第1章 その19 大好きだから、うちあけたい秘密
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カルナックが無防備すぎると嘆いた後で、クイブロは、今どういう状況なのかを、よくよく思い出していた。
「あれ? 二人きりでも、いいのか? もう、おれと契約の杯を交わしたんだから……」
少し考えて、また、赤くなる。
もしかして家族や親戚、村の人たちは、気を遣って?
急に動悸が早くなってきた。
傍らにいる、もうどうしようもなく可愛らしく美しい生き物は、先ほど自分と婚姻の杯を交わした、嫁である。
もう、嫁なのだ。
……ということは。
子は成せないと精霊様は言ったけど。
子どもはできないという意味だろう。
つまり……普通なら子どもができるような、ことは。
しても……いいのか?
少年から青少年になろうとしているクイブロの妄想は、どんどん膨らんでいく。
もちろんお互いにまだ一人前の大人ではないし、だからといって実際に何をするわけでもないのだけれど。
心臓が、どきどきしてきた。
ちょっとくらい、触っても?
自分を覗き込んでいるカルナックに、手をさしのべる。
「こっちにこいよ」
「うん」
誘うと、すぐに布団に乗ってきた。
懐いている子犬のようだ。
カルナックのそばにいつもいる白ウサギのユキも一緒だ。
「なあ、足の裏、触っていいか」
「だめ」
思い切って聞いてみたが、拗ねたようにかぶりを振る。
「髪の毛、ほどいてみてもいい?」
きれいに三つ編みにされた長い黒髪を、そっと、握る。
「だめ。さっきコマラパが怒ってた。足の裏と髪の毛は、簡単に触らせるなって。知らなかったけど、なんか、いやらしい意味があることなんだよね?」
知らなかったんだから、と責められる。
でも、気の強そうな、そんな目も、表情も、すごく可愛い……。
「ごめん。そうだけど……でも、どっちも、おれはもう、してるよな……こんなことも」
クイブロはカルナックの細い顎を右手でつかんで引き寄せた。
動かないように押さえて、顔を近づけていく。
カルナックのほうは何が起こっているのか察していないようだ。
唇が、ごく軽く触れ合った。
「うわっ!」
カルナックは驚いて叫んで、
とたんに逃げていくから、思わず追ってしまう。
つい乱暴になりそうで、自分を懸命に抑えた。
「なんで、こういうことをする?」
唇が離れたとき、さも不思議でならないように、尋ねられた。
「おまえが、可愛いから。綺麗だから。……とにかく、見ていると、つい、触ったり抱きしめたりしたくなってしまうんだ。おまえのことが、好きだから」
「なぜ?」
わからない、と、首を傾げる。
濡れたように艶やかな長い髪に、指を差し入れた。
淡い青の目が、すべてを見透かしてしまうように見上げている。
「好きって何? わからない」
「でも、おれと伴侶になるって受け入れてくれたよね?」
今さらな発言に、焦る。
「それは。はんりょ、に、なれば。ずっといっしょにいられるって兄さんが言ったから」
「ずっと一緒にいたいと思ってくれたんだよな」
「それが、『好き』なの?」
「そうだよ」
「……じゃあ、すき。クイブロのこと」
続けてカルナックはその理由をあげていく。大きな鳥の魔物から助けてくれた。うさぎ(ビスカチャ)を獲ってくれた。
「でも、おまえの欲しいのは晩飯の材料じゃなかったんだよな。悪かった」
「だいじょうぶ。助けられたから。ほら」
ユキと名付けた白ウサギが肩に乗ってくる。普通のウサギ(ビスカチャ)は、こんなに馴れないものなのに。真っ白な毛並みを撫でて、くすっと笑った。
「……」
けれどその笑顔が、ふいに、翳りを帯びた。
「クイブロ。さっき、どうしても話しておかなきゃいけないことがあるって、言ったよね。聞いてほしい」
カルナックは、首元で結んでいた肩掛け(リクリャ)を解いた。
それから丈の短い上着を脱ぎ、ひだの多い黒いスカートを外した。
「待て! 何をやってるんだ」
クイブロは、度肝を抜かれる。
