治療
こちらの焦燥を余所に、少女は落ち着いた様子だ。
これは肝が太いと評すべきなのか。あるいはただ現実が見えていないだけか?
少なくともこの娘は惑乱しているのではないようだ。(むしろわたしが惑乱しそうだった)
白い指先がたおやかにわたしの頬をなで下ろした。
かえって刺激になったのか、わたしは激しくむせてしまった。
「まだ気道がせまいよ。ゆるゆる呼吸すべし」
「に――逃げなさい、早くっ!」
「こらこら、落ちつけーい。一休み一休み」
相変わらず一本調子の話し方だが、どこか稚気を感じる。
「君、ふざけている場合じゃ……」
頭を持ち上げ、食ってかかったところで気づく。
起き上がることはできないが、首のつけ根辺りまでの麻痺が取れている。
こんなに早く自然回復することはないはずだ。
「……これ、君が?」
少女はこっくりとうなずく。
どうやら呪力による治療術の心得があるらしい。
「すぐ終わる。まかせて」
「だけど――」
「まーかせて?」
口調は変わらないものの、彼女は譲るつもりはないようだ。
状況は切迫しているが、このまま押し問答してもしかたがない。
やむを得ず、わたしは大人しく身をゆだねることにした。
確かに彼女が闇雲に逃げても、奴らの餌食になるだけかも知れない。
敵は斥候タイプだけとは限らない。民間人の年若い少女には抵抗の術がないのだ。
この娘なりに考えて、わたしの回復を優先――
「……ねえ、待って。なんでわたしの胸を揉んでいるの?」
「おっきい。すごくおっきい」
そんな恨みがましい目で見られても。
「ずるい」
なにがだよ。これはこれなりに、苦労があるのよ?
控え目な凹凸なら運動しやすいし、変に視線を集めることもない。
わたし的には君くらいのスタイルが理想なんだけどな。
って言ったら、怒るだろうか。
「ぶっ殺す」
うん、怒ったね。でも本気モードの殺意は向けないで欲しい。
あと胸の両側からシンバルみたいに連続プッシュして遊ぶのもやめようね?
「それは誤解。これは治療」
不満なのか、ある種の魚のようにぷくっと膨れる。
か、かわいいな……。
「え、あ、そうよね。ごめんね?」
「すげー。でかおっぱい、すげー。めっちゃ柔らかい。じゅるり」
「や、やっぱり遊んでいるでしょっ!?」
「今月のお勧め。マスト揉むべし」
「人の胸いじりを勝手に推奨するなっ!」
「んっ? さきっちょ摘まむ方がいい?」
「いや、それはもっとだめ」
「揉まれるか摘ままれるか、どっちかにしなさい。めっ」
なんでわたしが我儘いってるような空気にするっ!?
ダメだ、この娘と話していると状況を忘れそうになってしまう。
ぼんやりした喋り口のせいか、声を聴いているだけでかしこさが下がりそうだ。
新手の能力低下術者だろうか。
「はー、堪能した。ごちそうさま」
……しっかり頂かれてしまった。
お粗末様、とでも答えればいいのだろうか。
「粗末じゃない。まさに逸品。おっぱいザ・グレート。グッジョブ」
つやつやと生気に満ちた顔で親指を立てられた。
ああもう、好きに言ってくれ。お楽しみ頂けたようで幸いです、だ。
わたしは身を起こし、拳を強くにぎってみた。
ちゃんと施術もしていたらしく、麻痺はすっかり抜けている。
繰り返してみたが、痺れは出ない。
よし。これならすべきことをできそうだ。
先に立ち上がった少女は窓の外へ視線を向けると、「あ」と短くつぶやく。
小銃を拾い上げ、わたしも彼女に続き――表情が凍りつく。
家の表側の斜面に整然と立ち並ぶ、幾本もの果樹。
その根元を数十匹のパラライズワームが這っていた。
蟲達は明らかにこの家を目指し、まっしぐらに進んで来ている!
恐らくはわたしが倒したパラライズワームが呼び寄せたのだ。
教練で習った通り、蟲同士はある程度離れていても意思疎通できるらしい。
これはまずい……とてもじゃないが、わたしだけで対処できる数ではない!
少女はただぼんやりと押し寄せる敵の群れを眺めている。
青白い顔は無表情のままで、恐怖すら浮かんでいない。
完全に諦めてしまったのだろうか?
そうであっても無理はない。
一階で惨殺されていたのは、恐らくこの娘の家族なのだ。
わたしが助ける。
なんとしても、そうしなくては。
どこかの部屋に籠城――いや、ダメだ。
窓はもろいし、木製の扉は連中の牙に耐えられない。
本格的なバリケードを作る余裕もない。
こんな時、因果の連鎖が見えれば!
しかしそれは無理だ。あれはそんなに便利な能力ではない。
いつ、なにが見えるのか、わたしには制御できないのだ。
では、サブラに戻るのは――悪くない手だ。もう、それしかない!
機体の大半は薄い金属板だが、操縦席の周辺は装甲化されている。
天蓋も防弾仕様だから、斥候タイプの牙程度は通らない。
座席前方にはびっしりと機器類が据えてある。
機器を引き剥がされて隙間にもぐりこまれるかもだが、時間は稼げるはずだ。
ここが味方の土地であることには変わりない。
いずれは助けが来る。奴らも諦めて撤退するかも知れない。
つまり、彼女が生き残る可能性はある。
「来なさい、急いでっ!」




