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第1章 その8 黒く染まる

          8


「コマラパ。子どもが疲れている。あなたも少し休んだ方がいい」

 精霊の青年が、木々の間から姿を現して声をかけた。


「レフィス殿。もう、そんな頃合いか」

 セレナンの大いなる意思によって精霊の森に置かれてから、コマラパは精霊の兄妹の名前を教えてもらっていた。

 兄はレフィス・トール。

 妹は、ラト・ナ・ルア。

 正式には、もっと長い名前であるらしいが、そこまでは、まだ教えてくれない。

 世界の大いなる意思に導かれたとはいえ、コマラパはただの人間の客人であった。


「それでは少し休ませてもらうとしよう。ところで、他の精霊の方々は、どのような方でしょうか。まだお目にかかったことがありませんが」


「わりと大勢いるのですが、他の精霊達は、人間に会いたがらない。申し訳ないが、客人をもてなすのはわたしと妹だけだ」


「いや、すまない、詮索するようなことを言った」


「気にすることはない。あなたの世話をしに、じきに妹が来る。さあ、おいで、カル坊」

 青年は手を差し伸べて、子どもを腕に抱き取った。


 急に持ち上げられて、子どもは抗議の声をあげる。

「やだやだ! まだ寝ないから。それにカル坊ってなんだよ!」


「コマラパが坊主って言ってるし、可愛いから、いいかなって思って」


「よくねえよ! 可愛いとかいうな」


「可愛いのだからしかたない。カル坊」


 結構、面白い青年なのかもしれないと、コマラパは思い始めた。


「ん~! うちのカル坊は世界一可愛い!」

 青年は相好を崩す。

 まるで子煩悩な若い父親のようだ。

 コマラパに向ける無表情とは落差がありすぎた。


「レフィス! またそんなにぎゅうぎゅう抱っこして。嫌がってるでしょ」

 現れたのはレフィスの妹、ラト・ナ・ルア。


「眠くなっただけだよね~。さあ、寝床へ行こう」

 レフィスは子どもを離そうとしない。


「まだ寝ないったら! コマラパ。後で遊ぶ? ねえ?」

 抱っこされながらもコマラパに遊びをねだる、このあたりはまだまだ子どもっぽい。


「ああ、一眠りして起きてきたら、また遊ぼう」


 遊びはいったん中断するという返答に、

「ちぇっ。しょうがないな。コマラパは疲れたのか。もう、おじいさんだもんな……」

 少しばかり失礼な発言を残して、黒髪の子どもはレフィスに持ち上げられて森の奥へ去って行った。


 後に残ったのはラト・ナ・ルアとコマラパだ。


「さてと。じゃあ、老師。横になって。どこでもいいわ」

 ラト・ナ・ルアは、両手を腰に当てて、胸を張る。


「はいはい」

 おとなしくコマラパはそこらの下生えの草むらを枕に、身を横たえる。

 草むらといっても、この森ではただ草が生えているというのとは違う。寝転がってみれば弾力もある布団のような感触なのだ。


 横たわるとすぐに、コマラパの周囲に、おびただしい数の精霊火が現れた。

 漂う、青白い光の球体、精霊火の群れに初めて包囲されたときは、恐怖し、焦ったものだが、今では、それにも慣れてきた。


 精霊火が皮膚の表面から身体の中にすうっと入ってきて、エネルギーの交換を行う。

 古くなった生命力を回収し、新しい生命力を注ぎこむ。それによって、もともと普通の人間であるコマラパまでも、生命の維持に、食べることは必要なくなるのだ。


「世話になる」


「いいのよ。セレナンの大いなる意思が、精霊の森にあなたを運んで来たのだもの。あの子も、あなたが来て喜んでるし。早く元気になるといいわ。あの魔月まのつきに、少し生命力を奪われたようね」


「かたじけない」


「ほんとに固い、律儀なおじさま」

 ラト・ナ・ルアは苦笑する。

「普通の人間は、精霊火に触れたら、多少は後ろ暗いことを記憶から引き出されて恐怖するものなのに、そういうことがないんだもの」


「確かに、精霊火に包まれると昔のことを思い出したりする。むしろ懐かしいくらいだ。後悔することは多いが」

 コマラパは独りごちる。

 走馬燈のように記憶がよみがえることによって生み出されるのは、後悔ばかりではない。前世の記憶、転生した後の大森林での暮らしも、すべて懐かしく愛おしく思う。


「あなたみたいなストイックな人に会ったのは初めてだわ」


「そうでもないよ、わたしなど煩悩まみれだ。ところで、あの子どもは。精霊の森から出たことはないのか」


「あたしたちが保護してからはね。危なっかしくて放っておけないの。おじさまだから、話しておいてもいいかな。どういうことかと言えば、あなたがさっき会っていたのは、あの子の一部分よ」


