対峙
報告会という名のお茶会を終え、ルイーザはある場所へと向かっていた。城の中ではあるが立ち入ったことのない区間に目的地がある。
何度も訪れた王城ではあるが、徐々に見慣れない景色になっていった。そして、歩くルイーザの隣には付き添いとして連れてきた伯爵家使用人ではなく、何故か王太子とその護衛騎士がいた。
ヴィクトールが、同行すると言い出したのだ。
「……王太子殿下、流石にここまでお時間を頂戴するわけには参りません」
「気にしなくてもいい。この先で君を一人にするわけにはいかないから」
気にするな、と言われても正直困る。ヴィクトールがまだ付き添うと言った途端、騎士の眉間の皺が更に一本増えたことも、ルイーザはしっかりと目撃している。ルイーザがいる手前、特に苦言を呈することはなかったが、きっとまだ執務はたっぷりと残っているのだろう。
固辞したものの結局ヴィクトールが聞き入れることはなく、連れてきた使用人を待機のための待合室に残して三人で歩く羽目になってしまった。
目的地──ある扉の前で立ち止まる。
守衛に扉を開けてもらうと、装飾は殆どないもののなんの変哲もない内装の部屋だった。ベッドも机も椅子もあり、壁紙や床も汚れていない。そんな一見ごく普通の部屋ではあるけれど、壁際には屈強な兵士が控えている。
普通の牢のような物々しさはないものの、逃げられないように窓も嵌め殺しになっているそこは、貴族が罪を犯した際に拘束される隔離部屋だ。
室内にいるのは簡素なワンピースに身を包んだ少女。
夜会などで見かける飾り立てた恰好ではないけれど、確かに見覚えのある少女だ。ここは、メリナ・ノイマン伯爵令嬢が置かれている一室だ。
子爵家で開いたお茶会のあとすぐに、控えていた騎士に身柄を確保されて以来ずっとこの場所に置かれている。
アーデルベルトは王太子の後ろ盾になりうる候補の令嬢たちを一人一人候補から外れるよう画策していた。
ルイーザも対象の一人だった。実家ともども国王夫妻に気に入られ貴族からの評判のよかったルイーザが王太子妃になった時に、王太子の座を盤石なものにしかねないことから目をつけられていた。
そのルイーザを排除することの協力者として選ばれたのが、ルイーザに敵意を向けるメリナだった。
協力に必要だと多額の資金が支払われ、その資金とアーデルベルトが持つ人脈を使い遠い異国で作られる呪薬の入手に至ったという。
「……来ると思っていたわ。ルイーザ・ローリング」
ルイーザの入室を見とめたメリナが静かに口を開く。その声は低く落ち着いていて、心なしかいつものようにふんわりとした柔らかな雰囲気はない。
いつの間にか、ヴィクトールが兵士に外に出ているように指示し、部屋の中にはメリナとルイーザ、ヴィクトールとレーヴェの四人になった。
メリナの手によってルイーザが一時的に犬になっていたことは、公にはされていない。貴族の令嬢が犬として過ごしていたなどという話が広がれば醜聞になってしまうからだ。また、怪しい呪薬の存在を広く知られるのはよくないという判断でもあった。
ヴィクトールはルイーザの姿が戻った瞬間を目撃しているし、刺客を取り押さえたレーヴェも戻った後のルイーザを見ている。つまり、この場にいるのは事情を知る者だけになった。
「ええ。貴女が自分の手を汚してでも、私を排除しようとした理由を聞きたかったから」
「貴女が勝って、私が負けた。それだけじゃない」
王太子妃候補として有力だったのは、なにもルイーザだけではない。もっと家格が高い令嬢や美しい令嬢もいた。そんな中で、メリナ自身はルイーザのことだけを狙った理由が知りたかった。
例えば、ただ一令嬢に毒を盛った程度のことであれば修道院行きは免れないだろうが、いずれ赦される可能性がある。
もっとも、適齢期を修道院で過ごした未婚の貴族女性に行き場はなく、生涯を修道女として神に祈りながら過ごすことが大半ではあるだろうけれど。
ただし、今回のメリナはアーデルベルトに加担したことで、内々とはいえ国家転覆への関与について問われている。罪の重さは大きく違う。
