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こんにちは犬生活!?

 犬の朝はとても早い。夜会や舞踏会の後は、昼近くまで寝ているルイーザだけれど、カーテンのない窓から容赦なく入る太陽光のせいで日が昇る時間に覚醒してしまった。慣れないベッドに慣れない体勢で寝たため、体はバキバキ……になると思ったのだけれど、案外寝起きは悪くない。

 とりあえず起き上がり、体をほぐすようにブルブルと震わせた。案外すんなりと犬の仕草ができてしまうものである。

 昨日慰めてくれた黒い犬は自分のベッドで伏せているけれど、ルイーザのベッドの凹みを見ると、つい先ほどまでは隣に寝ていたことがわかる。

「くぅん」

(ありがとう、貴女のお陰で昨日の夜は暖かかったわ)

 お礼のつもりで声を出してみるけれど、ちらりと一瞥されて終わった。優しいけれど愛想はないようだ。

 ルイーザの耳に、人間の足音が届いた。犬になったおかげか、耳も良くなったらしい。

 ある程度離れている足音の主は徐々に近づいてくるようだ。心なしか、美味しそうな香りも近づいてくる。

 暫く待っていると、ルイーザたちの部屋の扉が開いた。

「お前たち、朝ご飯だぞー」

 器用に銀色のボウルを五つ持ちながら入ってきた壮年の男性は、笑顔で声をかけながら一つ一つボウルを床に置く。

 反応した先住犬たちがわらわらとベッドから出て、お行儀よく各ボウルの前に座る。

(え、まさか……この私に、床から食事をしろというの!?)

 一般的な令嬢……どころか普通の人間はまず、床に顔をつけて食事をとることなどないだろう。ルイーザにとっても当然未経験であるし、犬のように這いつくばって食事をとるなんて屈辱極まりない。犬だけれど。

「わふ! わふわふ!」

(ボウルでいいから! せめてテーブルを用意してちょうだい!)

「おお、遊んでほしいのか? ご飯が先だぞ~!」

(ちっがーう!!)

 必死に抗議するも言葉が通じない。壮年の男性は、ルイーザが甘えてきていると誤解したのか笑顔で頭を撫でてきた。憮然とした気持ちになり、ルイーザは首を振る。

「どうした、食べないのか? 体調悪いのかな?」

 男は心配そうな表情で、ルイーザ用のボウルを近づけた。ホームシックも否定できないけれど、今の問題はそこではない。食事そのものだ。ちらりと床に置かれたボウルに目を向けて、更にルイーザはぞっとした。

(な、生肉ぅ……!)

 ボウルに入ったのは、茹でられた野菜が少々と、火が通っていない生肉である。野菜は、まあいい。問題は生肉である。令嬢に生肉を食べろとはどういうことだろうか。

 王は、父は、この仕打ちを知っているのだろうか。屈辱を受けたルイーザの胸に、めらめらと怒りが湧いてくる。

「ほら、この肉は人間でも平民は食べられないような高級品だぞ。美味しいから食べな」

 ずずいとボウルが差し出される。今のルイーザは、耳と同じく鼻も利く。左右を見ると他の犬たちはボウルに顔を突っ込み食事をとっている。

 再度自分のボウルを見る。

 そう、今のルイーザは犬なのだ。心は令嬢だけれど、少なくとも体は犬である。つまり、目の前のボウルからは美味しそうな匂いがするのである。

(う、うう……これは、仕方なくよ! 食事をちゃんととらなければ、体が戻る前に餓死してしまうもの!)

 意を決して生肉と野菜が入ったボウルに顔をつけた。真上から、壮年の男性がホッと安堵の息をつく音が聞こえる。しかし、ルイーザはそれどころではなかった。

(うっ……どうしよう……)

 一口食べた瞬間の体に電撃のようなものが走る。自分をどうにか保とうと、必死に理性の糸を手繰りよせるが押し寄せる本能に抗えない。

(美味しい! お肉美味しい! どうしよう、こんな美味しいお肉初めて……!!!!)

