城内の異変
朝から、裏庭を通る使用人たちは何故か慌ただしい。裏門にも、何度か商人が訪れいつもよりも食品などが多く仕入れられているようだ。どんなに人間たちが忙しそうにしていても、犬たちの仕事に変化はないのだけれど。
(何かあるのかしら……? お父さまも、暫くは忙しくなると言っていたわね)
今年は王太子が婚約者を決めるよう国王夫妻に言われていることもあって、確かに城内での催しは例年よりも多い。
ただ、こんなにもばたばたとしていることは今までになかった。
何が起こっているのか気になったルイーザは、二人で歩いている下級メイドの姿を遠目に見つけると、話を聞くためにそっと耳を立てた。
「──結構、行動派の王女様よね。結婚前に嫁ぎ先の国を見てみたいから、だなんて」
「アーデルベルト様との出会いも城下だったというし、女性が自由に行動できるお国なのかしら」
でも、急すぎて困るわよね。と片方のメイドが肩を竦めた。どうやら、隣国の王女の訪問が突然入ったためにみんな忙しくしているようだった。
(アーデルベルト様、ということは縁談が噂になっている第四王女のことよね?)
アーデルベルトが隣国の王族と縁づき、力をつけるのではないかと父が懸念していたことを思い出す。
それにしても、普通国賓が訪問するとしてもこんなに城内が慌ただしくなるのは珍しい。そんなにも突然訪問が決まったのだろうか。
「でも、なんだかロマンチックよね。お互い身分を隠して惹かれ合うだなんて」
「うん、恋愛小説みたい」
若いメイドたちは頬を染めてきゃあきゃあと盛り上がっている。
身分を知らず恋に落ちる──確かに一見すると恋愛小説のようではあるが、アーデルベルトのような人間が簡素な服を着て城下を歩いたとして、平民に見えるのだろうかとルイーザは首を傾げる。
貴族のお忍び風、といってもやはり高位貴族ともなると、普通は整えられた髪型や普段の仕草などから、ある程度の育ちはにじみ出てしまう。
騎士団に所属している者であれば貴族であっても下町に出入りするので、わからなくもないのだけれど。アーデルベルトは城下を歩く平民に馴染めるような人間とは思えない。
(それにしても、今の状況で知らない人が多く出入りするのはいい状況じゃないわね……)
メリナの態度が気になるとはいえ、ルイーザには誰が本当の敵かわからないのだ。メリナが何らかの関わりを持っている可能性は高いのだけれど、ノイマン伯爵家だけでルイーザを陥れられたとは思えない──協力者・または黒幕が他にいる可能性が高いのだ。
(もう少し、何か聞けないかしら。王女が来るのはいつだとか──)
うろうろと歩きながら、他に二人以上で連れ立っている使用人がいないか探す。使用人たちの世間話の盗み聞きとはいえ、人間とあまり関わることのないルイーザにとっては貴重な情報源だ。
「ショコラじゃないか」
聞きなれた声に振り向くと、小包を持った騎士が立っていた。王太子ヴィクトール付きの騎士レーヴェである。裏門で何かを受け取った帰りだろうか。
ルイーザが近寄ると、レーヴェは屈んでルイーザの顔を撫でた。
(ショコラではなくてルイーザなんだけどね)
「殿下は今忙しくて中々お前のところに来られないんだ」
(それも、隣国の王女の件かしら?)
「まあ、王女の訪問が過ぎたらまた少しは時間が空くだろうから、来週まで殿下のおやつは待っていてくれ」
「わん!」
(そんなに食い意地張ってないわよ!)
まるでおやつをいつでも欲しがる食い意地の張った犬として扱われているようで、ルイーザは憤る。怒ったところでレーヴェには全く伝わらないらしくガシガシと頭を撫でられてしまった。
しかし、レーヴェの言葉から隣国の第四王女訪問の時期がわかったのは収穫だ。時間が空くのは王女訪問が終わる来週、ということは少なくとも数日以内に王女が来るということだろう。
大抵一か月前には先ぶれが出され、失礼のないように十分な期間をもって準備が進められるものだ。
(王族の訪問としては、あまりにも日がないわよね……って、何!?)
