第3章 その7 仲直りと、女戦士カントゥータの決意
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四日目の夜更け。
明日の朝は雪峰ルミナレスの登頂に挑む、クイブロとカルナック。
出発は早朝を予定しているので、早く寝てしまうべきなのである。
だが、二人はまだ眠っていなかった。
「ごめん。悪かった」
クイブロは必死に謝っていた。
「悪かったなんて、ホントは、そう思ってないよね。でなきゃ、あんな、いやらしいキスしたりしないよね」
カルナックは怒りの矛先をおさめていない。
「またこんなに育っちゃったんだから。コマラパに、キスはだめって言われたのに、これじゃコマラパにもカントゥータ姉さんにも、すぐわかっちゃうよ!」
成長して髪が伸びたために、成人の儀への出立の前にクイブロの母親ローサにきちんと編んでもらったお下げ髪は、かなり緩い三つ編みになっていた。
今やクイブロと同い年くらいに育ったカルナックは、怒りをクイブロにぶつけた。
これまでカルナックが急に成長したのは、クイブロが口移しで水を飲ませた時と、キスで舌を入れてきた時である。わかっているはずなのに繰り返したので、怒るのだ。
「ひどいよ! なんでこんなことするの」
「それは! ルナが、あんまり可愛いことを言うからだ」
この点についてはクイブロも主張しないではいられない。
「おれが死んだら、自分もいなくなるなんて。おれのいないこの世にとどまっていたくないって、言った。そんなに、おれを誘ってどうするんだ」
たちまち、ルナ(カルナック)の頬が真っ赤になった。
「誘ってなんか! 知らないっ。バカ!」
顔を背ける。
するとクイブロは背中からカルナックに抱きついた。
「うわぁっ! なにするんだっ」
しかし、大胆な行動に出たわりには、クイブロは、しおらしい。
「なんにもしない。もう、おまえを困らせるようなことはしないから。だから、こっち向いてくれよ」
力なくつぶやく。
「……村の、他の女の子にも、こんなことしたことあるの?」
背中にクイブロの体温を感じながら、カルナックは尋ねた。
「全然、ねえよ! そんなこと一度だって考えたこともない」
「おれには、最初に会った時にいきなりキスしてきた」
「自然に、そうしたくなったから。どうしても、おまえを抱きしめたくて、キスしたくて、しかたないんだ。……それ以上のことだって」
わずかに声が震えている。
「どうしてだか、おれにもわからない。おまえだけだ。おまえは、特別なんだ」
抱き寄せる腕に力がこもった。
カルナックは少しだけ抜け出そうと抗ってみたが、びくとも外れない。
スアールとノーチェ、ユキは、クイブロの行動は主であるカルナックの危機ではないと判断しているようで、助けてはくれない。
「わかったよ、もうっ」
ため息をつく、カルナック。
「……じゃあ、髪を編んで」
しぶしぶ、条件を出した。
「髪が伸びて緩くなっちゃった。ローサ義母さんがやってくれたみたいに、きちんとまとめて三つ編みにして!」
口を小さく尖らせて。
真っ赤になったまま、クイブロを肩越しに振り返る。
「うん。わかったよ。ちゃんとしてやるから」
そう答えたクイブロが最初にしたことは。
お下げ髪を結んでいた細い紐を外して、緩くなったカルナックの三つ編みを、ゆっくりと解いていくことだった。
つややかな髪はたちまち解けて広がっていく。
「クイブロ? なんで髪を解いてるの?」
カルナックは、いぶかしむ。クイブロの一族『欠けた月』を始め、この地方では、女性は髪を編んでいる。髪を解くのは肉親や、伴侶など、特に親しい者だけだ。
「ほどかなきゃ、編み直せないだろ」
「でも、なんか手つきがいやらしい。息ハアハアしてない?」
実際にクイブロはカルナックの長い黒髪を手で梳き、匂いをかぎながら、息を荒くしていた。顔も赤い。
「気にするな。ああ、やっぱり花の香りみたいだ……」
「気にするよ! やめて、自分でやるからっ」
カルナックはクイブロの手から紐を取り返して、髪を後ろで一つにまとめ、きっちりと編み始めた。
しかし、なかなかうまくいかない。
うなじで一つにまとめているため、自分ではきちんとした三つ編みがやりにくいのだ。
「あ~もう! やめたっ!」
癇癪を起こして紐を投げてしまうカルナック。
「ルナ! おれにやらせてくれ。なっ?」
「ううう。……ちゃんと、して」
「まかせろ」
少し態度が軟化してきたようだ。
クイブロは深呼吸をした。
母親のローサが持たせてくれた、良い匂いのする香木で作った櫛で、カルナックの髪をゆっくりと梳く。
さらさらですべすべ、しなやかな黒髪は、ともすればすぐに解けてしまう。
うまく編むには忍耐とコツがいる。
やましい気持ちを隠して、クイブロはカルナックの髪を編む作業に没頭した。
しばらくすると、クイブロは満足げな笑顔になった。
「よし! 姉ちゃんからもらった飾り紐を最後に結んで、できあがりだ」
見て見ろと、小さな手鏡を差し出す。
銀の薄板を磨いて作られた手鏡には、つやのある長い黒髪をきちんと三つ編みにした、十三歳くらいの美少女が映っていた。
「うわあ! うれしい、きちんと編めたね」
カルナックは顔を輝かせ、歓声をあげた。
「よかった」
ほっとしたように笑うクイブロに、カルナックは、恥ずかしそうな目を向けた。
「ほんとはね。大きくなったのは悪いことばかりじゃないんだ。魔法を使う力が強くなった気がする。まだ使い方がよくわからないけど。もう少ししたら、カオリは魔法をうまくつかう方法を考え出すと思う。そうしたら、おれもきっと、もっと……」
「そうか。それはいい。ゆっくり考えればいいよ」
クイブロはカルナックの額に、唇を寄せた。
雪峰に挑む前夜。
夜が更けて、真月が昇ってくる頃には、クイブロとカルナックは身を寄せ合って熟睡していた。
夜明けには霜が降りるほどの寒さも、スアールとノーチェ、ユキのおかげで防ぐことができ、温かく過ごせたのだった。
眠りながら二人は互いに固く抱き合っていた。まるで引き離されるのを恐れるかのように。
※
朝日が昇る。
青白く若き太陽神アズナワクが、太陽の馬車を駆り立てる。
高山では空気が薄く、強い日差しを遮るものはない。
空の色は藍色である。
クイブロとカルナックは、日が昇る前に起き出して、出発した。
踏みしめるのは、真夏でも融けることの無い万年雪に覆われた雪渓。
青い影が、雪の上に落ちる。
「やっと旅立ったか」
コマラパとカントゥータは、可愛い弟とその嫁の『成人の儀』を、見送っていた。
「ほんにめでたい。しかし気になることが。コマラパ殿」
「ほう、それは?」
「魔獣の数が、少なすぎるのだ。いくら我々が定期的に見回り、刈り取っているとしても。銀竜がにらみをきかせているとしても、これはおかしい」
カントゥータの声にコマラパは首をかしげた。
「すまん、わたしには推測できかねるが」
「今までにこの地に存在していなかったバケモノが、入り込んできて跳梁しているのかもしれない。小物は恐れて出てこないのだ」
「雪峰から降りてくるはずのカルナックたちは、どうなる」
「銀竜と出会い加護を貰えて帰ってくれば。我々がここで出迎え、共に連れ立って守りながら村へと帰還する」
カントゥータは、にんまりと笑った。
心の底から脳筋な残念美女。
それがカントゥータであった。
いつでも戦いを求めている、戦の女神。




