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閑話

「未だ殿下はお相手を選んでいらっしゃらないという。全くお前はいつになったら結果が出せるのだ」

「申し訳ございません」

 いらいらと落ち着きなく体を揺らす父にメリナは頭を下げる。ここで少しでも反抗的な態度を見せれば厳しい折檻が待っていることは、伯爵家に引き取られてから嫌というほど身をもって学んできた。

 表面上は、不甲斐ない自分を恥じるような表情を作り、この無駄な時間が過ぎ去るのをひたすらに待つ。

「今はたいして有力な令嬢はおらぬというのに……やはり所詮は下賎の血か」

(その下賎の血とやらに手をつけたのは貴方でしょうに)

 蔑むような声で吐き捨てる男に心の中でだけ言い返す。

 メリナの母は父の言う下賎の血──つまりは平民だ。それなりに大きな商家に生まれた母は行儀見習いとして上がった伯爵家で父のお手付きとなった。母がメリナを身ごもった途端、面倒になった父がそこそこの寄付金と共に女子修道院に押し付けたという話は、幼少期を過ごした女子修道院にいた者たちの口さがない噂話で知っていた。表向きは神に仕える清廉な修道女も、内部では下世話な噂話を好む普通の女たちなのだ。

 母に撫でられた記憶も、抱きしめてもらった記憶もメリナにはない。メリナに物心がついたころから、いつも母は泣いていた。

 手ひどく捨てられたというのに、未だ父を愛し、いつか迎えに来てくれるはずなのだと言いながら。

 何年も嘆き続ける母を見ては、馬鹿馬鹿しい、と子供心に思っていた。身分の高い男に適当に遊ばれて、嫁ぎ先がなくなり修道院に来ざるを得なくなった女性は母だけではなかったのだ。愛なんて安っぽいもので、人生を棒に振った女はいくらでもいる世界だった。勿論、メリナのように修道院で産まれてしまう子供も。どの子供も、メリナと同じように擦れていた。

 母の死後すぐに、下品なほどに煌びやかな恰好で血縁上の父が引き取りに来たことはよく覚えている。清貧な暮らしにも、女だけの穏やかとは言い難い人間関係にも嫌気がさしていたメリナは、二つ返事で養子の話に飛びついた。

 このまま修道院に身を置いても、そのまま修道女になるか安賃金で働きに出るか。最悪の場合、娼婦に身を落とすことになる。そんな暗い未来しかないのであれば、胡散臭くとも差し伸べられた手に飛びつくしかないと思ったのだ。

 とはいえ、伯爵家で待っていたのは思い描いていたような裕福で幸せな暮らしではなく、愛情なんて欠片も感じられない冷めた父と、厳しい教育と義母や異母兄の蔑むような視線だったのだけれど。

義母からしてみれば、夫の不貞による子供なんて愛せるわけではないとは理解しているが、メリナだって好きで不貞の子に産まれたわけではない。

それでも、修道院に戻されてあの貧しい生活に逆戻りするよりは幾らかマシだと思いながら、与えられる理不尽に今まで耐えてきたのだ。

「今しばらくお時間をいただければ、必ず良い報告ができましょう。お父様が仰る通り、現在婚約者候補に名を連ねている令嬢は取るに足らない者ばかりですもの」

 メリナは先ほどまでの殊勝な表情を消して、少しだけ傲慢に唇で弧を描いた。

 こういう時は、自信あり気なこの表情の方が説得力があるということを知っている。思った通り、満足気な表情で頷いた父は掌を翻して退室の許可を出した。


 華美な装飾がされた執務室を辞してほうっと息をつく。大きなことを成す度胸もないくせに矜持ばかりが高い小狡いメリナの父をよく表している、薄っぺらな張りぼてのような内装の部屋は息が詰まる。

(王太子は、最終的に私を選ぶわ)

 そう遠くない未来、嫁いでさえしまえばもう父の顔色を伺う必要もないのだ。こうして立ち回るのもきっとあと僅か。

 父は王太子妃となったメリナに便宜を図ってもらう気でいるのだろうが、メリナにはそのつもりはない。

 利用価値があるから引き取っただけで、愛情や暖かな家族を与えてくれなかった伯爵家に恩義なんて一切感じていないし、下手に便宜を図るよりも婚約者となった暁には宮廷で自分の立場を盤石なものにするために行動したい。

 余裕ができたら身分を与えてくれた礼程度に考えなくもないが、優先順位は非常に低い。


   *****


 メリナは今日あった出来事を思い出して自室に向かう途中でくすくすと笑みを漏らす。

 動物に人が化ける薬だと聞いた時は正直半信半疑だった。プライドばかり高くて胡散臭い協力者のことも、動物の一部を混ぜればその姿に変身させられるなどという眉唾物の薬のこともあまり信頼していなかったからこそ、手軽に入手できた王宮の犬の毛を選んだけれど、こんなことならネズミや虫に変化させても良かったかもしれない。

 まあ、もし成功したとしても王城の中に突然犬が現れたとしたら外に放り出されるか駆除されるかのどちらかだろうと思っていた。

 件の舞踏会から数日後、ルイーザは体調不良により領地へと戻ったと聞いたから、やはりあの薬は偽物だったのだと思っていたのに。

 ぬくぬくと暮らしているのは誤算だったが、あの矜持の高い令嬢が、犬の振りをしながら生活していると思うと十分胸がすく思いだった。 

(ご自慢のダンスも教養も、犬の身体では持ち腐れね。平民の世話係に必死に尻尾を振って、裸足で外を駆けまわるだけの生活なんて、惨めすぎて笑えるわ)

 哀れな元令嬢の姿を思い浮かべて、メリナはにんまりと笑みを零した。

 前から気に入らなかったのだ。家柄も飛びぬけていいわけではないくせに、大して王太子に気に入られていた訳でもなかったくせに、年配の貴族に少し気に入られているからといって婚約者候補筆頭だなんて呼ばれていい気になって社交界を闊歩する姿が鼻についた。

(若い世代の殿方の支持は私の方があるし、容姿だって少しきつめの顔立ちのルイーザよりも私の方が可愛らしいわ)

 負ける要素なんて、本来はこれっぽっちもないはずだというのに、父からは事あるごとに彼女と比べられ叱責されてきた。あちらは国外の賓客と通訳なしで歓談していただの、王妃に非公式の茶会に呼ばれただの、さる公爵家の夫人に褒められていただのと、ルイーザの様子と比べ、なぜお前はできないのだと。

 それももう終わりだ。犬の姿では貴族として振る舞うことはおろか人間と口をきくことすらできないのだから。

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