考え事をしていたルイーザを撫でていたレーヴェの手は、ふさふさとした毛に覆われた首回りから突然脇腹の方に移動していき、胴部分を確かめるようにぐりぐりと動かされる。
「……やっぱりお前、ちょっと太ったか?」
「ガウ!」
(冬毛!)
換毛期により、冬毛になったルイーザは夏場よりもモフっとしているのだ。間違っても、太ったとかではない。ヴィクトールのおやつは美味しくいただいているけれど、食べすぎたと思った時はたくさん裏庭を歩き回っているから大丈夫なはずだ。多分。
レディに対して太ったとデリカシーのないことを言うレーヴェを懲らしめてやろうと、ルイーザは騎士服に体をすりつけた。
「何だ? 遊んでほしいのか? 俺もそんなに暇ではな──うわっ!」
ルイーザがいじめられているとでも思ったのか、レーヴェの後ろからいつの間にかやってきたマリーが黒い毛に覆われた体を押し付ける。
傍から見るとじゃれついているように見えるが、マリーが──というよりもルイーザ以外の犬が飼育員以外に体を押し付けるのは非常に珍しい。犬に挟まれて尻もちをついた騎士は困った顔で二匹を宥めようとする。
「何だお前たち突然──あっ、毛が!」
そう、換毛期はまだ完全には終わっていないのだ。毎朝、馬番から人手を借りて犬たちはブラッシングされるのだけれど、抜け毛は不思議と無限に湧いてくる。
一度服につくと中々自然にはとれない犬の毛に存分に困るがいいと、毛だらけになった騎士服を眺めて、ルイーザは満足そうに鼻を鳴らした。
「うわぁ……これなんとかしてから戻らないとな……。まったく、悪戯もほどほどにしろよ」
レーヴェは二匹の頭をわしゃわしゃと撫でてから去っていった。背中まで毛がついているため取りきれることはないだろう。「あの騎士、犬の毛がついてるわ」と可愛らしい侍女に笑われればいいとルイーザはほくそ笑む。
騎士服を毛だらけにするミッションを手伝ってくれたマリーは、金の瞳を一瞬細め、無事を確かめるようにルイーザの首に己の首を擦りつけると、すぐにどこかへ行ってしまった。
(私がいじめられていると思ったのかしら? マリーはやっぱり優しいわね)
マリーは飼育員以外の人間には懐いていないのだけれど、ルイーザを含む同室の犬たちを守るような行動をとることが時折ある。犬という動物は仲間意識が強いというのは本当だったのだなぁとルイーザは納得した。
(そういえば、黒い毛に金の瞳って王族と一緒ね。まるで気高く優しい王女様だわ)
そう思うと同時に、ルイーザの脳裏に黒髪で金の瞳の人物が思い浮かんだが、ふるふると首を振って打ち消す。
その男は、優しいかもしれないが気高くはない。どちらかというと自分に自信がなく王位なんて興味がないと情けない発言を繰り返すような男なのだから。
*****
「ただ今戻りました」
騎士服についた毛をどうにか手で叩き落とし、心なしか疲労を感じながらレーヴェは王太子の執務室に入る。
執務室の中では、主であるヴィクトールが疲れた表情で机に向かっていた。
第四王女の急な訪問の知らせが入ってからというもの、主は机に向かうのを余儀なくされていた。
急な訪問とはいえ国賓である王女が来訪する以上、歓迎の舞踏会や晩餐会等の催しを開かなければならない。城内の人間たちと同様、彼もその準備に追われているのだ。
「こちら、頼まれていた物が届きました」
「ああ、ご苦労様」
レーヴェが抱えていた小包を執務机に置くと、ヴィクトールは丁寧な手つきでそれを解いた。
中を開くと、少年が好むような冒険小説が現れる。一見すると何の変哲もない装丁の裏表紙に、ヴィクトールがペーパーナイフを差し込むとぱきりとハードカバーが割れて中から手紙があらわれた。紛失しても容易に人手に渡らないようにされた、密書である。
玉座というものは、どんなに望まないものであったとしても無条件で明け渡せるものではない。しかるべき手順で王位を譲れるのならばまだしも、強引な王位簒奪を狙われるようなことであれば臣下や国民に余計な混乱を招いてしまう。
