第4章 その8 アトクとクイブロ
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「目障りだ、ちび」
短く吐き捨て。
アトクは、一瞬でクイブロの前に立ち、腕を振り下ろす。
その手には、片刃剣が握られていた。
鋭い切れ味を誇る片刃の剣は、扱いやすく、軽く仕上げられている。
切るよりも重みで鎧を叩き割るための両刃剣がほとんどであったグーリア帝国の常識に逆らった、珍しいものである。しかしこの剣の特性を活かし自在に操れる兵士は、生粋のグーリア帝国人には、育たなかった。
これを、アトクは得意とした。
身体能力に優れた、欠けた月の一族にとっては、造作も無いことだ。本来、身についていた投石紐よりも、直接、敵を屠る手応えを感じられる点が、性分に合っていた。
戦える。多くを殺せる。
それがアトクの欲求の全て。
生きがいであり死にがいで。
仮に、戦友として横に並び立つものがあったとしても、刹那のこと。全ては指の間から流れ落ちる砂粒のようだった。
空虚な胸中には、何も去来しない。
ただ、全てを消し去りたいだけ。
「消えろ」
感情の無い声で吐き捨てると同時にアトクは錆びた剣と一体化したかのような腕を奮い、横になぎ払う。
だが、少年の身体は剣の軌跡上に、すでに、ない。
次の瞬間、生じた爆発は、アトクが乗っていた駆竜の厚い皮鎧にも似た皮膚と肉をずたずたに切り裂き飛び散らせた。
「ちぃッ! 加護か、くそったれ」
末の弟クイブロは、常人には不可能なレベルで反応した。
アトクには認識できない速度で跳躍し、頭上高くから落下しざまに、爆薬弾を投じて、素早く退却する。
おそらく、クイブロは、「力」を与えてくれるという、ルミナレスの頂上に宿る銀竜に会いに行き、加護を与えられたのだ。
通常ならば、まだ加護を願う歳ではないが。
アトクが帰還することを、故郷にそれとなく伝えておこうと、確か、あの《赤い魔女》は囁いたのだった。それはもう楽しげに。
『だからね。どっちが勝つのかはこの際どうでもいいことさ。戦いの過程を、ぼくに見せておくれでないか? 昔ながらの《欠けた月の一族》の戦法と、未だこの世界では生み出されてはいない未来の、最新鋭の武器を授けた、おまえと。ねえ、《キツネ(アトク)》。ねえ、野生児。ぼくもガルデル皇帝も、期待しているよ。おまえがこの世界の既存の価値観を、道徳観を、跡形も無く壊してくれることをさ!』
思考するより先にアトクは悟っていた。
でなければ自分が、あの末弟などに遅れをとるはずはない。
こう、信じてもいた。
アトクの口端が、持ち上がり。
「随分と楽しいことになってきやがった」
にやりと笑った。
その足下へ、続けざまに火薬弾が叩きつけられ、炸裂した。だがアトクの歩みを止めるには至らない。
「ちびっこ。おまえ、おれを殺す覚悟が、まだ、できてねえな」
向かう先に、立ち尽くす、少年の顔は、アトクを睨みつけながらも、震え、蒼白になっていた。
アトクが村を出た時は十歳の、「ちびちび」で。そのときに比べれば身長は伸びている。今年十三歳になっているはずだ。
「ちびっこ。成人の儀を早めたか。銀竜に加護を願って手に入れたか? だが、強くなってもな、相手が誰だろうと殺す覚悟ができてなきゃ、おれには勝てねえ。守りたいもんも、守れねえんだよ」
冷笑した。
「そこがおれら仕事人と、おめえら素人の違いなんだ」
ずんずんとアトクは距離を縮めていった。
「おれが最後に教えてやれることは、これだけだ。身内でも、敵なら殺れるときに、とっとと殺れ。おまえが殺される前に」
クイブロは、逃げなかった。
それとも動けなかったのだろうか。
地面に縫い付けられたように立ち尽くして、近づいてくるアトクを見ていた。
「大きい兄ちゃん」
悲しげな、顔をして。
「おれは、大切なものを守るためなら、アトク兄を倒すって心に決めていた。なのに」
差し出した、手が。震えていた。
アトクは笑って、末の弟の首を片手で掴んで、持ち上げた。
「消えろ」
そう囁いて、首にかけた指に力をこめる。
もう一押しだ。
締める力を強くすればいい。それで消える。
この、小さいくせに眩しい光を放つ生命を。消せる。
そうしようとした瞬間。
強烈な光と衝撃がアトクを襲った。
まず、地面に埋められていた火薬弾が爆発。続いて、なおも地面に埋まっていた、その数倍の火薬が、誘爆を起こしたのだ。
「大兄ちゃん」
末の弟が、掠れた声でつぶやく。
「おれ、嫁をもらったんだよ。可愛い子なんだ。だから……」
ああ、そうか。
「そういうことか」
吹き飛ばされて地に落ちたアトクは、かすかに笑う。
「おれに嫁を取られると思ったんだろ……村にいた頃、おまえが大切にしてたもの、よく壊してやったからな」
てんで覚悟のない末弟のくせに。
嫁を守りたくて、おれを倒すつもりになったのか?
「だが、不死身のおれを殺すには足りない」
アトクは吹き飛ばされて上半身だけになった身体で、転がった。
離れていた下半身が、見えない糸に引かれるように、ずりずりと地面を這って、寄ってくる。
しかも千切れたはずの上半身と下半身の裂け目には、一滴の血も流れ出てはいなかったのだ。
アトクの上半身と下半身は、やがて近づいて、ぴったりと合わさり、くっついた。合わせ目には赤い筋のような痕がついた。
「おれは死んでる。二度は殺せない。だから、不死身なんだよ」
ゆっくりと、アトクは起き上がった。
「おい、ちび。殺すなら、徹底的に、倒しつくし、消しつくせ」
まるで、それを期待し渇仰しているかのように、厳かに、言った。




