再会
1247年10月 バルト共和国 旧クルグス市 郊外の館
終戦から3年あまりが過ぎた、秋の午後。
いつものように居間でごろごろしていると、ふいに玄関の呼び鈴が鳴った。
この館では滅多に発生しない現象である。
「あれぇ? 配達は先週来たばかりよね……?」
不審に思いつつ扉を開ける。
たたずんでいたのは、いつもの輸送部隊の兵員ではなかった。
「え……っ? アル……?」
折り目正しい飛翔軍の制服に身を包む、すらりとした青年。
わたしのかつての部下、アル・ハヤ・ファレスとそっくりだ。
というか、どう見ても本人そのものである。
アルは綺麗に敬礼すると、にこやかな笑みを浮かべた。
「はい、お久しぶりです。お元気そうでよか――」
「ええええっ、嘘でしょっ! あなた、なんでこんなとこにいるのよっ!?」
□
驚きの後は懐かしさがこみあげた。
彼をソファーに座らせると、わたしはスカートの裾を翻し、お茶の準備をする。
「ねえ、何か面白い話でも聞かせて。ここじゃ、噂一つ仕入れるのも大変なのよ」
なんだかつい、浮かれ口調になってしまう。
アルはちょっと考えて、
「そうですね……ガメリア大陸で新種の生物が次々に発見されているのはご存じですか? 累計で20種類近いとか」
最新ニュースを披露してくれた。
再開拓の為、ガメリアにはこのところ大勢の移民が渡っている。
新種発見の報により、調査団が組まれたそうだ。
「ふうん、ちょっと大げさねぇ。学者さん的には見逃せない話題でしょうけど、戦災の復興もろくに進んでないっていうのに」
「世間も注目していますよ。何しろ、発見されたのは魔術を使う獣ですからね」
「は――? 魔術って、冗談でしょ?」
「事実のようです。炎を吐いたり、雷撃を放ったり……解剖したところ、どの新種も体内に生体炉があったとか」
生体炉とは魔力を生み出す器官だ。
わたし達汎人種を含め、ほとんどの生物にはない。
「新種生物群は“魔獣”と呼ばれています。特に狂暴ではないらしいですが」
「わお、確かにそれはすごいわね! 先祖返りってことかしら」
古代種族には、現在も体内に生体炉を持つものがいる。
人類の中では精霊種と古巨人種がそうだった。
汎人種が道具を使うように、彼らは様々な魔術を駆使するのだ。
「どうでしょうか。先祖返りにしては、種類が多すぎませんか?」
「うーん。まあ、ガメリアはしばらく無人の大陸だったじゃない」
「そうか、実際にはけっこう前からいたのかも知れませんね」
話しながら、彼は気づかわしげな視線を向けてくる。
そんなに危なっかしいかな、わたし。
ゴトン。ゴトン、ゴトトン。
靴底と杖が床を鳴らしてしまう。
ちょっと早いリズムに、心の裡があらわれている。
気恥ずかしいが、仕方がないだろう。
本当に――久しぶりの再会だった。
戦争最後の日、わたしの乗機は墜落した。
命は助かったものの、大きなダメージにより意識が混濁。
首都にある軍病院送りになったのだ。
「実は二度ほど、病室へお見舞いにうかがったのですが――」
「ごめんね、全然覚えてないの。わたし、まともな状態じゃなかったから」
退院できるまで、約半年。
それでも完全な回復には至らず、左足はつけ根から麻痺したままだ。
杖があれば歩行はできるが、軍務をこなすのは難しい。
結局わたしは退役し、この館へ隠居した。
かつて、わたしと彼女はここで短い共同生活を送り、数え切れないほどの想い出を作ったのだ。
「あなたと話した記憶があるのは、特別攻撃に出る直前かな。あんまり詳しくは覚えてないけど……」
テーブルに紅茶とマフィンを並べ、差し向かいに座る。
彼は姿勢を改め、頭を下げた。
「ご無沙汰しておりました、ロゼ・ボルド准将。突然お邪魔した無作法をお許しください」
わたしはアルの階級章をちらりと見る。
ずいぶんと出世したものだ。
「お久しぶりね、アル・ハヤ・ファレス中佐。お客様はいつでも大歓迎よ。ただね、准将はやめて頂戴。わたしはとっくに退役しているんだから」
そもそも戦争中、わたしの階級も中佐だった。
最後の作戦における軍功により、負傷入院したまま、大佐に昇進。
退役時、さらに昇進して准将となった。
死んでもいないのに二階級を駆け上がるなど、普通はあり得ない。
英雄を欲したお偉いさん方による、お手盛り昇進なのだ。
年金も増えるから別に文句はない。
ただ、これで将官扱いされるのは正直馬鹿げている。
「失礼しました、ミス・ボルド――」
「悪いけど、その呼ばれ方は好きじゃないの。堅苦しいじゃない?」
「では、なんとお呼びすれば?」
「普通にロゼと呼んでもらえるかしら。おっと「様」も「殿」いらないからね。「ちゃん」か「姫」ならつけてもいいけど!」
とうとうアルは笑い出した。
よそいきの衣が剥がれ落ち、柔和な笑顔に懐かしい親しみがにじむ。
「わたしはアルでいいよね? ファレス中佐殿」
「ええ、もちろん。昔のままですね、ボル……ロゼは」
アルの視線を感じ、わたしは少しばかり身構えた。
確かにわたしの外見で現役時代から変わったのは、腰まで長く伸びた髪くらいだろう。
ちゃんとスタイルも維持している――はずだが、やっぱり心配になる。
自慢じゃないが、ロゼ・ボルドのおっぱいは大きいのである。
10代の頃よりもやや大きくなったほどだ。
それはいいのだが、胸が大きいと服によっては太って見えてしまう。
今日の服はどうだろう。彼が来るとわかっていたら、ちゃんと選んだのだが。
とりあえず気持ちお腹をひっこめ、「ありがとう」とにこやかに笑い返す。
「えっ、はい……いや、あの頃よりも丸くなったみたいですね」
わたしはがんと衝撃を受けた。
他意がなくても、センシティブな単語はよく考えて使うべきじゃないかな!
