第2章 その18 ラト・ナ・ルアは、精霊の姉。弟ラブでできている。
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『あたしには何も手を貸してあげられない。がんばって。コマラパ、クイブロ。カルナックの記憶にある過去の、小さなレニウス・レギオンを、助けて!』
精霊の森でカルナックを守り育てたラト・ナ・ルアは、いつものツンデレぶりを返上して、けんめいに、コマラパとクイブロに頼んだ。
かつて、ガルデルが起こした事件で殺され、他の犠牲者の死体と共に捨てられたレニウス・レギオンを助けたのは、精霊火だった。
すでに命のないはずの幼いレニウス・レギオンのまわりに、おびただしい数の精霊火が集まった。それがセレナンの大いなる意思の注意を引いた。
精霊火が身体に入り込んだことによってレニウス・レギオンは目覚め、生き返った。
出自は人でありながら、身体を動かしているエネルギーは精霊火である。
人間であると同時に精霊。
そして、どちらにも、なりきれない。
そんな寄る辺ない幼児を育てるために、『世界の大いなる意思』セレナンは、新たな精霊を創り出した。
世界そのものに深くリンクしている精霊族たちを取りまとめる長として、青年の姿をしたレフィス・トール・オムノ・エンバーを。
そして彼の妹、ラト・ナ・ルア・オムノ・エンバーを。
ただただ一心に、この子どもを慈しみ育てる、精霊の兄と姉を。
レニウス・レギオンは、生き返って、過去と共に、それまでの名前を捨てた。
自分で名付け直したのが、カルナックという名だ。
懐かしい気がするからというのが、名付けの理由である。
レフィス・トールとラト・ナ・ルアは、カルナックを可愛がり、溺愛した。無償の愛情を注いで癒やした。
たとえ『世界の大いなる意思』に逆らってでも、二人はカルナックのために力を尽くすだろう。
※
『気をつけて、あたしの可愛い弟』
コマラパにしがみついている幼いカルナックに、ラト・ナ・ルアは、手を差し伸べた。
「おとうと?」
輝く長い銀の髪に、ブルームーンストーンのような蒼い光をたたえた瞳。華奢な肢体。人間ではありえない神々しい美貌の少女ラト・ナ・ルアに見とれながら、きょとんと聞き返す、カルナック。
『そうよ。あなたは、この後、あたしの弟になるの。あたしと兄さんが、大切に育てるのよ』
「ぱぱ、は?」
カルナックはコマラパに強くしがみついて離さない。
『パパもよ。ここから出たら、みんなで一緒に暮らしましょうね』
このうえなく優しく、ラト・ナ・ルアは、微笑む。
「ミツルも?」
『ええ。もちろん』
「いや、おれはクイブロだけど」
思わずクイブロは突っ込んだ。
このままではミツルという名前だと、カルナックに間違って認識されてしまう。
『ケツの穴の細い男ねえ。この際どうでもいいでしょ。ラスボスを倒して。カルナックを連れて帰ってきて。いいわね?』
ラト・ナ・ルアは、ツンデレぶりを発揮する。クイブロには基本冷たいのでツンツン……いや、それはどうでもいいとして。
「やめなさい、女の子がそういうことを言ってはいかん。とくに、かりにも精霊様が」
コマラパは慌てた。
「あら、ごめんなさい。コマラパはまだ女性に夢を持っているのよね~」
「あの~、ラト義姉さん。なんか、コマラパとおれで態度違わないか?」
『だって、コマラパは本当のお父さんだったんだし。クイブロはカルナックを連れて行こうとしてる、人間の伴侶だもの。あなたには強くなってもらいたいの。この子を守れるくらいにね』
「おれは強くなる。ルナを守る!」
クイブロは、自戒の念もこめて、強く誓う。
『気をつけて。もうじき、怪物がやってくる』
「「ガルデル……!」」
再びコマラパとクイブロ、二人の声が重なった。
決して許すことのできない敵。
『あいつは、自分だけが大事なの。この子には殺すより酷いことをしようとしているのよ。お願い! 助けられるのは、あなたたち二人だけなの!』
ラト・ナ・ルアは、こだわりも何もかも捨てて、心から、二人に頼み込んだのだった。
『あいつが、来る……!』
暗闇に閉ざされたどこかで、おそらく隠し扉の石の仕掛けが、ギギギ、と、鈍い音を立てた。
ギシギシと、床の敷石を踏み込む音。
カン、カン、と、金属の鋲か金具が床に当たり、引きずるような音が響いてきた。
しだいに音が近づいて来る。
「ぱぱ! 助けて、怖い!」
カルナックが怯え、コマラパにしがみつく。
「おれを、あいつに渡さないで……!」
「案ずるな。絶対に、おまえを守る。わたしと、この小僧とで」
カルナックを腕に抱きしめて、コマラパは誓った。
「小僧かよ」
どことなく腑に落ちないクイブロである。
「腐るな。活躍すれば、この子に名前を覚えてもらえるぞ」
「覚えてもらいたいよ。ともかく、これからやってくるのが、敵なんだな!絶対に、倒してやる!」
コマラパは、腰に差している片刃の剣をさぐった。
鋭い刃をつけてある、頑丈な鋼板から研ぎ出された剣で、本来は儀式や、日常使いのためのもの。
これまで戦闘に用いたことはない。
だが、カルナックを守るためなら、ふるうことも厭わない。
クイブロは、得意の投石紐を握りしめた。持っている火薬玉の数も確かめる。それが尽きても、弾になる小石も周囲にかなりあるのを確認した。
「来るなら来い!」
気合いを入れて、身構える。
『気をつけて! もうじきよ!』
長くはいられないと言っていたラト・ナ・ルアだが、まだ、この場にとどまっている。
この部屋の唯一の灯りである、カルナックが閉じ込められていた銀の籠のそばに置かれた獣脂ロウソクの炎がゆらぎ、大きく伸び上がった。
※
怪物は無言で部屋に入ってきた。
ゴトン。
鈍く響いたのは、その怪物が、頭に被っていた冠を床に落とした音だった。
一際目立ったのは、引きずっている巨大な剣が、血にまみれていることだった。
まるで血の塊そのものを、右手に握りしめているかのように。
意外にも、その怪物は。大剣を引きずり、分厚い底に金属製の鋲を打っているであろう革靴のたてる騒々しい音とは反対に。
そいつ自身は、ひどく静かに、やってきた。