多分、全てが終わった後は戒律が厳しく一生出られない修道院で過ごすことになるだろう。同じ修道院でも、場所によってその生活は全く違う。それが判らないほどメリナが浅はかだとは思えなかった。
「貴女は、狡猾だったし私にとってはいけ好かなかったけれど、頭は悪くなかったはずよ。アーデルベルト様が失敗したらどうなるかだって、わかっていたでしょう」
「貴女が嫌いだったから。それだけよ」
「私だって貴女のことは好きじゃなかったけれど、元々そんなに関わりもなかったでしょう?」
同じく、王太子を狙う令嬢たちは牽制し合うのが常だったし、ルイーザもメリナのことを良く思ってはいなかったけれど、強烈な悪意を向けられるほどのことをした覚えもない。
確かにルイーザは優秀と言われ王太子妃の有力候補と言われていたし、国王夫妻や高位貴族からの評判は良かったけれど、肝心の王太子との関係は良いとは言えなかった。むしろ、若干避けられていた節もある。逆に、同年代の若い子女からの評判だけで言えば、メリナの方がルイーザよりも良かったはずだ。
王太子自身が令嬢を選ぶよう言われていたことを踏まえると、王太子妃に最も近い令嬢とは言い難かったのだ。
「貴女にはわからないわよ。良い家に生まれて、両親から愛されて周りからも持て囃されていた貴女にはね」
「……優秀と言われているのはそうなるように努力したから否定はしないけれど。良い家って。貴女も同じ伯爵令嬢じゃない」
「……同じ伯爵令嬢? 貴女の能天気な姿を見ると腹が立つのよ。ノイマン家に引き取られてから遊ぶ内容も制限されて、勉強の進みが悪いと叱責されて。やっと社交界に出られたと思えば影で養子と蔑まれて。そんな生活、想像もできないでしょう? それなのに貴女は恵まれた綺麗な環境で、何も知らないって顔をしながら人に囲まれて笑ってた。同じ伯爵令嬢なのに、不公平だと思わない? 他の令嬢みたいに影で足を引っ張るようなこともしない。何か言われたら、真正面からぶつかっていく。そんなお奇麗で余裕ぶったところも、まるで周りの令嬢なんて相手にしないと言っているみたいで心から気に入らなかったわ」
メリナが語る言葉を聞いて、ルイーザは心の底から呆れかえった。
ルイーザが何かをしたとか、家同士の何かがあったとか、そういう理由ではない。ルイーザの心情が表情に出ていたのか、メリナは不快感を露わにする。
「……何がいいたいのよ」
「あまりにもくだらない理由で呆れているの」
「何ですって!?」
「劣等感と嫉妬で身を亡ぼすなんて、愚かすぎて呆れたって言ったのよ」
「持つ人間に持たない人間の気持ちなんてわからないのよ!」
「ええ、わからないわね。私だったら自分が持てないものを羨む前に、自分が持つものを磨くもの」
メリナは下唇を噛んでうつむく。これ以上話しても有意義な時間にはならないと判断して、ルイーザはメリナの部屋を辞した。
疎まれていた理由はわかったけれど、すっきりはしなかった。
ルイーザを殺す気まではなかった、と思う。ただ、死んでもいいと思われてはいただろう。メリナは王太子妃になりたかったというよりも、ルイーザを害したかったのだと感じた。
幼い頃に養子として引き取られたと父からも聞いていた。ノイマン伯爵自身も悪事の噂こそないものの、決して良い人柄とは言えない。彼女の幼少期から今までは、もしかしたら幸せなものではなかったのかもしれない。
けれどその詳細までは聞くつもりはないし、彼女の境遇に同情するつもりもない。
──あの行動力を、嫉妬ではなく別の方向に昇華できていればきっと違う人生だったでしょうに。
ルイーザにとっても、この結果は残念なものだった。
付き添いの使用人が待機する部屋の近くに来た時、ずっと何かを考えるように黙り込んでいたヴィクトールが、微笑んではいるもののどこか辛そうな表情で口を開いた。
「ルイーザ嬢は、すごいな。私は、幼い頃から出来の良いアーデルベルトと比べられ、嫉妬や劣等感に塗れていた。アーデルベルトを攻撃するのではなく、諦める方向に走ったけれど……正直、メリナ嬢の気持ちも少しはわかってしまう」
その瞳は、どこか眩しいものを見るように細められていた。ルイーザは、アーデルベルトこそヴィクトールの生まれ――約束された王位を持つ立場に嫉妬していることを知っていた。ままならないものだと思う。
