第2章 その22 セラニス・アレム・ダルは、今回は観客に徹することにした
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ガルデルに近づき陰から操っていたと、鮮血の色をした髪と暗赤色の瞳を持つ赤い魔女セラニアは暴露した。
そして、自分のもう一つの名前はセラニス・アレム・ダルだと。
コマラパは絶句する。
半年と少し前、レギオン王国を訪問していた時、セラニス・アレム・ダルに遭遇したことは、記憶に新しい。
弟子をとったことなどないのに、いつの間にかセラニスを弟子にした青年だと思い込まされていた。
鮮やかな赤い髪と暗赤色の目をした利発な青年を伴い、レギオン王国を旅した。
実はその青年は人間としての肉体を持たない『魔の月』の投じた幻影、セラニス・アレム・ダルだった。
権力や教会の権威に対してよく理解していない、浮き世離れした森の賢者コマラパがレギオン王国で危険な行動をやらかしているのを観察して楽しんでいたうえに、危険な方へと誘っていたのだ。
おかげで、もう少しでレギオン王国の国教、『聖堂』に捕らえられ、異端審問を受けて拷問、火あぶりの刑で死ぬ運命をたどるところだった。
まさか、ガルデルの事件でも、セラニスが後ろで糸を引いていたとは。
コマラパの沈黙を、セラニス・アレム・ダルは、別の意味にとった。
「まあね。こんなこと急に言っても、わからないだろうけどね」と、くすくす笑う。
この『カルナックの過去の記憶』の中でのセラニスは、まだコマラパに出会ったことは無い。
そして、カルナックの過去である幼い子ども、レニウス・バルケス・レギオンにとっては、赤い魔女に出会ったことはあるがセラニス・アレム・ダルという名前を耳にしたのは初めてのことだ。
「せらにす? なに、それ? おまえは、あかいまじょ、せらにあ、だよね」
レニウス・レギオンは、首をひねった。
「ああ、もちろんそうだけどね。きみは面白いなあ」
赤い魔女セラ二アは、楽しそうに言って、レニウス・レギオンに手をのばした。
だが、どれほど近づいても、魔女セレ二アの体温も感触も、決して伝わってくることはない。
そこにいるのは、物体ではないのだ。
「何のことだかわからないだろうね。哀れな人間たち。あそこで、ガルデルに無謀な戦いを挑んでいる少年も。本気で、どうにかなると思っているのかな?」
と、ガルデルに一歩も引かずに睨み合い、隙あらば投石紐での攻撃を繰り出しているクイブロに、視線を移した。
ガルデルが用心深くトゥニカの下に隠していた甲冑は、今ではほぼ全体が見えている。
「あの甲冑は、ぼくが与えた特別製だからね。あれ、物質に見えるだろうけど、エネルギーバリアだから。って言っても通じないよね~」
「どんな相手だって負けない。あいつは、すごいんだから!」
カルナック(レニウス・レギオン)は、クイブロの肩を持った。
「へえ? ああそうか、あの少年は、助けに来てくれた王子様? 好きになったの?」
「え。すき?」
戸惑う。
「へんだ。なんだか、むねが、あつい……」
今までの自分には、なかった感情だ。
「でもさ。だめだよ。レニウス・レギオン。きみはガルデルの愛人なんだから。そのうち彼だって知るだろうね。きみが毎晩、ガルデルの寵愛を受けていたってこと」
「だめ!」
突然、レニウス・レギオンは叫んだ。
「ミツルに、そのことは、いわないで!」
まだクイブロはルナに名前を覚えてもらってはいなかった。
「黙ってたって無駄なのに。みんなが知ってるんだから。……あ、でも、この宮殿の人間は、みんなガルデルが殺しちゃったからなあ……このままなら隠せるかな? ま、ガルデルが言っちゃうかもね~」
面白そうにセラニス・アレム・ダルは笑う。
「ああそうだ、ガルデルはねえ、かわいそうなヤツなんだよ。冷たい家族に囲まれて、愛のない子ども時代を送ってさ。身分だけは高かったせいで暗殺されそうになったのも数え切れない。婚姻の申し出も身分目当ての家ばかり。人間嫌い、特に女嫌いになったのはそのせい。親や祖父母から押しつけられて迎えた妻も愛人も、手を触れる気もしなかったから、自由にさせた」
なぜか突然にセラニスは静かに語りはじめた。
「お忍びで下町に出かけたときにやっと見つけた、恋する相手に、思いを伝える事もできずにいたから、わかってはもらえなかった。彼女の住んでいた魔女の共同体を焼き払いまでして、館に連れてきたのに、自分の部下が間違って殺してしまうし。だからその子どもを溺愛して。あ、これ、レニのことだからね」
