第3章 その1 成人の儀、旅立ちの朝
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夜明け前にクイブロとカルナックは、家族達に見送られて村を後にした。
あたりは当然ながら真っ暗だが、精霊火が幾つも集まって、道を照らしてくれていた。
緩やかな登り道を、延々と歩く。
足下の地面には霜が降りて、ところどころでは霜柱が立っていた。
さくさくと霜柱を踏んで、二人は進む。
しだいに、空は薄明るくなっていく。
それに伴って精霊火は一つ、二つと、どこかへ消えていった。
山の稜線から朝日が顔を出す。
霜はとけて、ゆらゆらと湯気が立ちのぼる。
周囲には木々の姿は無い。点在する草むらには、ときおりビスカチャ(ウサギ)が頭を出して、すぐに隠れたり走り出したり。
「ユキの仲間だな」
ふとクイブロが笑う。
カルナックは、慌てて
「仲間? ユキ、ユキはどこにもいかないよね!」
手をのばすと、肩に乗っていた白ウサギは顔をのぞかせ、カルナックの頬に鼻をくっつけてきた。
四時間ほど歩いたろうか。
もともと丈夫な方では無いルナが、少し遅れ気味なのを気に掛け、クイブロは、歩調を緩めた。
「ごめん……ちょっと疲れた」
ルナの足もとが、ふらついている。
「おれも喉が渇いた。少し休んで、水を飲もう」
以前、ルナの体調に気づけなかったせいで、倒れてしまったことを、クイブロは身にしみていた。
大きな岩の陰に腰を下ろして、二人で水を飲む。
細い喉が、こくこくと鳴って水を飲み込むようすを見つめていたクイブロは、急に、胸が高鳴るのを感じた。
ドキドキする。
顔が熱くて、動悸がしているのをごまかすように、話を始める。
「それにしても、おれ、驚いちゃったよ。あのコマラパが、ルナの本当のお父さんだったなんて。それにお母さんも、きれいだったな」
「うん。おれも驚いた。あのね、おれも夢の中で、お母さんに会えたんだよ。嬉しかった。本当のお父さんとお母さんが、いたんだって……」
カルナックは水晶の水筒を口元から離した。
「おまえのおかげだ。クイブロ。助けに来てくれて、ありがとう」
クイブロと、名前を呼ばれたとき。
ほっとした。
過去の悪夢に捕らわれていたときのルナは、彼のことを「ミツル」と呼んでいた。
イヤだった。
自分は『ミツル』ではない。
過去のルナが生きていたのは30年も前なのだ。その時にはまだルナは自分の存在など知る筈もなかった。それはわかっている。
でも。
ミツルってだれだ?
昔の知り合い?
昔って、いつの?
そんなことを思うと、胸がひんやりと冷えてくる。
クイブロは頭を振って、そんな考えを追い出した。
「今は、ルナはおれの嫁なんだから」
思わず声に出していた。
「どうしたの。あたりまえのことだろ?」
と、ルナ(カルナック)は、にっこり笑う。
「うん、そうだな。ありがとう。ルナ」
「へんなクイブロ」
「うん。ちょっと自信なくしそうになっただけだ」
「クイブロが? なんで」
「考えたってしょうがないことだ。それより、ルナのお父さんがコマラパでよかったって、おれも思う」
心からクイブロは言う。
コマラパがカルナックのことを本当に可愛がっているのを、プーマ家はみんな知っているのだ。
「そりゃあ嬉しいけど……」
クイブロが「ルナ」と呼ぶ、カルナックは、困ったようにつぶやいた。
「でも、ちょっと過保護かもしれない。パパは」
「そうか? コマラパはすごく嬉しそうだったし、少しくらい過保護でも」
言いかけたクイブロに、カルナックは
「もしかしたら、後を付いてきてるかも」
と、眉を寄せた。
「そりゃねえよ。成人の儀だぞ。コマラパが村を出るなんてしようとしたら、母ちゃんやカントゥータ姉ちゃんとかが止めるよ」
クイブロは明るく笑う。
「そうだよねえ。……考えすぎかなぁ」
ため息をつくルナ(カルナック)だった。
※
「コマラパ殿。あの子達、気がついてるんじゃないか?」
「むう」
「こうやって我々が後をつけて見守っていることをだな……」
もちろん、コマラパは二人の後をついてきていた。
カントゥータも一緒である。
悟られないように、かなり距離をとってはいるが、一本道なので見失う心配はない。
「考えてもみろ! 二人きりで片道五日の旅だぞ! 何が起こるかわからん! 我々は、クイブロの成人の儀の邪魔をするのではない。万一の場合に備えてカルナックを見守っているだけだ!」
コマラパは強く主張するのだった。
「はいはい」
目上の者の意見は尊重するのが、『欠けた月の一族』の流儀であった。
(確かにうちのクイブロは、子どものくせにキス魔だしなあ……キスする相手は、嫁だけみたいだが)
どれだけ嫁に惚れているのだろうか。そう考えると我が弟ながら少し恥ずかしい、カントゥータだった。
可愛い嫁ルナを伴った、クイブロの成人の儀は、始まったばかり。