その間にもカルナックはどんどん服を脱いでいき、靴を足から落とす。
あとは精霊の森にいたときから身につけていた、裾の長い飾りのない長衣だけになる。
いったんは黒く染まっていた長衣は、今は純白に戻っている。精霊の森の水を飲んだことによるのだが、クイブロは理由も変化の原理も知るよしも無い。
その純白の長衣さえも、すっかり脱ぎ捨てたカルナックは、しんと透き通るような月光のもとに、白い肌を晒した。
「見て」
切羽詰まった声に、ただごとではない様子を悟って、クイブロは、カルナックを見た。
日に当たったことのないような白い柔肌の、いたるところに、うっすらと浮かび上がる、刃物で切りつけられた無数の傷跡を。
「なんで……だれが、こんなことを」
クイブロは、それだけ言うのが、やっとだった。
それから、なぜ、最初に「嫁になってくれ」と告げたときに、いい返事をもらえなかったのかを、悟った。
「さっき、おれが父親に殺されたって言ったけど、それで全てじゃない」
顔を伏せる、カルナックの身体から、青白い精霊火が、にじみ出てきた。
「言うべきだったのに、この村でみんなに優しくしてもらったのが嬉しくて、言えなかった。おれはクイブロの伴侶になれるようなきれいな身体じゃない。闇の神の贄にしようとした父親に」
慰みものにされていたと、告白した。
心を壊して、空っぽな器に仕立てるために。
けれど肝心な儀式を始める前に、肉体に与えられた虐待がいきすぎて死んでしまった。
「殺されて捨てられた。それを精霊火が見つけてくれて、精霊に助けられた。だから、もうとっくに人間じゃなかったんだ。……ごめんなさい。おれのこと、いやになった……よね。こんな、きたない……嫌いに、なった?」
うつむいたままのカルナックを、クイブロは、黙って、抱きすくめた。
一瞬、びくっと身体を震わせるのを、さらに強く、かき抱いた。
「いやになるわけないだろ」
「でも」
「おまえは、おれの嫁。杯を交わした。どんなことを言っても無駄だ。おれは、嫌いになったりしない。離さないからな」
「……じゃあ、いいの? こんな……」
「こんな、なんて言うな。おまえは、きれいだ。それに、おまえが男の子だってこと、なんとなくわかってた。……胸、ないもんな! けど、そんなの構わない。どんなだっていい。好きだ」
「クイブロ……」
ほっと安心したように気が緩んで、カルナックはクイブロにすがりつく。
「ほんとはよくわからない。わからないけど。たぶん、クイブロのこと、すき」
「おれも、おまえが好きだよ。ずっと一緒だ。そばにいると誓うよ」
そのまま二人は抱き合っていた。
クイブロは、カルナックの柔らかい足の裏を、そっと、優しく撫でる。
「だめ。コマラパが怒る」
「いいよ。怒られるのはおれだから」
まだきっちりと三つ編みにしてある、カルナックのお下げ髪を握って、手先を鼻に近づけ、においを嗅ぐ。
「服を着ろ。……まだ、肌寒い」
一番下に身につけていた長衣をクイブロが拾いあげたときだった。
『うっふふふふ! 見ぃつけた!』
床に落ちる月光の落とした影の中から。
皮肉に嘲笑う、声がした。
影の中から立ち上がる、ほっそりとした青年の姿があった。
鮮血のような髪の色、影になっているのにはっきりとわかる、昏く赤い瞳が。
獲物を見つけた草原の『大牙』(タイガ)のように、闇の中で光った。
『グーリア帝国の皇帝となった神祖ガルデルの末子。レニウス・バルケス・ロカ・レギオン。やっと見つけた。今まで、この大陸じゅうに放っておいたぼくの目をくらますものを纏って隠れていたね。だめじゃないか。きみは、このぼく、セラニス・アレム・ダルのために用意された、空っぽな器なんだから』
赤く昏い目をした獣が、青年の姿をして、長い腕をのばす。
嘲りと、さも楽しげな笑みに彩られて。
『おいで。取り立てに来たよ。ガルデルが不死の代償に支払うべき対価。きみを!』
「あ……あ……」
カルナックの全身が、熱病の痙攣発作のように激しく震えた。
「あああああああああああーーーーーーーーーああああ!」