「気持ち悪い」
レニウス・レギオンは、吐きそうに、言った。
「でもレニが、今までは良い子にしてたのに急に逆らうから。傷つけて、儀式で殺してしまって。ガルデルは、親族を殺すのには、ためらいもしなかったくせに、レニが死んで、そりゃあ悲しんでね。自暴自棄になって心臓をえぐり出して自殺しようとしたんだ。ねえ、かわいそうでしょ」
「そんなのしらない。おれのせいじゃない。ガルデルが、おれをころしたんだろ?」
「まあそうだけどさ。あまりに嘆いて、このぼくの心を揺り動かした。だから、ガルデルの望みを叶えてやることにした。たったひとつだけ。そうしたら、なんて言ったと思う?」
「わからない」
「レニを生き返らせてくれってさ!」
おかしそうに、手を打って高らかに笑うセラニス。
「その前に願っていた、不老不死よりも。そっちの願いを叶えてくれって。おっかしいよね~。なんのための儀式だよ。願いを叶えるための対価を払ってもらおうってのに」
セラニス・アレム・ダルは、今度は憤慨する。
「だからぼくはかなえてやった。不老不死を」
「やつに従う国民も、造ってやった。保存していた過去のデータを書き換えた合成細胞から。彼だけの国民を。けれども対価は必要さ。だから、彼には、レニは手に入らない。ねえ、楽しいよね! 大勢居た妻も妾も兄弟も父母も曾祖母も、血族全てを捧げることを瞬時もいとわなかったのに。レニだけは手元に欲しかったんだよ。泣けるよねえ。どうだいレニ? 愛人冥利につきるじゃない? 本当に愛していたんだよ。今でもそうさ」
「ガルデルが……」
ほんの刹那。
レニウス・レギオンの心が、揺れた。
「……やさしくしてくれるときも、あったんだ。おまえは、かわいいって。だっこして、なでてくれることが」
「いかん、そいつの口車にのるな!」
レニウス・レギオンが、ガルデルへの思いに揺れているのを見てとり、コマラパは、間に入り、セラニスから引き離す。
「ガルデルの愛は、おまえを傷つけるだけだった。そんなものは、愛では無い。ただの、執着だ。妄執だ」
コマラパは、ここに来てようやく我が子だと知った、レニを抱き寄せた。
「おまえを、そんな異常者には渡さない。目をさますんだ!」
「ぱぱ? ほんとうの、ぱぱ、だよね?」
レニはコマラパの首にすがり、涙をこぼした。
「たすけにきてくれたんだよね? これ、ゆめじゃ、ないよね?」
「そうだとも。あの、小僧もだ。おまえのために、戦っている。……さあ、傷を手当てしよう」
コマラパは日よけのために首に巻いていた布をはずした。
「これはおまえの、精霊の姉、ラト・ナ・ルアが持たせてくれていたものだ。これならば血を止めることもできよう」
「ええ~、なにそれ! 反則! っていうか、今、レニが死なないってことになったら、これからの展開はどうなるのさ?」
あくまで過去の記憶であるセラニスは言う。
「知るか!」
コマラパはレニの血を止めるために、細長い布をぐるぐると巻き付けた。
精霊の与えた布は、裂くことはできないが、ある程度、伸び縮みする。血は滲んでくるが、多量の出血は、止まってきたようだ。
「ルナ。おまえは死なない。滅びるのは、人の姿をした怪物。ガルデルだ。あの小僧を、信じて待ってやるのだ」
「ミツル! ミツルも」
「……うむ。名前のことは、ガルデルを倒してからだな……」
「こら! こっちを無視するなってば!」
今は妖艶な美女の姿を借りていることも忘れて、セラニスは子どものように叫ぶ。
「無駄よ、セラニス」
呼びかけたのは、それまで存在を隠していた精霊、ラト・ナ・ルアである。
銀色の髪に、水精石の淡いブルーの目。十四、五歳の華奢な美少女だ。
カルナックの養い親にして、守護精霊である。
世界の大いなる意思に逆らってまで、いまだ、ここに、カルナックの過去の記憶の中にとどまっていたのは、養い子であるカルナックのことが心配でしかたないのだろう。
「この限定された時空間では、あなたは『そのときしなかったこと』を行うことも、人間達に物理的に干渉することも、できないのだから」
「ふん! いまいましい、精霊か。おまえたちこそ機能が制限されているだろうに。まあいいや、すでに起こってしまった事件の中で、人の子が、どこまでできるか、見ものだね。見ててやるさ。ガルデルなんて、モンスター級だよ」
「でも、まだ不死身になってはいないわ」
「もともと化け物みたいなもんさ」
はなはだ無責任に言い放ち、セラニス・アレム・ダルは、観客に徹することにした。
クイブロとガルデルの、戦いの行く末を。




