第4章 その1 再び精霊の森。ナ・ロッサの真意
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虹の彼方の《蒼き大地》、豊穣の大地、赦された世界と。
果てしもなく虚ろなる空の大海を放浪し、その果てにたどり着いた約束の地と、人間達はかつてこの世界を、憧れをこめて呼んだ。
その世界に、ヒトの住む大地として精霊から与えられたのはエナンデリア大陸である。
大陸の、さまざまな地域に《精霊の森》は、あった。
外界とのつながりも、時の流れも、精霊たちの意思で、すべてを断ち切ってしまうことが可能な、隔絶された世界。それが精霊の森であった。
森の木々は、白い。
外界に存在する樹木とは、まったく違うものだ。
白い炎が燃え立つように見えるのは、大地から吹き上がるエネルギーなのである。
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「いやだ! おれも、みんなと一緒にいく! 外に出して! お願い」
「カルナック!」
精霊の森に戻されたカルナックは、おとなしく言うことを聞いてはいなかった。
外へ出たい、クイブロの所へ帰りたいと、暴れて訴えるのだ。
「がまんして。あたしの可愛い弟。コマラパやクイブロや村のことは、あたしも放っておくつもりはないわ。でも、今は、まだ。こらえて。落ち着いて。あなたの心が乱れると、精霊火も乱れるわ」
「コマラパ……ぱぱ。やっと会えたのに。また、おれより先に死んじゃうの? クイブロも、一生、添い遂げるって誓ったのに。いなくなっちゃうの? ローサ母さんは? カントゥータ姉さんは」
精霊の森に戻っても、カルナックは、ローサに着付けてもらった『欠けた月の村』での衣服を脱ごうとはしなかった。強い日差しや冷たい風への備えも、森では必要のないものであるのに。
「落ち着いてちょうだい。きっと、なんとかするから」
なんとかする方法を、懸命に考えながら、ラト・ナ・ルアは、カルナックを抱きしめ、懸命になだめている。
レフィス・トールも、片時も側を離れず、付き添っていた。
「苦労しているようですね、レフィス・トール。ラト・ナ・ルア」
そこへ現れたのは、ナ・ロッサである。
「生命の司!」
レフィス・トールは彼女の顔を見るや、カルナックをラト・ナ・ルアに任せて、立ち上がった。
「あのように泣いて暴れて。やはり人間の世界になど行かせるべきではなかったのだわ。すっかり人間に染まって」
眉をひそめるナ・ロッサに、レフィス・トールは、声を落として、話しかける。
「お尋ねしたいことが、生命の司」
「おや、なんでしょう」
「この場では……」
レフィス・トールの声に、何かを察したのか、ナ・ロッサは、彼を伴い、そこを離れた。
「生命の司。あなたは、最初、カルナックを連れ戻すとは言われなかった。それが、急に、お考えを変えたのは、なぜなのです」
「そうするべき理由があってのことです」
「銀竜と話した後ではありませんか。あなたの態度が変わったのは。あの銀竜はカルナックやラト・ナ・ルアと、友達だと言った。その後では」
ナ・ロッサは、眉を上げた。
表情が、険しくなる。
「言葉を慎みなさい、レフィス・トール。あなたの言い方では、わたくしがまるで私的感情に動かされたようではありませんか」
しかし、レフィス・トールは退かなかった。最も年若い精霊である彼は、いつもならば先達に逆らうようなことはしないのだが。
「そうではないと? ナ・ロッサ。わたしには、あなたがまるで、嫉妬されているかのように見えました。まるで、人間達のように」
「……誤解ですわ。このわたくしが人間のような感情に左右されるとでも。そう見えたのなら、あなたには教えておきましょう、レフィス・トール」
ナ・ロッサの表情が、引き締まった。
「世界の大いなる意思が告げていた《悪霊》の正体が知れたのです。かつては人間だったモノ。今は既にヒトなのかどうか怪しいものだわ。あれらは、グーリア帝国に端を発していたのよ」
「グーリア帝国!」
「わたしたちの保護した愛し子、カルナックの消息を嗅ぎつけたのかどうかはまだ不明ですが、できる限り《悪霊》の目に触れさせないほうがいいでしょう。だから、銀竜の加護を得たにもかかわらず、いったん、この森に連れ戻したのです」
「もしも万が一、グーリア帝国皇帝ガルデルが、あの子の姿を目に留めたら」
常には感情を浮かべないレフィス・トールの顔色が、はっきりと青ざめた。
「その危険性は、あなた方、兄妹には、よくわかることでしょう。それだけは、どんな手段を用いても防がなくてはならないわ。これは《世界の大いなる意思》も、階層の奥底で瞑想しておられる長老様方も、同じお考えです」
「それでは、カルナックを外の世界へ出すことは、とうていできない。たとえ、愛しいあの子に、どれほど恨まれることになろうとも」
「階層の底へ行きましょう。《大いなる意思》のお考えを確かめておかなくては。我々は、今回の《災厄の影》どもに、不干渉を貫くべきなのか。この大地に穢れをひろめさせる前に阻止する『手』を打つべきなのか」
白い精霊の森の、色の無い落ち葉の積もった床に、ふわりと、二人が通れるほどの穴が、開いた。
彼ら、若い世代の精霊族ではない長老たちは、森の底で、ほとんど動かない暮らしをしているのだった。
そしてそのぶん、《世界》に、より深く、より近いのだ。




