第2章 その12 月光を浴びて眠ってはいけない
12
『カルナックを頼む。今夜は、手を出しても、怒らん』
そう言い残してコマラパが立ち去ったあと。
クイブロは、悩んだ。むちゃくちゃ悩んだ。
「手を出しても……って、なにを言ってるんだよコマラパ!?」
熟睡している、大切な可愛い嫁、ルナ(カルナック)の寝顔を見つめながら、さんざん考え込んだクイブロの出した結論は。
「やっぱり、できない!」
もしもクイブロが、もう少しばかり年上の、異性への関心に目覚め、日々を悶々とする青少年だったら、出した結論は違っていたかもしれないが。
ある意味残念なことに、いや、もしかすると幸いにも、彼は、通常の場合なら成人の儀に赴くのには、まだ早すぎる、十三歳の少年だった。
窓から差すのは真月の女神イル・リリヤの光。
今宵は満月から欠けていく途中の欠けた月で、夜遅くまで天空に在る。
その透き通った光に照らされた、ルナの寝顔は。
本当に、儚くて、今にも消えてしまいそうで。
「ルナ。可愛いルナ。おれが死んで、おまえが精霊の森に連れ戻されるなんて、絶対にさせない。どんなことがあったって、おれは死なない。ずっと一緒に暮らすんだ」
コマラパと精霊たちの心配が、ただの杞憂であることを願う、クイブロだった。
月光に照らされているルナの表情に、ふと、変化が起きたのは、そのときだった。
眉根を寄せ、苦悶するような。
悪い夢でも見ているのだろうか?
「……やぁっ…」
小さく開いた唇から、苦しげな声が漏れた。
「いや……! やめ、……っあ!」
華奢な肢体が、痙攣して、大きく反り返る。
「あああああああーーーーーっ!」
「どうした!?」
思わずクイブロはカルナックを抱き寄せるが、全力で、はねつけられた。
「ルナ! ルナ! しっかりしろ!」
救いは、眠っているのだから、クイブロに触れられたのだとは、全くわかっていないだろうということ。
いったいカルナック(ルナ)は、誰に対して抗っているのか。
「ルナ!? おれは、おまえの側にいる。起きてくれ。目をさませ!」
だがカルナックは目を覚まさない。
どんなに呼びかけても、クイブロの声に反応がない。
月光の中で、深い眠りの罠に捕らわれているかのように。
何度も身体はのけぞり、首を左右に振り立てて。全力で抗って。
カルナックは、喉が切れるのではないかと思えるほどに、叫び続けた。
「いやだ! ガルデル! おれに触るな!」
「助けて、パパ!」
その次にカルナックは、かぼそい声で、言った。
「おねがい……ミツル、たすけて」
「え?」
ミツル?
誰だ、それ?
緊急事態なのに。
自分の知らない名前をカルナックが口にしたことに、衝撃を受けた。
パパという言葉は、「父親」だという意味だと、教えてもらったけど。
カルナックは、ガルデルと、口走った。
今、カルナックが苦しんでいる原因は、幼い頃の悪夢なのではないだろうか。
この夢から覚めないかぎりカルナックは、自分の名前を呼ばないだろう。幼い頃のカルナックと自分は、知り合ってもいないのだ。
こんなに近くにいるのに、助けてやれない。
「どうしたら。どうやったら、夢から覚める?!」
「何をしている!」
突然、怒号が響いた。
「ひどいことをするなと言ったはずだ!」
悲鳴を聞きつけて、怒りに打ち震えたコマラパが、部屋に乱入してきたのだった。
「ちがう。おれじゃない!」
クイブロは懸命に叫んだ。
「おれは何もしてないんだ!」
深い眠りの中で悪夢に襲われているのか。
クイブロの抱き寄せようとする腕も、呼びかける声さえも、強くはねつけて、苦悶するカルナックの姿を見たコマラパは、怒りの矛先を向ける場を失った。
そして、カルナックの纏っていた精霊の衣は、漆黒に染まっていた。
夜の闇よりも暗く、救いの無い暗黒に似て。