「一部分?」


「別人格というのかしら? 前世ともまた違う。あの子の中には何人かがいるの。役割を分担して受け持っている。……そうしなければ乗り切れない生活をしていたから」


乖離かいりか!」

 二重人格。または多重人格。

 先ほど子どもの口から聞いた、人間の世界にいたときの暮らしを思えば。

「……無理からぬことかも知れぬ……」


「あの子は、事情を少しは打ち明けたようね。信頼しているんだわ。あなたは人間なのに、誰も信じられないと言っていたあの子が、安心して打ち解けて、懐いているのは、確かよ」


「それならば、嬉しいことだが」


「コマラパ。あなたは、絶対にあの子を傷つけないと。あたしも信じてるわ。どうしてだかわからないけど」

 ラト・ナ・ルアは、真っ直ぐにコマラパを見た。


「約束するとも。わたしは、あの子を助けたい。この歳まで独り身だったが、前世を思い出した。子どもがいたんだ。その子を一人残して、事故死した。それだけが心残りだ。……あの子を身代わりにしているわけではないが、前世で死に別れた娘のぶんまで、できることなら力になってやりたい……」



 精霊の森の奥深く。

 白い巨木のうろに綿を詰めたような、小さな寝床が設えてある。


 レフィスがそっと子どもを寝床に下ろそうとしたとき、まどろんでいた子どもは目を開けた。闇のような漆黒の、つややかな瞳でレフィスを見上げる。


「いやだ。離さないで」

 死にものぐるいにしがみついてくる。


「離すのではない。ここは寝床だよ。眠るんだ。そろそろ浄化をしなければならないだろう?」


「いや! いや、父上、レニは、まだ役に立つから! まだ奉仕できるから! 離さないで。殺さないで!」

 叫びは悲鳴に近い、甲高いものになった。

 混乱して、状況を把握していない。


「ねえ。……ねえ、して?」

 一転、甘えたような、媚びを売るしぐさで。眼差しで。唇で。子どもは、身近にいる大人を、誘う。

「父上、父上。何でもするから。レニを捨てないで。痛いのもがまんできるから」

 熱に浮かされたように呟いて、すがりつく。


「そんなことはしなくていいんだ。きみはもうレニじゃない。その子は、死んだ。きみは精霊火で、生き返った。生まれ変わった。新しい名前を自分でつけたのだから」

 レフィスは辛抱強く、言い聞かせる。


「ぼく、レニじゃ、ないの? もう、ちがう、の? あれは、しなくていいの?」

「もちろん。もう二度と、誰にもさせない」


 レフィスは子どもを固く抱きしめる。

 深いキスをする。

 唇に、髪に、頬に。

 そこから世界のエネルギーが子どもの中に流れ込む。

 周囲に浮かぶおびただしい数の精霊火も、子どもを取り巻いた。


「精霊火……あたたかい」

 子どもは微笑んで、精霊火に手を伸ばして。抱きしめた。

 落ち着いてきたようだ。

「レフィスにいさま。なんか、ねむいよ……」


「だいじょうぶ。すっかりきれいにしてあげるから。よく眠るんだよ」

 精霊の手が、子どもを撫でる。

 見れば、肌の一部が黒く染まっている箇所があって、そこに触れられると、子どもは悲鳴をあげる。

 精霊の手が触れると、黒いしみは消えていく。

 すると、安らいだ表情を浮かべて、まどろむ。


「呪いなどに染まらせない。連れていかせない。わたしたちの愛し子、カルナック」


 レフィスは何度も子どもの肌に触れて、黒く変色する部分を見つけては、清めていくのだ。

 精霊火もまた、子どもの肌から身体の中に溶け込んでは、また、じんわりと、にじみ出てくる。


 身体から出てきた精霊火は、僅かに黒く染まっていた。

 森に放たれると再び白く晒されていく。

 それは肌に黒い変色部分がなくなるまで、辛抱強く、繰り返される。


 レフィスは子どもを膝に乗せ、抱きしめていた。

 ふと、彼は想う。

 この循環を行わなくても、呪いが取り憑くことがなくなれば。

 そのときは、人間の世界に戻すことになるのだろうか?

 

「とんでもない。穢れと悪意に満ちた人間の世界になんか、戻さない」

 レフィスはそっと囁いた。

「カル坊が、どんな危険なめに遭うか知れないのに。わたしもラトも、そんなことは絶対にしない。どこへも行かせない」


 精霊の腕の中で、カルナックと呼ばれた子どもは、かすかにうめいて、身じろぎをした。




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