現れるだろう。
「別に凶暴ではないんでしょ? 博士のしたことだし、わたしとしてはどうでもいいわ」
「君だって、片棒かついだじゃないか。そもそも、保安局が動いたきっかけは魔獣だと思うよ」
終戦から何年も経っている。
ピースメイカーに刻まれた術紋は難解だが、解析不可能ではないはずだ。
誰かが術の内容を解明し、魔獣出現と結び付けたかも知れない。
だとすれば、マガツ協力者の摘発は隠れ蓑にすぎない。
「おそらく保安局は父がやったことの詳細と影響範囲を知りたがっているのさ。そんなの、僕の方が知りたいよ!」
知ったところでどうにもできないだろう。
わたし達の世界は、もう変わってしまった。
これからもどんどん変わっていくのだ。
「やっぱりどうでもいいわ、わたしには。とにかく、もし近くに来たら顔を出してね」
「フン。まあ、もしかしたら寄るかもね」
「ええ、もしかしたらね」
もっとも、それまでわたしが生きているかは、わからない。
残された時間は長くはないだろう。
別人の魂と身体を融合させるなんて、最初から無茶なのだ。
明確な障害が左足の麻痺で済んでいるのは僥倖と言える。
ともあれ、まだ命は尽きてない。
妊娠の確信が正しいとしたら、産むことはできるだろう。
しばらく育てることもできるはずだ。
あと2年か、3年か。もしかしたら5年くらいは行けるかも。
だけど、10年もながらえることは考えられない。
わたしが死んだ後、アルには男手一つで子供を育ててもらわなくてはならない。
掃除や洗濯、炊事に裁縫だって彼がやるしかないのだ。
まともな生活力がないと、のちのち子供が苦労してしまう。
わたしが元気なうちに色々と教えこむ必要がありそうだ。
なにより受け継いで欲しいものは、愛をつむぐ方法だ。
きっとアルはずっと得られなかったもの。
わたしがロゼから最初に教えられたもの。
人を愛し、愛されること。
心を絆で結ぶこと。
誰の為でもない。わたしはそうやって生きたい。残りの命はそう使うと決めたのだ。
だから、途切れさせないで欲しい。
わたし達の子を愛で満たしてあげて欲しいのだ。
人の心は生まれた時からあちこち欠けている。
そして、たぶん親にしか埋められない場所がある。
他の誰にどんなに愛されても、決して満たされない場所だ。
わたし達の子供にはそうなって欲しくない。
ちゃんと心を満たしてから、人生という冒険に乗り出して欲しいのだ。
「大した育児論だね。しかし父親ではあるにせよ、このナハトだかアルだかが、君のやり方につき合う義務はないだろ」
「ないわね。わたしが勝手に決めたことだもの」
「彼としては不本意じゃないかな」
もちろん、そうだろう。だが、知ったことではない。
わたし達に手を出したのが失敗だったと諦めてもらうしかない。
格好つけるつもりはない。
わたしは正しさなんて求めてもいない。
確かに自分勝手な話なのだ。
わたしはこんな人間だ。どこかで誰かに不意に殺されても、少しも不思議ではない人間だ。
そうなればアルや子供だって巻きこまれるかも知れない。
わたしにはどうなるものか、予想はできない。
因果がどう連鎖するか、もう誰にもわからないのだから。
ただし、わたしを罰したいなら相応の覚悟が必要だ。
どんなに見通しが暗くても、わたしは最後の瞬間まで戦うことを諦めない。
これもロゼ・ボルドが教えてくれたことだった。
「裁判抜きの処刑はもちろん、懲役も労役も罰金も願い下げよ。そんな暇もお金もないの、わたしには」
「ひどい話だ、よく平然としていられるよ。僕だったらとても耐えられないね」
「あら、そう?」
「そうだろ! 父よりも自分勝手な人間がいるとは、驚きだよ」
「人のこと言える? 国王一派の王都脱出をマガツ側へリークしたの、あなただったじゃない」
当時ベルファスト博士はマガツに協力する者達を何人か泳がせていた。
そしてフレイに命じ、わざと情報を流したのだ。
「……ピースメイカーの射出を成功させるには、敵をどこかへ誘引する必要があった。やむを得ない犠牲だよ」
ファウンダーは国王を「特別」と見なしていた。
彼女にとっては無視できない好餌だったに違いない。
結果、マガツは戦力を抽出する羽目になった。
「法廷があなたの主張に耳を傾けてくれるといいわね。裁判が開かれればの話だけど」
フレイも保安局に捕まれば後の運命は知れている。
絞れるだけの情報を絞り取られて、人知れず処分されるだけだろう。
「すべては人類全体の為だった。君がやっているのは逆じゃないか。全部、自分達の都合だろ」
「だからなに? わたし、反省する気はないの」
憤然としているフレイに、にんまりと笑い返す。
「わたしは悪い子なのよ。知らなかった?」
薄暮は終わり、夜の帳が下りようとしている。
車窓を開けると冷たく澄んだ空気が髪をかき乱す。
まだ宵の口なのに、もう朝が待ち遠しいなんて。
この先どうなるのか、何が待っているのか。
未来はまったく闇の中だ。
「――楽しみだわ、本当に」
輝きはじめた星々を、わたしは晴れやかな気持ちであおいだ。




