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第1章 その15 クイブロの母ローサと、大宴会


          15


 家に入るなりカントゥータが「クイブロに嫁が来た!」と大声で告げたところ、それを聞きつけて沢山の人々がやってきた。


 誰もが身につけているのは毛織物でできた服だ。湯通しをせず脂気を残したままで糸に紡ぎ、手機で布に織り上げて仕立てる。


 これは精霊の森に入る前のコマラパも、外套の下に着ていたものだ。高原の冷たい風を通さず、体温を逃がさないので、暖かい。

 この村では、生成りのままではなく植物の葉などを媒染に用いて様々の色彩に染め上げていた。だいたい地域で好まれる色合いは違う。ここでは茶色と黒の服が多い。反面、女性達の服には、鮮やかな赤に染めた毛糸で花などの刺繍が丁寧に施されていた。


 最初に、大柄な中年の女性が顔を見せた。

 人が良さそうな、穏やかな表情をしている。


「ようこそ! あたしはローサ。クイブロの母親だよ。まあまあまあ! なんて可愛いらしいんだろう!」

 嬉しそうに笑って駆け寄り、カルナックを軽々と抱き上げた。ちなみにローサというのは花の名前で、この国では多くの女性につけられるほど好まれる名である。


「うわあ」

 カルナックが目を回すくらい振り回し、ぎゅうぎゅう抱きしめる。


 抱擁は苦しいくらいだったが、その温かく柔らかな感触に、カルナックは、思わず、うっとりしてしまった。

 精霊の森では、精霊の養い親となったレフィス・トールとラト・ナ・ルアから、心の傷を癒やすほどに溢れるような愛情を注がれてはいたけれど。

 人間からは、愛情を受けたことはないカルナックだ。

 自分の実の母親からは受けたこともない真っ直ぐな愛情表現に、驚き、羨望さえ覚えていた。

(いいな。クイブロには、こんなあったかいお母さんがいるんだ)


「まあ、なんてきれいなお嬢さんだろう。うちの末っ子にはもったいないさね。いいのかい。うちの末っ子のクイブロなんかで。この子はまだパコも三頭しか持ってないよ。この冬までには、もう二頭くらいパコチャが生まれるだろうけどねえ」


「母ちゃん! やめろよ。おれに恥かかすのかよ」

 クイブロは憤慨していた。


「なんだい。お嫁さんに、いいとこ見せたかったのかい」


「……そ、そりゃ、そうだろ!」


「かっこつけるのは、無理無理。いくつになっても男なんて子供みたいなもんさ」

 クイブロの母親ローサは、カルナックを抱き上げたまま。

「おや、いい靴をはいてるね」


「おれを拾って育ててくれた姉さんが、作って持たせてくれたんだ。このカバンも、服も、ぜんぶ」


「そうかい。そのお姉さんは、あんたのことをとても可愛がっていたんだねえ。いま姉さんの話をした時、すごく優しい顔になったよ」


「……うん。姉さんも兄さんも、とても優しかったよ。なのに、おれが、外の世界を見たいって言ったから……寂しがってた」


「おやおや。思い出したら、家が恋しくなっちゃったかな」


「……そんなこと、ないよ」

 今朝出てきたばかりなのに精霊の森が懐かしい、兄や姉に会いたい。寂しいと、だだっ子みたいに言いたくなくて、カルナックは目を伏せる。


「じゃあお嬢さん、お支度しようか」

「え?」


 クイブロの母親と共に、村の中年女性達が集団でやってきて、「そうそう、お支度をしなきゃね」と楽しそうにカルナックを囲み、奥のほうへ連れて行く。

 まるで市場に売られる子羊のように、不安そうだったが。

 それでも、クイブロの母親に手を引かれるのは、まんざらでもなさそうだった。


「待て。どこへ連れて行くんだ? わたしは庇護者として守ると、あの子の養い親と約束している。目を離すわけにはいかん!」


 立ち上がろうとしたコマラパだが、カントゥータに引き留められた。

「我が家の一番若い嫁さんに、みんな会いたいんだよ。悪いことなんてしない。心配しなくていいから、酒でも飲んで待っていなよ。ほれ」

 カントゥータが濁り酒を注いで勧める。


 村で、サラというトウモロコシに似た穀物を発芽させたホラというものから醸造されているそれは、さほど強い酒ではない。この村では子供も水のように飲用するというが、コマラパは口をつけなかった。食べ物にも、手を出していない。

