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犬婚回避

「犬は雌の発情期でないと交尾しないよ。もし、発情の予兆が出たら、時期を操作する魔道具を使うつもりだったから安心して」

(そんなものあるの?)

「うん。家畜の繁殖時期を操作するためのやつだけど」

 ノアの言葉で、緊急案件ではないことにルイーザは胸を撫で下ろす。

 一歩間違えば、色々と終わるところだった。未婚の令嬢が純潔を失うどころではない。家畜扱いは気に食わないけど犬の子を産むことに比べれば些細なことだ。

 解呪についての進捗がなくても、ルイーザはこうして研究塔に呼ばれる。言葉が通じるのが魔術師だけなので、正直助かっている。

 数日おきでもこうして誰かと会話をすることで、ルイーザはまだ人間でいられている気がする。

 今日は、ノアの通訳を介してだけれど父も同席して話をしていた。

「むう。しかし、メリナ・ノイマン伯爵令嬢が有力候補か。正直、あまり良い傾向ではないな」

 ルイーザは個人的に、メリナに若干の恨みがあるのだけれど、父まで難色を示すとは思っていなかった。表向きは、普通の可愛らしいご令嬢だ。

(ノイマン家の派閥は問題があるの?)

「ノイマン家に問題があるというより、彼女は五歳の頃に引き取られた養女なのだ。一応、王太子妃候補としての条件は満たしているのだが……血筋が確かではない者が次期王妃となると、貴族からの反感を買いやすい。王家の威信にも関わるのだよ」

(養女だなんて、知らなかったわ)

「十年以上前の話だから無理もない。基本的に貴族は子供がある程度大きくなるまで存在を伏せるし、田舎の一伯爵家の養子事情は当時すらあまり話題にならなかったからね」

 ルイーザは、以前周りと話を合わせるために見たオペラを思い出す。

 町娘と王子が恋に落ちて結婚する話があった気がするのだけれど、現実はそう簡単なものではないのだ。庶民は身分差を乗り越えた結婚を好意的に思うかもしれないが、血統を重んじる貴族たちが、生まれの分からない者に生涯の忠誠を誓い傅かなければならないなど、受け入れ難いのだろう。

「ルイーザに呪毒を盛った人物についても特定を急いでいるけれど、どうやら今は色々ときな臭くなってきていてね。呪毒の件は限られた者にしか伝えられていないし少々難航しているんだ。すまないね、ルイーザ」

(気にしないで、お父さま)

 犯人には、いつか痛い目を見せてやりたいと思ってはいるけれど、犯人が特定できたとしても解呪の方法が確立しない限りはこの姿は戻らないので、特定は正直戻った後だって問題ない。

 容疑者として一番考えられる、ルイーザのライバルであった令嬢たち──王太子妃候補たちのうちの誰かに関わりがあることは皆予測しているのだけれど、有力な候補者やその取り巻き等、後ろについているそれぞれの派閥の貴族と意外と範囲が広く、特定が難しいらしい。

 ちなみに、先ほど話題になったメリナ・ノイマン伯爵令嬢についても、ルイーザと度々衝突していたので容疑者の一人だったのだけれど、呪毒が国交のない国のもののため大変高価であることから、特別裕福でもないノイマン家には難しいという結論に至った。

 考えこむように俯くと、隣に座る父が優しくルイーザの頭を撫でる。

「大丈夫だ、ルイーザ。時間がかかっても必ず犯人を特定する。王も、この件を危険視しておられるからな。……あと、王太子にはあまり犬舎に行かぬよう王から伝えてもらおう」

(それは本当にお願いします)

「昔から殿下は勉強に飽きると度々抜け出して犬舎に行っていたらしくてな。……今も行っているとは、知らなかったが」

 昔からああなのかとルイーザは少々遠い目になる。

 元々、一般的な貴族子息の平均は辛うじて超えてはいるため王太子としての能力に問題があるわけではないけれど、特別秀でた何かを持っているわけでもないという認識だった。

 顔立ちは王家らしく華やかではあるのだけれど。女性を見る目はないし一方的に犬を構うし、更には勉強を抜け出していたとは。元々抱いていたイメージよりも少々ポンコツなようだ。

 犬たちへの態度を見る限り、好意を寄せたものに対しては愛情深くて優しい。だから決して悪い人ではないのだけれど。


 研究塔を出て、父と二人犬舎への道を進む。番犬が放し飼いになっている範囲外では、念のためリードを付けられるのだけれど、放し飼いスペースに入ってからリードは外してもらった。

 ちなみに、決してルイーザがあちこち行かないようにする意味での『念のため』ではなく、裏門以外でリードを付けていない犬が歩いているのは不自然だからだ。迷い込んだ犬と間違われて騎士に追われたらたまったものではないし、中には犬が苦手な使用人だっている。