「あなたは変わらないわね。大人にはなったけど童顔だし、女性に丸くなったとか、失礼よ。
呪い殺されても仕方ないっていうか、当然の報いね。いっぺん死んでみる?」
「いや、そういう意味では――」
アルは慌てたように手を振る。
「あははっ、冗談よ! わたしが呪詛を送っても無駄でしょ。現役の飛翔兵にはかなわないもの」
アルの瞳に痛ましさが宿った。
やっぱり、わたしの衰えぶりにショックを受けていたらしい。
年齢はほぼ同じなのに、若々しさではちきれんばかりの彼に比べると、わたしはあからさまに見劣りする。
左足のことだけではない。
わたしはちょっとしたことですぐに体調を崩してしまう。
飛翔機の操縦に必須の呪力もろくに使えない。
ロゼ・ボルドはもう二度と飛べないのだ。空へ還ることはかなわない。
住み慣れた館で生活するだけなら支障はない。
ただ、怪我や病気をしたら大事だ。
なにしろ半径80Km圏内に住んでいる人間はわたしだけ。
首都であるベルゲンはおよそ1200kmの彼方なのだ。
「――ロゼは、もっと報われてもいいと思います」
「充分に報われたわ。年金はもらえているし、何より願いがかなった」
「はい。我々がいま生きているのは、ロゼのお陰です」
「……確かにあの攻撃で戦争は終わったわ。でも、別にわたしだけの手柄じゃないのよ。知っているでしょ?」
「ロゼが自ら犠牲を払い、重要な任務を果たしたことに変わりはありませんよ!」
熱っぽい口調だった。
現役時代、わたしは幾人かの部下をもったが、生き残ったのはアルだけだ。
それだけに気になって仕方がない。
あなたはなにをしにここへ来たの?
□
お茶を楽しんだ後、アルを外に連れ出した。
館の裏手には河が流れており、その川縁に我が家の菜園があるのだ。
「これをあなた一人で? それにこれは……」
「ええ、薬草よ」
「どうするんです、こんなに沢山植えて」
彼の疑問も無理はない。
薬草といえば聞こえはいいが、大半は呪い草ばかりなのだ。
「食べるのよ、もちろん。この辺じゃまともな野菜は育たないから、代用品としてね」
視線を河の反対岸に向ける。
岸沿いにある、半ば崩れ落ちた城壁。その向こうには廃墟の街が広がっていた。
かつてクルグスと呼ばれていた、都城のなれの果てだ。
大陸でも有数の大都市だったが戦禍にみまわれ、一日にして巨大な墓標と化した。ほぼ全ての住民がひどい苦悶の末に死んだのだ。
たった一本の槍から噴出した恐るべき呪い。
それがクルグスを滅亡に追いやった。
残留する高濃度の呪詛穢れの為、再建の目処はたっていない。
草木さえろくに生えない、重度汚染区域なのだ。
アルは優秀な呪術者であるが、彼にしても無用の長居は避けるべき場所だ。
こんな危険地帯で、並み以下の呪力しかないわたしが暮らしていけるのは何故か?
答えは簡単。
呪いを放ったのは、わたしだからだ。
わたしはクルグスの殲滅を望み、呪槍がそれをかなえた。
無辜の人々が、ばたばたと死んだ。限度なく死んだ。ことごとく死に絶えた。
呪いはこれ以上ない程、完璧に成立した。
だから呪い返しは起こらない。
わたしに危険は及ばない。
わたしの呪詛は――成就したのだから。