不意打ち
1247年10月 バルト共和国 旧クルグス市 郊外の館
「――やがて、フレイがわたし達を見つけてくれた。マユハ・ノボリリの身体はもう息をしていなかったけどね」
ロゼ・ボルドの方も人事不省に陥っていた。
ぼんやりと虚空を見つめ、なにを呼びかけても答えない。
ほぼ廃人のような状態だった。
魂が転写されても、脳にはそれまでの記憶が残っている。
異なる記憶や感情がごちゃまぜになり、まともな思考ができなかったのだ。
人格が統一され、過去を振り返られるようになるまで長い時間を要した。
「後は救援部隊の報告書に記載されている通りよ」
「あ、あり得ない……魂の転写? そんな、ことが……!?」
見る影もなく打ちひしがれたアルは、ちょっとした見物だった。
わたしはいささか得意げに説明を加えた。
「あり得るわよ。人工精霊を人間の身体に入れるのと同じなのよ。接続先が空の器なら、大量の情報を劣化なしに移せるの」
「あり得ないっ! 意思の強要程度じゃない、恒久的な人格の移植なんて!! どんな触媒を使っても無理だっ!!」
アルはすっかり激高している。
目の前に実例がいるのに、怒ってどうするのだ。頑固な奴め。
やはり年寄りは頭が固いのかも知れない。
「あのね、触媒は使わないの。呪物式なんだよ、わたし由来のね」
「じゅ、術者由来の……呪物?」
「うん」
にっこり笑ってやる。
アルの瞳に理解の色が浮かぶ。
「マガツ細胞を、直接ロゼに送り込んだのかっ!!」
呪槍を突き刺すのと同じ、いやそれ以上の効果があった。
マガツ細胞は直ちにロゼ・ボルドを浸食し、直接的な経路を開いた。
魂が消えかけていたせいで、異物を拒む無意識下の抵抗もない。
後はマユハ・ノボリリの記憶を流しこむだけだ。
「マユハ・ノボリリの肉体が死に瀕したおかげで、マガツ細胞の暴走も止まっていたからね。ロゼがそうして欲しいんだって、わたしにはわかったから――」
いつの間にか、アルの手に拳銃が現れている。
抜く挙動がぜんぜん見えなかった。
「わお、すごいわね。まるで魔術みたい。でも……」
怖い顔をしたまま、アルは固まっている。
「同じ手にやられるなんて、成長がないわね」
言いながら、わたしはアルの背から触手を引き抜いた。
まあ、彼は短期記憶を失っていたのだから仕方がないのか。
地下通路での顛末はちゃんと教えてあげたのにな。
アルは拳銃を取り落とした。
ぐらりと傾き、本人も床に崩れ落ちた。
「わたしはちゃんと成長しているわ。あなたに使ったのはただの麻痺毒じゃない。ほんのちょっぴりだけ、身体を破壊する毒なの」
拳銃を拾って、倒れた彼の手に置いてやる。
ゆっくりと指が動き、アルは銃のグリップを握った。
□
館の外に歩み出ると、アルは懐から手鏡を取り出した。
鏡を動かし、日光を断続的に反射させているようだ。
数度繰り返すと、動きを止めた。そのままじっと立ち尽くしている。
なんの動きもない。
わたしが焦れてきた時、唐突になにかが出現した。
人影だ。4人いる。
全員、かなり小柄――獣人種のようだ。
1人が手振りをすると、アルも似た仕草を返す。
用心深く周囲を警戒しながら、4人は館の敷地へ踏みこむ。
アルは数歩踏み出し、彼らを出迎えた。
獣人達は偽装用のぼろをまとい、毛皮もほこりまみれだった。
武装は長射程の大型弩や連射式の小型弩のようだ。
時代錯誤にも思えるが、火や煙が出ないから獣人種にも扱える。
また、静かに攻撃できる利点もあった。
矢には小型榴弾も装着できるから、馬鹿にできない攻撃力を持つ。
なるほど、これが保安局の秘密処理隊か。
感覚が鋭く、機敏な獣人種には適した任務だろう。
リーダーらしき獣人種は鼻をひくつかせた後、
「対象はどこに?」と短く問う。
アルは身振りで館を指した。
「情報は回収できた。念のため、死体は持ち帰る。袋に詰め、機走車に載せろ」
「荒事にならずに済みましたな。了解です!」
「館のどこかに隠し部屋があるようだ。探せ」
「ほう。壁を崩しても?」
アルが首肯すると、リーダーの獣人は号令をかけた。
「よし、みんな聞こえたな? かかれ!」
ぞろぞろと獣人達は玄関に向かう。
後に続こうとしたリーダーはふと振り向いた。
アルの顔をじっと見ているようだ。
「そういえば、様子が違いますな。擬態を解いたので?」
「ああ。もう必要ない」
「……確かにそうですな。余計なことでした。失礼しました、上級特務曹長」
かぶりを振り、リーダーは部下達の後を追う。
その背にアルは銃口を向けた。
拳銃であってもこの距離で彼の腕前なら、外しようがない。
続けざまに乾いた発砲音が響く。
獣人達は、あっという間に鏖殺されてしまった。
突然、館の門横にある茂みから、人影が立ち上がった。
援護役の獣人だろう。すでに弩を構えている。
こんなに近くに隠れていたのか。
わたしは感心しつつ、引き金を絞った。
頭蓋に小銃弾を叩きこまれ、最後の獣人はもんどり打って倒れた。
隠れていた煙突に寄りかかり、わたしはため息をつく。
技術は維持できているが、いまの体調で正面からの殺し合いは荷が重い。
不意打ちが成功してよかった。
苦労して屋根の上から館の中に戻り、玄関へ出る。
アルはぼんやり立ったままだ。
持っていた小銃を彼に押し付け、死体を眺める。
「ふむ、数は合っているわね。他に要員はいない?」
「はい」
「よくできました」
「はい」
味もそっけもない返答だ。
自我をほとんど破壊されているから、仕方がないのだが。
「――フレイ! もう出てきて大丈夫よ!」
ほどなく、館の方から物音がした。
恐る恐るといった様子でフレイが顔をのぞかせる。
彼は地下の隠し部屋で息を潜めていたのだ。
「大丈夫だってば。ずいぶん背は伸びたのに、あなたは相変わらずびびりだね」
「フン、僕は近接戦闘向きじゃないんだよ。繊細なものでね」
もうちょっとからかってやろうかと思ったが、やめた。
彼に勇気があるのは確かだし、わたしの貴重な味方なのだから。




