第4章 その11 遺言
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アトクが大量に喀血したのを見て取ったカントゥータは、一瞬、心配そうに顔を歪め、兄アトクのもとへ駆け寄りそうになった。
が、動揺を抑えて立ち止まり、呼吸を整えた。
腰帯の後ろに差していた片刃の剣を引き抜いて、構える。
腕の長さの半分ほどで、反りが入った片刃剣の表面には、特徴のある、水面や木目にも似た縞模様が、くっきりとついている。ウーツ鋼という、素材の特徴だ。
「ほう」
アトクは瞠目する。
「見たことねえ武器だな。だが噂は聞いたことがある。よく切れるし、錆びない剣だと。一度は触ってみたかった。グーリアじゃあ、剣は流行らねえから、手にしたことはなかったが」
口から血をこぼしながら、アトクはなおも、初めて目にする武器への興味に突き動かされ、嬉しそうに目を輝かせた。
「北方との交易で入ってきたんだ」
カントゥータは、その剣で、アトクとの激突でちぎれたスリアゴの紐をふつふつと切って落とした。腕にからみついて動きの邪魔になりそうだったのだ。
「村には鍛冶がいねえからな」
アトクは苦笑した。
森林限界よりも標高の高い『欠けた月の一族』の村では、鉄を溶融に至らしめるために大量に必要になる炭などの燃料が足りないことなどの理由で、鉄は精錬されなかった。
材料としての隕鉄は、山地で、たまに見つかることがある。
そういった素材は他の地域への交易に出され、重宝がられている。
「鉄製品は交易でしか入らねえが、そうか北を経由してるのか……リサスが働きに行ったガルガンドだな」
村に一振りしかない鋼の名剣を携えているということは、カントゥータが、次期村長として皆の期待を一身に背負っていることを示している。
だが、そのことにはアトクは触れないし、カントゥータも自慢する訳でもない。
「リサスは賢いやつだった。こんな田舎にゃ向かねえ。だけどもしリサスがここにいたら、あいつと戦えたかなあ。なあ、三年前の投石戦争は、楽しかったな、妹よ?」
アトクは低く笑った。
その間にも、とめどなく、赤黒い血を口から吐きこぼしながら。
まるで生命がこぼれだしているかのように思えてカントゥータは身震いをした。
もはやアトクへの憎悪はない。といって憐れみでもない。
強いてあげるなら寂寥感。寂しさ、惜しさ、哀しみ。
三年前の投石戦争。
それは四年に一度、『輝く雪の祭り』が開催されるのと同じ年に、『欠けた月の村』で行われる神事。
大地の女神ルーナロント(セレナンの別名である)と、真月の女神イル・リリヤに捧げる神事でもある。
このとき二つの班に分かれて戦った、アトクとリサス、そして自分の姿を、カントゥータは、思い起こさずにはいられなかった。
(まるでずいぶん昔のことのようだ)
思わず感傷的になってしまった。
これまで一分の隙も無く対峙していたカントゥータの心が揺らいだ、その、一瞬の隙を、アトクは見逃さなかった。
「甘いな妹。言ったろ、そこがシロウトと、おれら傭兵の違いだってな!」
血を吐いて弱っていたとは微塵も感じさせない、強靱で滑らかな動きで、アトクは身体をひねり、間近まで迫っていたカントゥータの懐に入って手首をスリアゴの尖った先端で切る。
鮮血が噴き出した。
動脈まで達する傷を瞬時に負わせたのだ。
たまらず、カントゥータはウーツ鋼の片刃剣を取り落とす。
アトクは素早くそれを奪い、手に握り。
「ほほ~。こいつが、そうか! 昔、大陸の北方を手中におさめたダマスク王の愛用した剣と同じ素材か……へへえ。面白い、面白い模様じゃねえかよ? なあ、妹?」
ためつすがめつ、もてあそびながら。
子どものように、声をあげて笑う。
「兄さん……」
ふっ、と、カントゥータは、目をすがめた。遠くを見るように。
「ねえ兄さん。それ、あげる」
「いいのか? 気に入ってたんだろ?」
「うん。だけど、いいよ、あげる」
「そうか? へえ、嬉しいなぁ」
アトクの左目。
ほんものの眼球が、細く、閉じられていく。
「嬉しいなあ。なんて、うつくしい、見事な剣だろう。けどよ、こいつは、村長になるおまえに母さんがくれたものなんだろうがよ」
カントゥータは、首を振った。
「あたしはね。兄さん。本当は、兄さんこそ村長にふさわしいと思ってたんだ。あたしは、人の上に立つ器じゃない」
「おまえ、そんなこと自分で言うかよ。バカだなあ……」
アトクは、ゆっくりとその場に腰を下ろした。
その口からは、とめどなく血が筋をひいて流れ出ている。
「そいつはおまえが決めることじゃねえんだ。自分の価値を、値付けするのは、いつでも他人だ。忘れるな……おまえの主人は、おまえでなきゃあ……いけねえんだから」
それが、本当のアトクの、末期のことばだった。
それからすぐに。
糸のきれた操り人形のように、身体はくずおれた。
地に倒れふした肉体は、しだいに形を失っていく。
その胸にはウーツ鋼の片刃剣が抱かれていた。
「兄さん。兄さん。……それは、あげるよ……約束どおりに」
カントゥータの言葉はとぎれた。
……それはね。海からとった砂鉄と、山からとった鉄鉱石と、天空から降った隕鉄とを、鍛造して重ねたんだって。だから折れないし強いんだ。カントゥータ。お守りにしなよ。
剣をくれた時のリサスの言葉と、少し困ったような、優しげな笑みを、思い浮かべた。
「やっぱり無理だったよ、母さん」
カントゥータは、つぶやいた。
「あたしにアトクは倒せなかった」
《殲滅指令。殲滅指令。殲滅指令》
ふいに聞こえてきた、機械的な音声に、カントゥータは、身をこわばらせた。
アトクが言い残した、遺言が。もう一つある。
右の眼窩にはまっている濁った白い石を、ここに残しておくな。
消し去れ、と。
《殲滅。殲滅。指令が続行不能ならば、計画は別のプランに移行…》
あの、おそろしく饒舌な、アトクの右の眼窩に寄生したモノを。
「消し去れと、アトク兄は、言っていた」
放心していたカントゥータの目に、再び、力強い光が、戻った。
腰に締めていた『投石紐』を緩めてはずし、右手に握り込む。
左手で、腰に提げた小物入れの袋をさぐり、取り出したのは。
投石紐で投げるための、火薬の弾。
「あれを、ここに残しておくな!」
それがアトクの遺言だ。
その言葉を胸に。
カントゥータは、まっしぐらに飛び出した。




