第2章 その9 銀の竜の足下へ
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西の海岸沿いに長く伸びる山脈、万年雪に覆われ高くぞびえる峰、白き女神の座、ルミナレス。
そこでは四年に一度、「輝く雪」(コイユル・リティ)と呼ばれる祭りが行われる。
近隣のみならずエナンデリア大陸各地から多くの人々が集い、白き女神、つまり真月の女神への感謝の祈りを捧げる聖地である。
山裾に人々は集い、峰の中腹に天幕を張って、半月の間を過ごす。
祭りの最後の七日間には、人々の代表として選ばれた「神がかり」の者たち七人が、さらに雪渓を登りつめ、氷の山に到達する。
彼らは夜明けを待ち、そこから巨大な氷を掘り出し、氷塊を藁の筵に包み、引き下ろして帰還する。
その氷は「輝く雪」と呼ばれて、大勢の人が集まっている祭りの場へ運ばれ、細かく砕かれて人々に分けられる。それは護符として持ち帰られるが、不思議に、融けることはないという。
アティカ、「欠けた月」の一族の者は、子どもから成人へと達するとき、この雪渓に向かうことになっている。
そして頂上で、真月の女神が遣わした化身『銀竜』に出会う。
それが成人の儀である。
ルミナレスの頂に到達しても、全ての者が『銀竜』に会えるとは限らない。
だが、一人で旅に出ることこそが、儀式の意味なのだ。
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「クイブロは、できるだけ速やかに『成人の儀』に臨むこと。それだけが未来を変えられる行動だ。ただちに旅立つがよい」
精霊の森のレフィス・トールは、村長である母親ローサ、次代の長となるカントゥータ、父親カリート、末子クイブロ、以上のプーマ家一同に、こう告げた。
「ただちに? 今これから、ということでしょうか、精霊様」
戸惑いを浮かべつつ、ローサはかしこまる。
「ええ、そうよ。時間の猶予は、ないわ。出発が遅れればそれだけ危険が高まる。急いで、クイブロ。あなたの伴侶、カルナックのために」
ラト・ナ・ルアも、言い添える。
事態は急を要するのだと。
「わかった。おれ、すぐに出発する!」
「いや待て、クイブロは成人の儀には幼すぎる」
一家の父親、カリートが異議を唱えた。
「通常の場合では無い。今すぐにでも旅立たなければ、運命に追いつかれる」
レフィス・トールは、容赦の無い声で言い放つ。
「しかし、ルミナレスの頂上まで歩いて五日はかかる。せめて携行食糧と毛布や荷物を用意しないと。それに今すぐは無理だ、夜中に出発するのは、魔物に襲われるかもしれん。準備を整え、吉日を待って発つほうがいい」
カリートは食い下がった。
一家の父親である彼も、自分もまた若い頃に経験した、過酷な旅に、まだ十三歳の末子クイブロをかり出したくはなかった。
親心である。
ちなみにカリートは『銀竜』には出会えなかったが、言葉をかけてもらい、加護を受けている。
ローサは『銀竜』に出会い、言葉を交わしたうえで加護を得た。
「父さん。精霊様が、おっしゃることだよ。わたしは、従うべきだと思う」
カントゥータは、クイブロのできる限り速やかな旅立ちを勧めた。
「よし、クイブロ、おまえは成人の儀に臨むのだよ。わたしは村長として、そう決めた。荷物は、カントゥータが用意する。カリート、どうも吉日を待ってはいられないようだ。今夜は家で眠り、明日の朝に出発だ」
「……仕方ねえな。おれも荷物の準備に加わるからな!」
カリートは胸を叩いた。
クイブロの気持ちは置き去りである。
突然のことに、心の準備はできていないクイブロだった。
しかし、精霊たちの勧めに、従わないはずもない。
「母ちゃん、父ちゃん。姉ちゃん。コマラパさん。おれは成人の儀に臨む」
クイブロは改めて決意をあらわにした。
「銀竜に会って加護を得る。みんなのために、ルナのために」
「……クイブロ。山へは、一人で行くの?」
このとき、かすれた声で言ったのは、カルナックだった。
「おれを、置いて?」
ひどく寄る辺なく、心許ない様子だった。
「それは」
「いやだ。行かないで。一人にしないで」
「ルナ。おれは、おまえのために」
困惑するクイブロ。
「だって。片道が五日だよね。往復で十日も留守にするの? もしも、クイブロがいない間に、アトク兄ちゃんていう人が帰ってきたら?」
潤んだ目で見上げる、カルナック。
「そっ、それは!」
クイブロは、言葉に詰まった。
もしもそうなったら。取り返しはつかない。
だからこそ精霊たちは、一刻も早く旅立てというのだろう。
「おれも、行く! 一緒に行くよ!」
カルナックはクイブロに手をのばした。
「だって、クイブロは、おれの伴侶なんだから!」
「えええええええ!!」
抱きつかれて真っ赤になっているクイブロを見ながら、カントゥータは思うのだった。
絶対、カルナックは「伴侶」という意味を、本当にはわかっていない。
二人で一緒に旅に出て、クイブロの自制心は、もつのだろうか。