「買いかぶりすぎです。私だって、嫉妬はします。それをメリナに教える義理はなかっただけです」
「人望もあり、優秀と言われる君が誰かに嫉妬することなんてあるの?」
純粋に疑問を抱く、という様子でヴィクトールは問いかけるが、ルイーザは別に完璧な令嬢ではない。多くの貴族から認められてはいたけれど、別に慕われていたわけではないのだ。あくまで、令嬢たちの中では優秀だったというだけだ。
「優秀と言われるのだって、単純に知識を取り入れただけで……何かの実務経験があるわけではないのです。自分よりも高位の令嬢を羨ましく思いますし……もし自分が女ではなく男として生まれていたら、もっと前に出られたのにとも思います。髪の色だって暗いこげ茶よりも華やかな色が良かったとか、宝石のような瞳に憧れます。……でも、どう足掻いても私は私にしかなれませんから。それなら、私の中で最高の私になれるように努力したいです」
「……そうか。でも……君の髪はチョコレート色で綺麗だし、キャラメル色の瞳も美しいと……思う」
慰めのつもりだろう。ぼそぼそと呟くようにヴィクトールがルイーザを褒めた。その言葉に、嘘は感じられない。
しかし髪と瞳の色は、令嬢の自分ではなく犬を重ねているような気がするのは気のせいだろうか。若干目が据わってしまうのは仕方がないだろう。
「ところで、先日求婚の件が曖昧になってしまったのだけれど……答えをもらってもいいかな?」
「責任は感じなくても大丈夫です。……それに、殿下は私を捕食者のようで怖いと仰っていたでしょう? 苦手意識を抱く相手との結婚がうまくいくとは思えませんから」
少々の嫌味を込めてルイーザは答える。
根に持ちすぎかもしれないが、本人が目の前にいると知らずに令嬢を捕食者扱いしたのだ。これくらいは許されるだろう。
ヴィクトールは心当たりがない、という表情をした後に、ルイーザが犬だったころに犬たちの休憩所で婚約者候補たちの印象をぼやいたことに思い至ったのか、少々気まずそうな表情をした。
「あー……。確かに、私は気が強そうな女性が苦手だった。その、令嬢に対して相応しくない発言をしたことも謝ろう。ただ、捕食者のようだと言ったその目は……今考えると、おやつを前にした時のショコラと同じ目で、寧ろ……悪く、ない」
まるで口説いているかのようにはにかみながらヴィクトールは言う。
ただ、その内容はルイーザをときめかせるにはあまりにも色気がなかった。おやつを前にした犬と同列に並べられて喜ぶ令嬢がどこにいるというのだろうか。その犬も自分ではあるのだけれど。
顔を引きつらせながら付き添っていたレーヴェに視線を送ると、騎士は目を閉じて首を左右に振る。「平常運転です」という心の声が聞こえた気がした。
「それに……王太子殿下の婚約者候補を辞退した後に今後の身の振り方も考えていました。犬になって、時間だけはたくさんありましたから。私、外交官を目指そうと思っています」
自分で身を立てられるようになれば、必ずしも結婚が必須ではなくなるだろう。
ルイーザが負った傷は、貴族令嬢として立場ある貴族に嫁ぐには瑕疵となるが、傷を気にしない準貴族あたりの文官との結婚もあるかもしれない。
乳母や侍女、王族女性につく女官以外で貴族女性が城勤めをした前例はない。遠い道のりになるだろうけれど、挑戦する価値はあることのように思えた。
「わかった」
真面目な顔で、ヴィクトールが頷く。
判ってもらえて良かったと息をついたが、次の瞬間その安堵はかき消された。
「結婚をしたら、外交の方は君に任せよう。幸い、私はあまり外国語が得意ではない」
「……ふふっ」
妙案だといった様子で胸を張りながら情けない主張をするヴィクトールに、思わず噴き出してしまう。
前々から自信がないとかどうとか言っていたけれど、この自由さを考えると、彼はかなり王族らしいのではないだろうか。
しばらく無言で見つめ合ったあと、ヴィクトールは自分の発言を思い返して恥ずかしくなったのか、頬を染めて目を逸らした。
「いや、まあ……兎に角、真剣に考えておいてほしい」