 太い尻尾をぶんぶんと振りながら、ルイーザは食事──生肉にがっついた。


   *****


 食事後、ルイーザは精神が削られていた。

 あまりの美味しさに我を忘れて食事をしてしまったのだ。突然のがっつきっぷりに飼育員と見られる男は嬉しそうに「良かったな~」と撫でていたが、ルイーザ的に全然良くはない。

(どうしよう、戻っても生肉を欲する体になってしまったら……)

 ドレス姿で生肉を食べる自分を想像して、慌てて顔を左右に振った。

 恐ろしすぎる。あの穏やかな王太子は、生肉を食らう令嬢を見てどう思うだろうか。顔を引きつらせながら見て見ぬふりをするところまでありありと想像できてしまった。

 いや、王太子どころか普通の男性ですら、生肉を喜んで食らう令嬢と交際したいなどとは思わないだろう。

さらに、隠していたとしても犬として生活した時期があったことが露呈しないとは限らない。今のところ信頼できる人にしか明かしていないとはいえ、情報はどこから漏れるかなんてわからないのだから。

 もしかしたら同情くらいは得られるかもしれないが、一時期でも犬として地面に這いつくばっていた女性を伴侶にと考える人がいるとは思えない。それが高貴な身分であればなおさらだ。

 ルイーザは物思いにふけるように青空を見上げた。そう、今のルイーザは城の裏門から王宮までを守る番犬である。

 食事後に外に出され、何をしたらいいのかわからずに右往左往していたのだが、先輩たち(犬)はなんてことないように歩き回っているので、ルイーザも真似をして適当に歩いていた。

 王宮の内部にある、花が咲き誇る庭園とは違うけれど、整えられた芝生と等間隔に植えられた木は庭師の手がきちんと行き届いていることがわかる。

 裏門から出入りするのは、主に使用人や私的に王族に呼ばれた人たちだけなので、あまり人の姿はない。

(不審人物を見かけたら吠えればいいのかしら?)

 根は真面目で勤勉なルイーザは、雰囲気に呑まれて番犬の職務を全うしようとしていた。時折使用人らしき人が通りかかるが、ほかの犬たちは反応しないようで興味なさげに歩いている。

(どうやって不審人物を見分けるのかしら? 怪しいぞーって雰囲気が匂いとかでわかるの?)

 悩みながらも、他の犬に倣い周囲を警戒するように歩き回る。

 そのうちに、ルイーザはなんだか歩くこと自体が楽しくなってくる。

 令嬢であったころは、日焼けを避けるために日中の外出時は必ず日傘をさしていた。このように身軽に歩き回るなんて、初めてのことだ。

 警戒しつつも散歩を楽しんでいると、足早に誰かが近づいてくる。

「やっと見つけたー!」

「ガウガウ!」

(不審人物!)

「わっ! 違う、不審人物じゃない! 君を探していただけだよ!」

 突然声をかけられたから反応して吠えたけれど、近づいてきた人を見て確かに城内の人だと理解する。

 鳶色で目が隠れるほど長い前髪をしたその男は、黒いローブを身に着けていた。胸元には、王家の紋章が刺繍されている。おそらく、城付きの魔術師だろう。

「君が犬になった子でしょう? 陛下から頼まれて来たんだよ。ちょっと研究塔に来てもらうね」

「わふ……」

 勘違いに気恥ずかしくなるも、魔術師は特に気にした様子もなく「こっちこっち」と先導した。向かう先は魔術師が詰める研究塔だろう。いよいよ、この体を戻す術を探してもらうのだ。

 早く元に戻れば、実質辞退となった王太子妃候補に戻れるかもしれない。

 ルイーザは黒いローブを身に着けた、ひょろりと細長い男魔術師の後を追った。


   *****


 研究塔は、その名の通り城付きの魔術師たちが魔術の研究をしている塔である。魔道具の開発や調薬、稀に遺跡から発見された古代魔術の解析など、この国の様々な技術がここに集結している。勿論、一般人が立ち入ることは殆どない。

 通された一室には、用途のわからない道具や大きな魔石、変わった植物などが所狭しと並んでいる。

 ルイーザをソファに座らせ、彼女をここに連れてきた男も目の前のソファに腰をかけた。鳶色の髪から紫の瞳が覗く。あまり日に当たらないのか、そこらの令嬢よりも色が白そうだ。

 そして、明らかに若い。二十歳いくかいかないかくらいだろう。

「改めて、初めましてルイーザ嬢。今回の件を担当する、ノアだよ」

「わふん」

(こんな若造で大丈夫なの?)

