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さようなら令嬢生活!?

 窓に映る自分の姿を目にしたルイーザは、気を失いかけた。叫ばなかっただけまだましだろう。王宮の一室から犬の遠吠えが聞こえたら大問題である。

 伯爵家に宛がわれた休憩室には、未だ顔色が戻らない父と瞳に涙を溜める母。そして、豪華な城の一室には不釣り合いな、大型犬がいた。

 両親の目の前で、ルイーザは犬の姿に変わってしまったのだ。

 セピア色の瞳は元のまま。全身を纏う毛も、人間の頃と同じくチョコレート色だけれど、三角の耳はピンと上に立ち、鼻先は太く長い。ふさりとした大きな尾もついている。どこからどう見ても逞しい犬である。

「ああ、なんてことだ……可愛いルイーザがこんな姿に……」

「ルイーザ……やっぱりルイーザなのね。可哀想なルイーザ……」

 父が片手で顔を覆い、母は目に涙をためてルイーザを抱きしめた。

 最初は気を失ったけれど、意識が戻り夢ではなかったことを理解した母は、こんな姿でも迷わずにルイーザを抱きしめてくれる。母のぬくもりに、犬の姿だけれど涙が出そうになった。

「あなた……ルイーザが元に戻る方法をなんとしても探さないと……こんな姿……あまりにも……あら、すごく毛艶がいいわね……さすがルイーザだわ」

(……お母さま、撫で方が娘に対してのものじゃなくなっているわ。あっ……首元はダメ……耳元もダメ……!)

 背中を優しくなでていた母の手がいつの間にか首元や耳の後ろをわしゃわしゃと撫でまわす。ルイーザは思わず腹を見せてしまいそうな衝動をグッと堪えた。

「ま、マチルダ! 落ち着きなさい。犬の姿だけれどルイーザだ!」

「あっ、あらやだ、ごめんなさいねルイーザ」

 ほほほと笑ってごまかす母をルイーザは恨めし気な目で見つめた。

 人間時の特徴を引き継ぎ毛艶が良いのは認めるが、あれは完全に犬扱いした手つきだった。父が止めてくれなかったら今頃、ルイーザは腹を見せ母は腹を撫でまわしていたことだろう。

「……この人知を超えた力は、多分魔術によるものだと思う」

「くぅん……」(魔術……)

(言葉も話せなくなったのね……)

 筆談しようにも、犬の手ではペンなど持てない。何を話しても、わふわふクンクンと人語にはならなかった。ルイーザはしょんぼりと耳を寝かせる。

「魔術って、姿を完全に変化させることなんてできるの? 変化といえばせいぜい、髪や目の色を変える程度ではなかったかしら」

 母が首を傾げる。

 この国には、魔術を扱う人物が少数ではあるが存在する。しかし、魔術とは決して何でも可能な夢のような力ではない。

 冷気を出したり、逆に温めたり、光を発したり。何かの色を変化させたりといったことが主な用途である。もちろん、清潔な水や十分な灯りや室温の維持といった生活の根幹を支える非常に大事な技術であることに変わりはないが、何かを無から作り出したり、逆に消失させたり、元の形を大きく変形させるような事例は聞いたことがない。

「私は専門家ではないのでわからないが……。他に可能性がない。陛下に頼み、魔術師に相談しようと思う」

「ええ、私たちで悩んだところできっと、何もできないものね……」

 母が悲しそうに眉尻を下げてルイーザを撫でる。毛並みを楽しむような手つきはもう気にしないことにして、ルイーザは母の愛に感動した。

「舞踏会中ではあるが、どうにか時間を作ってもらえるよう陛下に願い出てくる。ルイーザ、マチルダ。少々待っていてくれ」

 父が出ていった扉を暫く眺めたのち、ルイーザは溜息をついた。

心配そうな表情の母と目が合うと、できるだけ安心させるように微笑む──ことはできなかったので、仕草で伝わるように母の手のひらに額を擦りよせる。母は、そのたおやかな手で無言のまま、ゆっくりと頭を撫でてくれた。


 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。王太子妃の座を目指して、幼いころからあらゆる方面で頑張ってきた。

王太子の心は射止められていないけれど、貴族達の評判は悪くないし、国王夫妻にも悪い印象は与えていないはずだ。

 ライバルたちには多少意地悪なことをすることもあったけれど、同じように意地悪をされることだって少なくなかった。

 しかも、ルイーザは弱い立場の令嬢を一方的に責めるようなことなどしたことがない。同格の者と牽制し合ったり、やられた分をやり返したりしてきただけだ。

 犬の姿になるような、悪い事をしたのだろうか。


 ぼんやりと考えていると、どれほどの時間が経過しただろうか。室内に再びノックの音が響き、父が戻ってきたようだ。

 これだけの時間が経過したということは、陛下と話すことはできたということだろう。しかし、父は浮かない表情をしている。話し合いの結果は、良くないものだったのだろうか。

「まず、陛下から城付きの魔術師への相談の許可が下りた。城内で起こったことだから、問題ないとのことだ」

 母とルイーザは二人で胸をなでおろした。

 もし城付きの者に相談できなければ、フリーの魔術師を探さなければならなかった。

 魔術師の存在は非常に希少である。殆どが研究者として城に所属しており、城に所属していない魔術師は総じて人嫌いなのだ。探し出すことすら困難な上、彼らは基本的に利を求めない者が多い。

