第五話 来し方を返り見て
中央線西荻窪駅と、吉祥寺駅の狭間に私立十代田高校は存在している。
二点の駅の丁度中間に位置するため、ここへ電車通学する生徒は東京方面からか、立川方面からかで降車駅を選ぶ必要がある。
だが、生徒の殆どが吉祥寺駅を最寄りにする。高校生ならば吉祥寺というネームバリューに惹かれるからだ。
誘蛾灯に群がる羽虫の様に、こぞってタピオカ屋に群がり、戦利品を片手に持ちつつ登校する女子生徒の群れ。レベル一の勇者が初めて訪れる村で装備を整えるが如く、皆一様にさいきょう装備をあつらう。
駅から高校へ続く一本の歩道を十代田高校生が列をなして登校する。
俺もそれらに混じり道を歩く。残念ながらタピオカは手に持っていない。タピオカがこの行列のファストパスでなくてよかった。というかタピオカってそんなに美味いの......?
歩道の直ぐわきに校舎が見えてくる。高い塀の上には絢爛な鉄柵が立てられており、ここから侵入する人間の尊厳とやる気を行動させる前から削ぎ落してくるようだ。
基本的に俺は歩く速度が速いと自負している。別段気にはしていないがこう列の中にいると改めて早歩きであることを知覚する。
――あぁ! もっと早く歩いてくれませんかね! 横一列になるな! 広がるな!
前方を歩く複数人の女子高生が顔を寄せ合いながら談議に花を咲かせている真っ最中であった。勿論手にはタピオカが装備されている。
「で、さぁ! 新しいクラス、あんまりカッコいい男いなくない?」
「りさりさ、それ! わかるぅ! なんかパッとしないっていうか~」
「まおはどう思う?」
「ん......僕かい? ......そうだね、クラスに惹かれる人はいない......かな」
「だよねぇー。あーあ......うちらのクラスに辻君が居てくれたらなぁ」
どうやら同じ二年の様で、クラス替えからまだ一週間程しか経っていないというのに仲良さげに登校する様を俺は少しばかり羨ましくも思った。
少しだけ、歩く速度を落とす。
ごく自然に、後ろからくる生徒とぶつからない様にさりげなく、だ。
数人程俺の脇を抜けて、前に躍り出た事を確認し、速度を戻す。
春の只中、どこからか桜の花が吹いてくる。日差しが自然と瞼を重くさせる。
程よい気温と心地の良い気候は、知らずうち逸る気持ちを落ち着かせるには十分だった。
この登校の一部始終を見てもらえれば分かる通り俺には友達が居ない。
いや、居ないというのは語弊があるな。少ない、だ。いいわけじゃないもん。
一緒に登校してくれるような幼馴染の女の子なんて昨日読み始めた漫画の中にも出てこなかったし、そんな話をフィクションで聞いたことは無い。
毎朝部屋の中まで侵入してくるツンデレツインテールの幼馴染はおとぎ話だ。妖精だ。実際はおかっぱ頭の飯マズ幼馴染が関の山だろう。
俺は理想と現実の折り合いはハッキリとつけている。そんな無意味な願望は捨てた。
小さな頃、俺にはかけがえのないといっても過言ではない程の友達が二人いた。
だが、中学校にあがり暫く経ったタイミングで転校することになった。
両親の仕事のためだから仕方がない、と割り切れるように思えるのは俺が今、多少大人になったからで......当時はそうではなかった。
そして俺は、高校に入学するタイミングで一人暮らしをする決心をした。
両親も俺をみて不憫に思ったのだろうか、二つ返事で許してくれた。必要最低限の金銭と、振り回されることのない開放感を得て俺はここ十代田高校へ通う事となった。
両親には勿論感謝している。恨んでもいない。ただあの時タイミングが悪かったのだ。後はまぁ......俺か。
そんな過去を思い出していると、十代田高校の校門が視界に入り込んできた。
広大な土地の入り口である校門から真っ直ぐに道が伸び、その先には礼拝堂の様な建物が存在している。ミッションスクールでもないし本当に礼拝堂かはさておき、俺は一度もここへ足を運んだことは無い。だからあくまで礼拝堂の様な建物、なのだ。
塗装されたレンガ道以外は芝生となっており、カップルはこの芝生でこぞって弁当を食べている。制服汚れない? と思うのは俺が一度もその経験がないからだろう。しかし、その制服の汚れすらも、彼ら彼女らの甘く苦い思い出となるのかもしれない。俺に経験はないけれど。
校門をくぐり、中央の道に進むと礼拝堂の手前で左右に分かれる道がある。それぞれが三年、二年の校舎になっている。この学校は学年ごとで校舎が別れる。
一年は二年の校舎の裏側にあり、一番遠い。
この春から二年になったので、当たり前だが右手の道へ進む。間違って三年の校舎に行こうものなら屈強な先輩方に可愛がられること間違いなしだ。そんな気がする。すみません出会ったことのない屈強な先輩方。
白を基調とした荘厳な建物が視界に映る。
窓には校舎の塀に備え付けられていたものと同じような鉄柵が施されており、ここから侵入することは叶わないだろう。
校舎に入り、校内靴に履き替える。
すると俺の肩に、不意に何かが触れる感触が生まれる。
「昨日はどーも」
心臓が肥大して、全身に流れる血液の速度が速くなった俺に対し声をかけたのは、他でもない氷川霧華だ。
まだ授業も始まっていないというのにどこか気だるげに、吐息をつく。その姿も中々様になっているのが悔しい。当たり前だが昨日の様に全身びしょ濡れではない。
薄墨色をした長い髪がふわりと毛先をカールさせ胸元でまとまっている。スカートは規定よりもやや短くはあるが、そんなもの順守している女子の方が少ないだろう。胸元の細い水色をしたリボンはゆるく結ばれているがジャケットのボタンはきっちりと閉じられている。
ちなみに一年のリボンは赤で、二年が水色、三年は黒だ。男子はこのリボンがネクタイに変わる。
「ぁあ......どうも」
顔が脂汗に塗れていた。毛穴が噴き出す汗が頬を伝い顔のラインに沿って流れる。それでも何とか会話を返した俺に称賛を送ってほしい。
「あんた......一人で登校してんの?」
背を向けて教室へ向かおうとする俺の後ろから声がかかる。
「そうだが? ......別におかしな話じゃないだろう」
「ふーん......あっそ」
気が済んだのか、もう俺の足を止めることはなく――どころか俺を追い抜いて教室へ行ってしまった。足はえーなあいつ......。
登校時間まで幾分か余裕がある為、俺は廊下を吟味するように練り歩く。
俺のクラスはB組。
二年はA~Fの六つに分かれており、各クラス四十人。つまり一学年二百四十人という計算だ。
――俺、烏羽 陣は他人に深く関わらない。それこそが凡庸な人間の在り方であり、生き方である。
だからこそ俺は氷川霧華の『人を惹きつける魔性』を目の当たりにして、少し恐れていた。自分という役割から逸脱した行動。衝動的ともいうのだろうか。
「なんであの時、あんなことしたんだろーなぁ」
不意に零れた言葉は、頭上のスピーカーから流れ始めたチャイムによって上塗りされた。