「僕は若いけど天才だからね。むしろ、僕で無理なら他の魔術師でも難しいんじゃないかな?」

 思わずつぶやいたルイーザに対して、ニコリと目の前の魔術師──ノアが答える。自称天才とのことだけれど、ルイーザが驚いたのはその言葉ではない。

「ワン! わふん!」

(言葉わかるの!?)

「耳で聞いてるわけじゃないから、なんとなくわかるよ」

 犬になってから一晩。ルイーザは初めて誰かとまともに意思疎通ができた。父や母、飼育員に言葉は通じないのは勿論だけれど、先輩たち(犬)とも意思疎通が出来なかったのだ。

(感激だわ……!)

「うんうん、良かったね! じゃあ、ちょっと調べさせてもらうね!」

「ギャン!」

 そう言うと、魔術師ノアは笑顔でルイーザの尻尾をつかむ。

 動物の尻尾……更に言えばレディの尻尾を突然掴むのは、マナー違反である。ルイーザがただの犬だったら噛みついていたところだ。

 抗議の目を向けると、悪びれた様子もなく謝ってきた。

「ごめんごめん。本来人間にない器官だから、幻視じゃないのか確認したくて」

「キャン! キャン!」

(ちょっと! レディの体を気安く触らないで!)

「いや、調べないとわからないから。あと君、レディっていうか普通の犬にしか見えないから」

 そう言いながら、ノアはルイーザの体をあちこち触りひっくり返し時折何か魔道具を当てて調べつくした。周りにはわけのわからない道具が沢山置かれた薄暗く狭い室内で、無遠慮に体中をまさぐられたルイーザは、数分のうちにへとへとになってしまった。

 気になるところは大体見終わったのか、今度はノートに何かを書き込みながら唸っている。様子を見るに、すぐに解決! となるわけではないようだ。

 ノートを眺めながら考え込むノアをぐったりしながら見つめていると、外から来た足音がこの部屋の前に止まった。そうしてすぐに、室内にノックの音が響く。

 扉から顔を覗かせたのは、心配そうな表情をした父だった。

「わおん!」

(お父さま)

「ルイーザ! 昨日はきちんと眠れたか?」

「わふん」

(大丈夫、元気よ)

 ルイーザは意外とぐっすり寝てしまったのだけれど、逆に父は眠れなかったようだ。目の下には昨日はなかったはずの隈が浮かんでいる。

「ルイーザ嬢、大変だったな。痛むところなどはないか?」

「!」

 父の後ろから現れたのは、白いシャツとグレーのスラックスを身に着けた、黒髪に金の瞳を持つ壮年の男性。歩き回るためにあえて簡素な服を着たのだろうが、その身に纏う貫禄は隠しきれていない。がっしりとした逞しい体格に精悍な顔立ちをした、この国の国王陛下だ。

 令嬢時の癖で慌てて礼をとろうとするも、犬の姿で礼などはとれない。ソファから下りて首を下げようとするルイーザを、国王は手で制した。

「かしこまらなくてもよい。それよりも、王城内で起こった事件だ。未然に防げずすまなかった」

「わふ、わふん!」

(国王陛下のせいではございません!)

