第2章 その20 許せない敵を撃て!
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許せない人間が、目の前に居る。
現実の存在では無くても。
ルナ(カルナック)の魂に刻まれた、癒やせない傷。
そのことが、クイブロには何よりも悔しくて、許せなかった。
「おまえを倒す!」
宣言したのは、自分のためだった。
「倒すだと? 愚かな。野蛮人め」
ガルデルは、嘲った。
クイブロの放った石つぶてに当たったせいなのか、ガルデルはクイブロの存在を認識した。
彼の目に見えているのは、たかが十三歳ほどの、野卑な平民の牧童である。
愚かと、野蛮と、言わば言え。構わない。
クイブロは懐から、細い紐を取り出した。
先端が尖った金属製の錘を結びつけてある。
姉のカントゥータが好んで使う飛び道具、スリアゴだ。これは普段クイブロは持ち歩いていないが、姉から手ほどきは受けている。
「やっぱりそうだ。強くイメージできれば、ここに持ってこれるんだ」
思いの強さが試されるのだと、クイブロはあらためて再確認した。
「倒してやる。ガルデル! おまえを倒してルナを助け出すんだ、ここから!」
※
ずっとずっと昔から。
クイブロの夢に出てきた女の子がいた。
長いまっすぐな黒い髪、黒い目で。
ときに、その目は水精石のような淡い青に染まっていた。
夢の中では、その子の名前を知っているのに。
彼女も、彼のことを知っていて親しげに話しかけてくるのに。
一緒に過ごしたのは緑に覆われた広い場所や、その子の住んでいるらしい、大きな家だった。
そこはクイブロの家とはずいぶん違っていた。
ずっと二人で、よく話ばかりしていた。触れ合ったことはほとんどなくて、ただ一度だけ手を握って、胸が熱くなった。
けれど目覚めれば、ほとんど思い出せなくなっている。
それは藍色の空に『青白く若き太陽神アズナワク』が駆ける、この世界の空とは違っていて。
真っ青な空に白い太陽が輝いていた。
夜空に掛かる月は、一つだけ。
あれはどこだった。
あの子に会っていたときの自分は、なんと呼ばれていた?
ときどき、思い返すことがあった。
両親から預かったパコを放牧させているとき、そんなことを考えていたクイブロには、同じ村の女の子たちのことは、目に入らなかった。
いずれ大きくなって成人の儀を迎え、外へ出てもいいと許される歳になったら、上の兄たちのように、どこか外国で働いてみようか。
そう思っていた。
あのとき、荒野でカルナックに出会うまでは。
カルナックは、まだ小さい子なのに一人でいて、鳥の魔物に襲われていた。
クイブロが常識として知っているようなごく普通のことさえ知らなかった、彼の村では見たこともないほど可愛い子。
精霊みたいに美しいのに、男の子みたいな乱暴な口調に驚かされた。
このいっぷう変わった子に、クイブロは一目で、惚れた。
心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。
けれども。不思議になつかしい気がしたのも確かだ。
ずっと前に、いつかどこかで出会ったことがあるような。
夢の中に出てきたのだったか。その子のことが、あまりに鮮やかに思い浮かぶから。どんな女の子にも興味は持てなかったのかもしれない。
カルナックは、おまけに、あまりに無防備すぎた。
自分が、どんなに愛くるしいのか、全く思いもしていないのだ。
ほんのちょっとした表情で、仕草で、声で。たまらなく苦しくなる。
クイブロはもうどうしたらいいのかわからなくなった。
気がついたら、キスしていた。
その行為を、カルナックはひどく怒った。
おかげでクイブロはカルナックに空中高く吹き飛ばされるという経験をした。
コマラパに助けてもらわなかったら、あやうく高い所から落ちて死ぬところだった。
クイブロは、そのことについては反省した。
カルナックは急にキスされて拒絶反応を示しただけで、クイブロを殺す意図などはなく、驚いて突き飛ばしたようなものだった。
親しくなるにつれて、わかってきたことがある。
カルナックは人に触れられることを極度に忌避している。
クイブロはなかなかそれに気づけなかったけれど。
その原因は、今、目の前に居るガルデルという男にあったのだ。
尊大で冷酷な貴族の男。
カルナックを永遠に側に傅かせるなんて、そんなことを考えていたのか。
こいつが、悪だ。
こいつを倒さなければ!
クイブロは投石紐を再び手にした。
今度は火薬弾を挟んで、振り回す。
投石紐が、風を切って唸る。
この巨体ならば、投げればどこにでも命中しそうだ。
強く、思え!
ガルデルの腹か。心臓か。首の頸動脈か。どこにする?
心臓だ!
ブンッ!
クイブロは投石紐を振り抜いた。
火薬弾が、まっしぐらに飛んだ。




