第4章 その9 トリステーザ(哀しみ)
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「このおれは、とっくに死んでいるんだ。二度は殺せない。だから不死身なのさ」
アトクは自嘲をこめて笑った。
「だから、おれを殺すには徹底的にやらなきゃだめなんだぜ。殺し尽くさない限りは何度でも起き上がり蘇る」
震えながら、目の前に立っているクイブロを、視線で圧倒する。
「な、そういうわけだ。今すぐおれを、殺せ」
生まれ育った村に帰還した傭兵、アトクは懇願する。
「でなきゃ、おれは本物の悪霊になっちまう」
「大兄ちゃん」
クイブロの背筋が冷える。
爆発で身体を引き裂かれて斃れたアトクが、まるで何もダメージを受けなかったかのように元通りになった身体で起き上がり、クイブロの、目の前に立ちはだかったのだった。
「なにしろ困ったことにな、だんだん頭がぼやけて、思い出せないことが増えてきてるんだ」
これは独り言。
「この際だ、ちび。おまえと母ちゃん、カントゥータ、三人がかりでもいいぜ? とはいえ、簡単に倒せると思われても困るんだが」
アトクはクイブロに背を向け、振り返る。
母親ローサと、妹カントゥータが、迫ってきていた。
欠けた月の一族で、一、二位を争う戦士である二人は、敵を前にすれば容赦の無い戦いぶりを見せてきた。
「やっぱり、末のちびっこには荷が重かったか。おれを確実に殺してくれよ。母ちゃん。カントゥータ」
感情の無い声で語りかけるアトク。
ローサとカントゥータの顔には、憎悪の感情は浮かんでいない。
あるのは、静かな哀しみだった。
「バカ息子……」
苦々しげにローサは、うめいた。
手には、鋭い威力を持つ投石紐が握られている。だが、彼女はその飛び道具に、危険な火薬弾をこめることを、まだ、していない。
「大兄。もう、どうにもならないのか?」
カントゥータは、まだ、どこかで諦めきれないでいる。
細い紐の先に鋭い紡錘形をした金属を結びつけた飛び道具、スリアゴを手にしているが、まだ、その武器は、握り込んだまま。構えてはいない。
臨戦態勢は、整ってはいないのだった。
「甘いんだよ!」
アトクは嘲笑った。
「おれは、たとえ身内でも、外敵に取り込まれた裏切り者。殺す覚悟がなくて、『欠けた月の一族』の村長がつとまるか!」
そう言うと、片刃の剣を振りかぶった。
鋭い刃が一閃。
とたんに、火花が飛び散る。
クイブロの細い首ねっこをたたき切るはずだった刃に、ローサが投石紐で投げつけた石が、ぶつかった。
この直前にローサは投石紐に拳大の石を挟み、びゅんっ、と小気味よい風音を立てて振り回し、振り切った。同時に紐の片方だけを手から離しているので、石つぶてだけが狙い定めたとおりに飛んでいったのだ。
アトクの凶刃から、末の息子クイブロを救うために。
次の瞬間、クイブロの姿をアトクは見失う。
銀竜から与えられた加護により、クイブロには常人ならぬ能力が備わっていたのだ。
「大兄!」
次にアトクを襲ったのは、カントゥータだった。
手にした危険きわまりない飛び道具は、丈夫な紐に紡錘形の錘が結びつけられている、スリアゴ。
「ふぅん。次はおめえか、カントゥータ。少しは腕をあげたかよ」
アトクが、楽しげに笑った。
「三年前は、おれのほうがスリアゴの名手だったんだぜ」
「いつまでも昔のままだと思うな。大兄」
カントゥータは、表情を引き締めていた。
「わたしも、戦う覚悟はできているんだ!」
「いいぜ。向かってこいよ」
アトクが動く。
※
「クイブロ! おまえは村へお帰り」
アトクとの戦闘をいったんカントゥータにまかせ、ローサはクイブロを村へと押しやる。
そこでは、アトクが連れてきた灰色のグーリア帝国遊撃隊、ベレーザが、村の家と言わず石垣と言わず、叩き壊してまわっている。
「母ちゃん! おれも大兄ちゃんと戦う」
言うことをきかない末っ子を、ローサは、説得する。
「おまえには、アトクを殺せない。いや、殺させない。それは、おまえの年齢では、まだ知るべきでは無い傷を負わせることになるのさ。だから……」
ローサは天を仰いだ。
「お願いします、銀竜さま! どうか、ご加護をお与えくださいました、この子を、お守りください!」
『おう。頼まれてやろう、ひ孫達よ』
頼もしい声とともに、長い銀髪をなびかせた長身の青年が、姿をあらわした。
『儂は、我が孫たちに等しいこの村が、みすみす外敵に蹂躙されるのを見過ごすことはできん。加勢させてもらおうぞ』
アルちゃんこと、銀竜が。
ローサの、クイブロの眼前に、浮いていた。




