わたしの救世主
機走車に最低限の荷物を載せ、わたし達は出発した。
運転はフレイ、助手席にはアル。わたしは後部座席を独占した。
なんだか偉くなった気分だ。
何分か走った後、遠くから爆発音が聞こえてきた。
振り返ると、後部の窓越しに長くたなびく黒煙が見えた。
仕掛けてきた油脂焼夷弾が無事炸裂したのだ。獣人達の死体と一緒に館は跡形もなく燃えるだろう。
もちろん、ことの隠蔽は無理だ。
それでも国家保安局に楽をさせてやることはない。
焼け跡の調査で精々苦労してもらおう。
「彼はどうするわけ?」
「アルのこと? 連れていくわよ、もちろん。男手がないと不便じゃない。戦闘技能もあるから、申し分ないわ」
「君の奴隷というわけか。かわいそうに、自由意志を奪われて」
フレイがからんできた。
さっきからかったのを根に持っているのだろうか。
「人聞き悪いわねー、忠実な伴侶よ。前頭葉をちょっぴり壊して、メッセージの受信機を植えつけただけよ」
「それは伴侶じゃない。道具だろ」
「嫌ねぇ。あなただって、ロゼとアルを触媒で操ろうとしたじゃないの」
「僕はいいんだよ。あれは僕の意思でも趣味でもない。父の指示で、公的な任務だった」
「なにそれ、ずるいっ! あなた楽しんでいたでしょっ!!」
ふん、と鼻を鳴らすフレイ。
うつろな眼差しで隣に鎮座しているアルを、横目でねめつける。
「国家保安局所属、ナハト・マルーク上級特務曹長。どうせこれも偽名だろうね。せっかくだ、本名を聞いてみては?」
「いいわよ、別に。アルで慣れているから、アルのままで問題ないわ」
わたしは肩をすくめた。
アル・ハヤ・ファレスという男は実在しない。
名前も経歴もぜんぶ作り物なのだ。
それにしても曹長だったのか。
潜入先の飛翔軍の方で佐官になるとは、皮肉なものだ。
「もともと彼は父の監視役だった。途中から対象が君達に変わってしまったようだけどね」
実に迷惑な話だ。
ベルファスト博士がロゼ・ボルドを認識したのは、ロサイルへの大空襲よりだいぶ前らしい。
固有能力、因果の連鎖が目についたのだ。
人類最後の希望の星であり、同時に危険人物と目されていた博士のお気に入り。
彼女には厳重な監視が必要とされ、選ばれた男に保安局は入念な偽装を施したのだ。
「あなたも博士も性格悪いよねぇ。全部承知で黙っていたなんて」
「仕方がないだろ。王国上層部との取り決めだった」
王制が倒れてしまった以上、抗議の宛先はないわけか。
ちなみにトノト村でわたし達を助けたアグリラムの操縦者もアルではない。
飛翔学校の生徒ではあったが、まったくの別人で終戦前に戦死しているそうだ。
わたしの歓心を買う為に、アルはさも自分の手柄のように語ったのだ。
彼は徹頭徹尾、嘘つきだった。
「一番の嘘は年齢詐称よね。ロゼはこの人をずっと年下だと思っていたんだから」
わたしは身を乗り出し、とっくりとアルを眺めた。
かさつき、皺の目立つ肌。手の甲には血管が浮き、髪に白いものが混じっていた。
ここにいるのは初老の男で、はつらつとした青年ではない。
己の外見を自在に変化させる特殊な呪術。
それこそがアルの固有技能だったのだ。
わたしの毒で施術は解けている。これが本当の顔なのだ。
年齢だけではなく、顔つきまでわたし達の知っているアルとは微妙に違う。
色々な組織に潜入するには、うってつけの能力だ。
「でもなかなか渋くていい感じよね。わたしはこっちの方が好みだわ」
「フン、そうかい。今度は彼と恋だの愛だのやるわけか」
「馬鹿ね、違うわよ。わたしはただ子供が欲しいだけ」
思わず笑ってしまった。
もしアルがアルのままだったら、何度殺しても飽き足らない。
こいつはわたし達にひどいことをした。
特にロゼを辱めたことは、絶対に許さない。
「だから、それなりの男なら誰でもいいの。フレイが相手してくれるなら、あなたでもいいのよ?」
「嫌だよ、冗談じゃないっ!! これ以上の貸し借りも義務も願い下げだっ! 第一、君は僕のタイプじゃないね」
心底嫌そうに吐き捨てるフレイ。
わたしはいかささか傷付いてしまった。
確かに年上だけど、まだまだいけてると思うのだが。
ぽつりとフレイが問う。
「……結局、何者なんだ?」
「え? だから――」
「彼じゃない。君のことだよ」
わたしか。
ロゼ・ボルドの身体にマユハ・ノボリリの魂。
記憶は2人分ある。
「わたしは、わたし達よ。心のあり方はマユハ・ノボリリだけど、だいぶロゼの影響を受けているかな」
「それは……どうなんだ? なんていうか……」
「幸せよ」
躊躇なく断言できる。
これはロゼ・ボルドの願いそのものだから。
これが彼女の望みの結晶だから。
「わたし達はいつも一緒なのよ。どんな時もわたしの中のそこかしこに彼女が息づいている。わたし達はもう二度と離ればなれになることはないわ」
「……そうかい。それでも子供は欲しい?」
「ええ。だから欲しいのよ」
わたしは微笑んだ。
どうやら彼はずいぶんとわたしに気を使ってくれているらしい。
本当に繊細な性格なのだ。
「わたしは、小さなロゼを産んであげたいの。この子を抱き締めて、この子に抱き締められたい。それがわたしの願いよ」
下腹をそっと撫でる。むろん、なんの意味もない行為だ。
いまの段階で妊娠の有無などわかるはずもない。
ただ――確信があった。
ここに小さな命が宿ったという確信だけが。
「産まれるのは女の子とは限らないだろ」憎まれ口をきくフレイ。
「そういう意味じゃないわよ、わかっているくせに」
言葉を切って、車窓の外へ目を向けた。
果てしなく広がる壮麗な夕焼け空は、あの時とそっくりだ。
残照に染まる丘の上で、わたしはあなたに殺して欲しかった。
ずっと望んでいた。初めて会った時から、ずっと。
わたしを愛し、慈しみ、殺してくれる人。わたしの救世主。
でも、願いは拒絶された。
ロゼ・ボルドは強く、真っ直ぐで、甘え甲斐のある人だった。
けれど、わたしが思っていた以上に厳しい人だったのだ。
どれだけ疲弊していても、どれだけ苦しくても。
勝手に人生の幕を下すような真似は、決して許してくれない。
だけど、わたしが感じていた以上に優しい人だったのだ。
どれだけ悪辣な態度でも、どれだけ罪深くても。
彼女はわたしを見捨てない。決して離れることなく傍にいる。
命を賭してロゼは己の心を証明してくれた。
ならば、わたしがすべきは贖罪ではない。
生きて、愛をつむぐことだ。
「僕が世話をするのは、移民船に乗船するまでだ。以降は勝手にやってくれよ」