 優しき国王は、眉尻を下げて逆に謝罪する。非公式の場とはいえ、国王陛下に頭を下げられてルイーザは焦ったが、陛下は首を横に振り言葉を続ける。

「本来、このようなことが城内で起こるなど許されん。必ず、元に戻す方法を見つけよう。して、ノアよ。何かわかることはあったか?」

「多分、呪毒によるものだと思います。この国にはない異国の技術ですね」

 ノアはテーブルの上にノートを開き、指をさしながら説明する。

 見たこともない不思議な文字でつづられたそれは、近隣の国の言語を学んだルイーザが見ても何を意味するのか全くわからなかったけれど。

 一通りノアの話を聞いた国王と父は難しい顔で唸る。

 あまり、状況は良いとは言えないのだろう。そのうちに父は頭を抱えて項垂れた。

「犬の姿のまま長くとどまると、どういう影響が出るかわからない……か……」

「ええ、いつの間にか戻る可能性もゼロではありませんが、精神が体に引っ張られて本物の犬になる可能性もあります」

 ルイーザの体がビクリと跳ねる。

『精神が体に引っ張られる』というのは既に食事で体感してしまった。更に言えば、番犬業務の時にやたら外を歩くのが楽しく感じてしまったのも、その一つではないだろうか。

「一刻も早くルイーザ嬢を戻すのは勿論だが、成長速度についてはどうなっている? 犬と人間では、寿命が異なるだろう」

「器官はすべて犬のものですが、人間の時を刻んでいるようです。ただ……万が一ルイーザ嬢が元に戻れなかった場合、人間の寿命まで犬として生きることになると思います」

 何十年も犬として生きる可能性を考えて、ぞくりと冷たいものが背に走る。

 たとえ犬になったとして、『普通の犬』としては暮らせないのだ。単純な寿命でいくと、父や母よりも長く生きることになる。

 ルイーザには現在留学中の、いずれ伯爵家を継ぐ予定の弟がいるが、将来の妻が明らかに長生きすぎる犬などという不気味な存在を受け入れ世話をしてくれるとは限らないし、ルイーザとしてもそのような負担にはなりたくない。

 もっとも、戻れない可能性があること自体非常に恐ろしいのだけれど。

「とりあえず、僕は異国の書物から調べてみます。ルイーザ嬢には今後定期的に検査をお願いすると思います」

「ルイーザ、すまん……何もできない父を許しておくれ」

「くぅん、くん。 わふん」

(お父さまは何も悪くないわ。お父さまこそ、体に気を付けて)

 瞳に涙を溜め、項垂れる父の膝に額を擦りつける。一日で憔悴してしまった父が心配で仕方がなかった。自分が元に戻っても、そのころに父が体を壊していたらと思うと非常につらい。

 王も、申し訳なさそうに眉尻を下げていた。

「私からも、不便な生活を強いて申し訳ない。何かあればノアを通していつでも言ってくれ」

「わふ……わふん、わふん」

(食事は……生肉は食べたくないです)

「生肉は勘弁してくれ、と言っています」

 今朝食べた生肉のことを、ルイーザは引きずっていた。ただ食べてしまったからではない。それが妙に美味しく感じてしまったから困っているのだ。

 ノアがルイーザの言葉を通訳すると、王は目を見開いて驚いた。

「生肉……!? ルイーザ嬢には別の食事を出すように命じたはずだぞ……!? 飼育係からは、どの犬も美味しそうに食事をとったと」

「わうん!!」

(あれは完全に生肉でしたわ!)

「生肉だったそうです」

「おかしいな……こげ茶にセピア色の瞳の犬には茹でた野菜と焼いた肉を出すように言っておいたはずなんだが……」

 そこまで聞いて、同室になった犬たちを思い出しルイーザはハッとした。

 先住犬は、明るめの茶色が二匹、黒い犬とこげ茶色の犬が一匹ずつだ。

「わおーん!」

「もう一匹同じ色の犬がいたそうです。人違いならぬ犬違いですね」

 すまん、と国王は項垂れた。

 屈辱ではあるけれど、国王は悪くないので怒りは湧かなかった。流石に犬のうち一匹は令嬢だから別に食事を、と命じる訳にはいかないのだから。

 ただせめて、色の特徴の前に『新入りの』をつけてもらえたのであれば飼育員は間違えなかったのではないだろうか。

 しかし、先ほどまで通訳をしていたノアの発言はもっと残酷なものだった。

「どちらにしても、体は犬なので健康維持のために他の犬と同じ食事をお勧めします。犬にとって良いものは今のルイーザ嬢にとっても良く、逆に害になるものは同じように害になりますので」

「きゅ、きゅーん!」

(そんな、無理よ!)

「でも、ちゃんと食べられたんでしょう?」

「わう……」

 一刻も早く戻してもらえないと、人として色々と終わる気がした。


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