ここ数年のアーデルベルトの尖ったような雰囲気が少々気になることもあって、常に動向には目を光らせているのだ。
それに関連して隣国に放っていた密偵から届けられた手紙を開いて、ヴィクトールは唸った。
「第四王女訪問の裏に何かあるかと思ったのだが、本当に王女の思いつきのようだ」
「王女とはいえ身分の低い側室の娘とのことですから、ある程度自由に行動できるのでしょう。その国では、貴族女性でも職を持つのは珍しくないようですから」
「高貴な身分の女性が一人で他国へ渡れるというのはうちの国では考えられないのにな。近隣の国でも考え方が随分違う」
ヴィクトールの言葉にレーヴェも頷く。あまり活動的な女性をよしとしないこの国の貴族女性であれば、一人で他国に行きたいというのは世間の目も気になるために親ないし配偶者が許さないだろう。
「王女の近辺だけ調べた限りでは王女の思いつきということになるかもしれませんが、アーデルベルト様と王女の間でなんらかの個人的なやりとりがあった上での行動の可能性もないとは言えませんね」
そのあたりの予測に関しては、武で仕える騎士よりも、知に秀でたファルクのような補佐官の方が相応しいだろう。今は席を外しているが、後ほど聞いてみようとレーヴェは考える。
「王家への信用問題にかかわる手前私から言うわけにはいかないが、もしアーデルベルトが穏便に話し合ってくれるのであれば、王太子の座を渡す方法も模索できたというのに……」
「馬鹿なことを仰らないでください。その時殿下はどうなさるおつもりですか。両陛下も、殿下が王になることを望んでおります」
「私は信仰の道に目覚めたといって神殿に入ってもいい。結婚願望もないし、俗世に思い入れがあるわけでもない」
王族や貴族の次男坊以下が神殿に入るのは珍しいことではない。
基本的には神殿で過ごし、社交界から離れ清貧な生活を強いられはするが、全く外に出られないわけではないし、還俗の例がないわけでもない。王となり国を牽引することに興味のないヴィクトールにとって、そう悪い道でもなかった。
「そうだ、私が神殿に入った暁には犬を神獣とするのはどうだろうか。神殿で沢山の犬を飼おう」
「既に、国教の神獣は鷲獅子と定められております」
「親しみやすさと可愛さがあればもっと広く民の信仰心を集められると思わないか?」
「信仰対象に親しみやすさは不要かと思いますが、可愛らしさを求めるのであれば兎や猫の方がよいのでは?」
「はっはっは、馬鹿だなあレーヴェ。兎や猫じゃあ威厳がないだろう」
まるで正論を言うようにヴィクトールがばしばしとレーヴェの背を叩きながら笑う。
犬も猫も兎も威厳に関してはあまり変わりないのではと少々理不尽に思いながらレーヴェは微妙な表情になる。
そんな時、ふと叩く手を止めたヴィクトールが突然真顔になって問いかけてきた。
「……ところでレーヴェ。お前何故ショコラの毛をつけている?」
「怖っ! 毛でどの犬かわかるのですか!?」
「いや、カマをかけただけだが……本当にショコラと戯れていたのか! ずるい、私はここから出られないというのに……お前は遊んだのか……!」
ヴィクトールは恨めし気な目で騎士を睨む。ここ数日忙しくしているヴィクトールは、犬舎へと行く時間が取れず、息抜きといっても執務室を出てすぐの中庭で十分程度外の空気を吸う位の休憩時間しか設けられなかった。
「いえ、別に遊んでいたわけではなく……」
「ちょっと待て、黒い毛もついているぞ! お前、ショコラだけでなく他の犬とも戯れたのか!?」
ぎりりと歯を噛み合わせる音が今にも聞こえそうな表情でヴィクトールが唸る。
こげ茶と黒の抜け毛なんて見た目でそうわからない筈が見分けてしまうヴィクトールに内心で慄いた。
レーヴェとしては、決して犬たちと遊んできたわけではなく向こうから絡まれただけなのだけれど、それを言うと火に油ということは明確なので何も言うことができない。
執務室から出られずストレスが溜まっている主を宥める言葉は何も思い浮かばなかった。
勿論、その後哀れな騎士が多くの仕事を言いつけられ尋常じゃないほど多忙になることは言うまでもなかった。