 以前、ノアに指示されてルイーザを迎えに来た魔術師見習いはまさに犬が苦手だったらしく、首輪にリードをつなぐのに非常に時間がかかっていた。事情を知らず、本物の『犬』だと思っているのだから仕方がない。

 そんな人間に依頼するなよと思ったけれど、不幸にも彼しか手が空いている人が捕まらなかったらしい。

 研究塔と犬たちがいる範囲はそう遠くないので、普段は研究塔を出てすぐに送迎役と別れるのだけれど、父が送迎してくれる時は必ず犬舎までエスコートしてくれる。父は、こんな姿のルイーザでもきちんと娘扱いしてくれるのだ。

 優しい父とつかの間のお散歩を楽しんでいると、最近何度か見かけた人物が城側から歩いてきた。

 短く刈り揃えられた黒い髪の背が高い三十歳程の男。近衛騎士の制服に身を包むのは、度々王太子殿下を迎えに来るレーヴェ・ライリーだ。

「これはローリング伯爵。珍しい」

「ライリー卿こそ、珍しいところでお会いしましたね」

 城勤め同士顔見知りの父とレーヴェは挨拶を交わす。その姿を眺めていると、レーヴェの黒い瞳がルイーザを捉えた。

「犬の散歩……ですか?」

「ああ、いえ、研究塔に行ったのですが、塔のところで昼寝をしているこの子を見かけまして。犬舎まで連れて行こうかと」

(お父さま!?)

 父は頭を掻きながら苦笑いで答える。すぐさま言い訳が出てくるのは流石貴族といったところだけれど、いくらなんでもひどいのではないだろうか。

 休む時はちゃんと犬たちの休憩所で休んでいるルイーザにとって、とんだ濡れ衣だ。所かまわず寝るなんて、令嬢どころか番犬としてもだらしがない。

 表情に出ないもののむすりとしているルイーザの前に、突然レーヴェが屈み、ルイーザの頭を撫でてきた。

「……ふむ。お前、殿下が気に入るのもわかるくらい毛並みがよいな」

(気安く触らないで! ……ちょっと! やめて!!)

 騎士らしく無骨な手は、意外と優しくルイーザを撫でる。もふもふと毛並みを楽しむように頭から首元を撫でられた時に、ルイーザの尻尾は堪え切れずに揺れてしまう。

 見なくても、わかる。父の視線が痛い。

(し、仕方ないじゃない……犬なんだもの……撫でられるの好きなのよ、犬って……)

 聞こえることのない言い訳をせずにはいられなかった。

「他の犬はキリッとしているが、お前は少々間が抜けた表情で可愛いな。同じ犬種とは思えん」

(間抜け!?  無礼者!! そして今すぐ撫でる手を止めて……!)

 父は好きにされる娘にどうしていいかわからず引きつった笑顔だった。ルイーザ的にはすぐにやめてほしいのだけれど、犬を撫でる騎士を伯爵が止める理由がない。

 ひとしきりルイーザの毛並みを楽しんだあと、騎士はとてもありがたくない提案をした。

「ちょうど私は殿下を迎えに行くところです。多分また犬を構っていると思いますので、私が連れていきましょう」

「えっ……あっ、ではよろしくお願いいたします」

「くぅ~ん」

(そ、そんな、お父さま……)

「ほう、伯爵は動物に好かれる性質なのですね。こらこら、ほかの人間にあまり愛想よくすると殿下に拗ねられるぞ」

 父に向ける助けて光線も空しく、レーヴェに腰をぽんと軽くたたかれる。ここで反抗して、更に駄目犬の烙印を押されるのも癪なので、ルイーザは渋々レーヴェに従った。

 殿下が来ていると前もってわかるのであれば、なるべく会いたくない。おやつや玩具は魅力的なのだけれど、構い方がしつこいし昨日の犬の子を産ませる発言は軽くトラウマである。


 さくさくと芝生を踏みながらレーヴェの横を歩いていると、彼の予想通り休憩所にはヴィクトールがいた。その手は黒い犬を撫でまわしている。

(マリー、今日は捕まっちゃったのね)

 ルイーザと同室の黒い毛に金の目の雌犬──マリーは、何かと新入りのルイーザを気にかけてくれる優しい犬だ。

 初日は添い寝をしてくれたし、ルイーザが寝坊しかけると鼻でつついて起こしてくれる。通りがかりの使用人がずっとルイーザを撫でて困っている時は、間に入り鼻先で使用人の手を押して助けてくれることもあるのだ。愛想はないけれど。

 しかしそんなマリーはヴィクトールのことが苦手らしく、彼が現れる前に必ず姿を消す。他の犬も、飼い主、または仲間と認識している飼育員以外には基本的に懐いていないのだけれど、マリーは更に触られるのを嫌がるタイプだった。