 つまり高額の金銭を積んでも興味を引けなければ依頼を受けてもらえない可能性がある。

 一旦、「相談できる魔術師を見つける」というところまではクリアできた。しかし、だとしたら父の浮かない表情は何だろうか。 

 重々しい表情で、父は言葉を続けた。

「陛下に聞いたところ、やはり人が犬に変化するなど前例がないそうだ。解析には時間がかかる可能性があるため、表向きルイーザは体調不良のために領地で療養をする、ということになる。ルイーザには酷だと思うが……王太子殿下の婚約者候補は事実上の辞退となるだろう」

「くぅん……」

「そんな……ルイーザ……」

 母が涙を浮かべ、父は悔しそうな表情をした。

 両親はルイーザが王太子妃を目指すことを心配はしていたけれど、血の滲むほどの努力をしていたことも知っているのだ。

 しかし、父の表情の理由は、それだけではないようだった。

「そして、解析のためにルイーザ自身を邸に連れ帰ることもできない。暫くは王城に留まってもらうことになる」

「ルイーザは、この姿なのに……!?」

 母は悲痛な声をあげてルイーザの体をぎゅっと抱きしめた。

犬の姿で、客人として王城に滞在するのはまず無理だろう。例えば小型犬サイズであれば、母が愛玩犬として連れ歩くこともできたかもしれないが、ルイーザの姿は人間の子供よりも大きく立派な体躯を持つ大型犬だ。

驚きに目を見張る母から、父は気まずそうに目をそらした。

「幸い、犬種は王城の裏庭の警備をしている番犬と一緒だ。だから、その……、……暫くは、番犬の振り……をしてもらうことになるだろう……」

「そんな……」

(嘘でしょ──!?)

 狭い室内に、「アオーン」と犬の雄たけびが響いた。


   *****


「力になれなくてごめんなさい、ルイーザ……時々様子を見に来るわ……」

「すまない、すまないルイーザ……」

「くぅん、くぅん」

(お父さまもお母さまも悪くないわ)

 そう、両親は何も悪くない。悲しそうな顔をする両親を見て、ルイーザの方が逆に申し訳なくなる。

 ルイーザ自身絶望しているが、一人娘がこんな姿になってしまった両親だって、悲しんでいるのだ。

 涙をためながらルイーザを撫で、両親は一旦帰路についた。

 ルイーザが犬になったことを知るのは、王と側近の一人、そして一部の魔術師と両親だけである。

つまり、普通の伯爵夫妻がこの場に留まるのは非常に不自然なのだ。

(お父さまもお母さまも悪くないわ。……悪くないのだけれど……番犬の振りとは言われたけれど……)

 ルイーザが人目を避けるように連れてこられた建物は、彼女が思っていたよりもずっと清潔感があった。掃除の行き届いた室内に、ふかふかのベッド。

 扉はないけれど、トイレだって別室に設置されている。

(普通に犬舎に放り込まれるとは思わなかったわ!!)

 ここは、番犬たちが多く飼育されている犬舎だった。


 ルイーザが宛がわれた部屋には、新しく設置されたルイーザ用のベッド(もちろん丸い犬用ベッドである)を含めて、五つのベッドが設置されている。

 つまりこの部屋には四匹の先住犬がいた。王宮の番犬の雌犬用の部屋である。

 少し明るい茶色い犬が二匹、黒い犬が一匹、そしてルイーザと同じチョコレート色の犬がいるが、いずれも犬種はルイーザと同じものらしく、大きく立派な体つきをしている。

 夜も遅い時間帯のせいか、各々のベッドの上からこちらを眺めている。

(どうしよう、これ、挨拶とかするべきなのかしら……?)

「わふん」

(ごきげんよう)

 新入りを見ていた先住犬たちに、お座りの体勢から尻尾を振ってみたのだが、興味がなさそうに顔を背けられる。

 王太子妃候補は辞退になるし、両親には置いていかれるし、挙句犬に無視される。遣る瀬無い気持ちになった。無視をされず犬の挨拶──お尻のにおいを嗅がれてもまあ困るのだけれど。

 ルイーザは諦め、ベッドの上に丸くなった。

 生まれて十八年。令嬢としてしか生活したことがなかったのに、暫く番犬の振りをしろだなんて。明日から、ちゃんとやっていけるのだろうか。

 そもそも、番犬の振りとは何をしたらいいかわからない。もちろん、本格的に番犬をする必要はないのだろうけれど。

 少なくとも、犬らしく振る舞う必要はあるだろう。

 今日は本当に踏んだり蹴ったりだ。数時間前までは綺麗なドレスを着て、ダンスを踊り貴族と話し、まっとうな令嬢として社交に勤しんでいたというのに。

 更に、舞踏会での出来事──王太子と令嬢たちの視線を思い出す。

 あの時はひたすら怒りが湧いていたけれど、今は無性に悲しくて悔しい。小さいころから頑張って、娯楽の時間もすべて勉強に充てたというのに。

「くぅ~ん……」

(何でこんな目に遭わないとといけないの……)

 思わず涙がこぼれる。犬の姿でも、人間と同じように涙を流せるのかとどこか冷静な自分がいて驚いた。

 その次の瞬間、一匹で寝るには少々大きいベッドの端が少し沈む。

 ルイーザの目の前に先ほど無視をしてくれた、大きな黒い犬がいた。窓から月明かりのみが入る薄暗い部屋に、ぼんやりと黒い体と金茶の瞳が浮かんでいる。

 犬はペロリとルイーザの頬を舐めると、ルイーザに体を寄せて眠る体勢に入った。

(ホームシックになった新人だと思って、なぐさめてくれているのかしら?)

 鼻先でつついてみると、ちらりと煩わしそうな目を向けられるが去る様子はない。

(お姉様がいたら、こんな感じだったのかしら)

 寄せられた体温の温かさに、ささくれだっている心が解れたような気持ちになり、ルイーザはゆっくりと眠りに落ちた。

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