純粋無垢
搭乗モジュールは安全圏に離脱した――はずだったが、タイミングが遅かったらしい。
「くそっ、ここじゃ近すぎる!! 衝撃波が来るっ!!」
フレイからの警告は耳に届いていたが、返事はしない。
わたしは呪術を継続するのに手一杯だった。
ファウンダーが死んだことは間違いないだろう。
だがマガツの姫を呪殺するまで、施術を解くわけにはいかない。
ほどなく強烈なショックと大音響に襲われた。
滅茶苦茶に振り回され、わたしは集中を維持するのに必死だった。
衝撃波が去った後も操縦モジュールの挙動は安定しない。
フレイは折り畳み翼を展開したが、あまり状況は好転しなかった。
もともと操縦モジュールにはある程度の滑空能力しかないのだ。
錐揉みになりかけ、どうにか立て直す。
高度はどんどん落ちていく。
搭乗モジュール自体、もう半壊しているようだ。
わたしは意識を無理やり術に戻す。どうせ操縦はフレイに任せるしかないのだ。
ピースメイカー本体を喪失した為、三人の術連携は切れている。
もうマユハからの呪力提供もマガツの探知もない。
わたしにできるのは発動している呪術――感染モードの維持だけだ。
ただ維持するだけで、死骸が積み上がる。
加速度的にマガツ達の間に死が蔓延していくのが、実感できる。
ただし、それは術が継続している間だけだ。
終息する前にマガツの姫を呪殺しなくてはならない。
いや、姫を捕捉するまで術を終わらせてはならないのだ。
大丈夫、できるはずだ。
しかし、まだ届かない。
感染対象になるマガツは、いまだ無数にいるのだ。
まだ願いは成就していない。
まだか。
まだなのか。
苦しい。水底に沈んだまま、もがき続けているみたいだ。
まだ届かない? 呪力は枯渇寸前だ。
待ってよ、こんなのもうとても――
「が……んばって、ロゼ」
マユハの胸元に頭がかき抱かれていた。
いつの間にか、マユハは身を乗り出し、わたしに覆い被さっていた。
飛翔服は自分の席に脱ぎ捨てられている。
「がんばって。やり遂げて」
透けるように白く、染み一つなかったマユハの顔。
いまは青黒い血管が浮き出し、目は落ち窪んでいた。
マガツ細胞の暴走は、停まっていないのだ。
ファウンダーからの最後の命令が生きているのだ。
この娘は内側から喰われようとしている。わたしには助けられない。なにもできない。
「わたしにできるのは、これだけ」
マユハから、わずかな呪力が浸透してきた。
苦痛をこらえ、マユハはわたしに呪力を供給している。
やるべきは、彼女を止めることではない。
答えること。やり遂げることだ。
「ロゼならできる。がんばれる」
わかっているわ。
わたしにできるのはそれだけ。マガツを呪い、殺すことだけ。
復讐の為だけなら、ここまでがんばれない。
君がくれた機会を無駄にしない為に、わたしはがんばり続ける。
ああ――でも、限界だ。
もう尽きてしまう。
いや、あと少しはやれる。やりなさい。
いよいよ、いけない。
もう残り滓もない。
あと5秒だけ耐えろ。その位、できるはずだ。
耐えた。
でも、ここまでだ。本当にここまで。
いいや、まだ。まだ、その時が来ていないのだから。
命が削れていく。
身の丈を超える呪術を成立させるには、己を贄にするしかない。
そうしなければかなわないなら、そうするまでだ。
かなえ。
わたしをぜんぶ使ってかまわない。
かなえ。
ここが終着だ。ここで最後なのだ。
だから、かなえー―!!
そして、因果の連鎖がかちりとはまった。
ついに捕捉した。
その実感に背筋がぞくぞくと震えた。
普通のマガツとは異なる、繊細で知性と魔力にあふれた――しかし、純粋無垢な魂。
暖かな繭にくるまれ、穏やかな眠りの中にいる。
子孫というより、ファウンダーの複製品なのだろう。
いずれにせよ、まだこの世界に悪意があることさえ知らない幼子だ。
わたしの呪詛を跳ね除ける術など持ち合わせていない。
わずか数瞬の、しかし耐え難い苦痛の穂先が彼女を刺し貫く。
マガツの姫はあっけなく息絶えてしまった。
わたしの願いは達成された。
人類世界すべてを巻き込み、莫大な犠牲者を出したマガツとの絶滅戦争。
両者の長きに渡った殺し合いは、ついに終わりを告げた。