 そんな彼女が、珍しくヴィクトールに捕まっている。不審者以外に攻撃しないように躾けられている犬たちは、基本的になすがままである。

 両頬をわしゃわしゃとされているマリーは非常に嫌そうな顔をしていた。犬になりたての頃のルイーザは彼らが何を考えているかわからないと思っていたが、今となっては案外表情豊かだと思う。

「レーヴェ、何故ショコラと歩いているんだ?」

「端の方にいたのでこちらへ来るついでに連れてきました。殿下。休憩時間は終わりです。お戻りください」

「せっかくショコラが来たんだ。もう少しいいだろう。ほら、ショコラおいで。撫でてあげよう」

(そのショコラは殿下が怖がっている令嬢ルイーザですけれどね)

 ルイーザは笑顔で話しかけるヴィクトールに対してぷいとそっぽを向いた。昨日の発言を気にしていないわけではないのだ。捕食者の目はいくらなんでもひどい。

 しかしそんなルイーザの抗議は伝わることはなく、ヴィクトールは嬉しそうな声を上げた。

「見てくれレーヴェ! 他の子を構っていたらショコラがやきもちを妬いたぞ!」

「ガウ!」

(違うんですけど!?)

 勘違いをしたヴィクトールは、素早くルイーザのところへ寄ってきて、嬉しそうに撫でまわした。犬の身体能力でも避け切れないほどの素早さで、正直怖かった。

「ああ、可愛いなあ、仕事したくない、ずっとここにいたい……」

「訳の分からないことを言っていないで執務にお戻りください」

「……元々、王の器じゃないんだ。私はアーデベルトに王位を譲ってもいいと思っているのに……」

「わん! ガウガウ!」

(何無責任なことを! 義務を果たしなさいよ!)

 ヴィクトールの弱音にルイーザは思わず吠える。王妃になるために十年努力し続けた挙句無念の辞退となったルイーザにとって、聞き捨てならない言葉だ。

 一人息子として何の憂いもなく玉座を約束され、幼い頃から学ぶ環境を得られ、衣食住を心配する必要もない。更に言えば、両親からは一身に愛情を注がれている。国一番恵まれた立場に生まれている男の甘えた発言に、思わず苛立った。

 アーデベルトという男はたしかに王甥で王位継承権を持っていた。歴史上、直系王子の適性や健康状態によって傍系の王族が継ぐことがなかったわけではないけれど、王に健康な息子がいながら王位を継ぐなんてとんでもない。

「ほら、殿下が情けないとショコラも怒っておりますよ」

「ショコラ!! 私に活を入れてくれたんだね……!」

(その前向きさを執務にも発揮したらどうなのよ……)

 ヴィクトールは金色の瞳をきらきらと輝かせて微笑む。社交の場で見せるような愛想笑いではなく純粋な笑顔に、ルイーザはやれやれと首を振った。

 このような表情は、令嬢であったころには見たことがない。彼は蕩けるような表情で、そのままルイーザに頬ずりをした。

「いっそのことショコラをお嫁さんにできないかなあ」

「王妃様が怒りで卒倒するでしょうね」

「……レーヴェは無粋すぎるよ。でも、ショコラが応援してくれるなら私は頑張れるよ」

(えっ……ちょっと……)

 ヴィクトールは唐突にルイーザのもふりとした両頬を挟んで正面を向かせた、避ける間もなく唇を寄せたのだ。その瞬間、ルイーザの口に、ふにっとした柔らかなものがあたる。

 今起こったことが咄嗟に理解できなかったルイーザはまるで“犬のはく製”のように固まってしまう。

 何秒固まっていたかはわからないが、騎士の慌てたような大声によって硬直が解けた。

「何をなさっているんですか殿下‼ 犬の口には多くの雑菌が潜んでいるのですよ!」

「ガウッ‼」

(ちょっと、失礼ねそこの騎士! 唇を奪われた乙女になんて暴言‼)

 許可なく唇を奪う行為の衝撃以上に、レーヴェの物言いに憤って鼻先に皺を寄せた。現在のルイーザは犬であるので、レーヴェの指摘は至極真っ当ではあるのだが、心はまだ淑女のルイーザ的には納得がいかない。

「ほら、お前がひどいことを言うからショコラも怒ってる。ショコラはこんなにも可愛いんだから大丈夫だよ」

「なんの根拠にもなっていません! 軽率な行動はおやめください!」

「まったく、レーヴェは固すぎるよなあ、ショコラ」

(まって、苦しい……!)

 ルイーザはヴィクトールにぎゅうぎゅうと抱きしめられて更に頬ずりをされる。

(い、今のはノーカウントよ。私は犬だもの。ただ犬の口と人間の唇が触れただけ。ムードも何もなく初めての口づけが奪われたわけではないわ……)

 遠い目をしながら頼れる姉貴分(犬)マリーに助けを求めようとするも、彼女は既にその場から逃げていた。

 使用人からはいつも助けてくれるのに。

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