 周りに親族や村人たちが集って陽気に騒ぎ、席を立たせてくれない。

 どうにも宴会好きの村人たちだった。


 はらはらしているうちに半時ほど過ぎた。


 おおーっ、という歓声があがって、コマラパは先ほどクイブロの母親たちと共にカルナックが連れて行かれた戸口のほうに目をやった。


 そこには、花の咲いたように可愛らしい少女がいた。


 コマラパの顎が、がくんと落ちた。


 それはカルナックだったのだ。


 クイブロの母、ローサたちに付き添われている。

 村の女性達と同じような、きれいな衣装をまとっていた。


 カントゥータの着ているような男物ではない。

 ひだの多い黒いスカートの裾に花や鳥の意匠が刺繍されており、同じ刺繍が施された、丈の短い上着と、肩掛けを羽織っている。

 艶やかな長い黒髪は、一つに束ねて丁寧に三つ編みにされていた。


「どどど! どうしたそれは!」


「変なモノ見たみたいに言うな!」

 カルナックは、顔を赤くして、少し、力なく笑う。

「女の子の晴れ着だって。クイブロの……おかあさんが。なんか知らないけど、こんなときのために前々から用意してたんだって。こんなときって、なんだろうね」


 おかあさん、と言うときに、僅かにカルナックは口ごもった。


「ああ、それでか」

 コマラパは、ようやく得心がいった。


 カルナックがかつて人間として暮らしていたとき受けていた虐待を思えば、実の母親は、無償の愛情を注いでいたとは思えない。

 だからこそ初対面であるのにクイブロの母親から寄せられる溢れるような好意が、戸惑いつつも、非常に心地よいものであったのだろう。


 本来、身につけるものや髪型まで他人に構われることなど許せなかっただろうに。


「それでか、じゃねえよ」


 急に、いかにもカルナックらしい乱暴な物言いを耳にして、なぜかコマラパは、ほっとした。


 まるで見知らぬお嬢さんと相対しているような気がしてきていたからだ。

 中身は、いつもの、口の悪いカルナックに違いはなかった。


「もう少しほかに言うことがあるだろう。その、似合ってるとか似合わないとか」


「に、似合ってるとも。まるで、どこかのお嬢さんみたいで見違えた」


「それ褒めてないよね?」


「いやいやいや、可愛いよ! 驚いて声も出なかった」


 コマラパは立ち上がってカルナックに近づいた。

 頭を撫で、声を落として、

「まさか、ラト姉さんに着せてもらった服のほうは脱いでいないだろうな?」

 と尋ねる。

 精霊の森を出るときに、それだけは忘れないでと、育ててくれたラト・ナ・ルアから、念を押されたことだ。

 カルナックは、外見は人間の子供そのものであるのだが、長い年月を精霊たちと暮らして、外界に出てきて丸一日も経ってはいない。

 人間の常識も持っていないカルナックを一人にはできない不安を、コマラパも抱いていた。

「わたしは、おまえに外の世界を見せてやるが、必ず無事に森につれて帰るとラト・ナ・ルアに約束したのだ」


 人間の世界を見聞させて、そのうちに、いったんは精霊の森に帰す。

 そうしなければ、カルナックの身体がもたない。

 かつて人間だった頃に受けた、『魔の月』の呪いのせいだ。

 まだ、精霊達による浄化が必要なのだ。


「もちろん。ちゃんと一番下に着てるよ。外套は脱いだけど。それに、ほら」


 精霊の白い森で創り出された布でできた長衣は下着として納得してもらい、裾をたくしあげて身につけているし、姉として育ててくれた精霊のラト・ナ・ルアが持たせた、斜めがけの小さなカバンは、忘れずに持っていた。

 中には水晶の筒に入った清浄な飲み水がある。

 水晶の筒は、精霊の森に繋がっていて、中身の水は飲んでもなくなることはない。カルナックには、精霊の森にある清浄な水が欠かせないからだ。



「さあさあ席に! クイブロ。おまえの支度は用意してないからね。そのままでいいよね」

「も、もちろんさ」

 カルナックを見たクイブロの顔は、真っ赤になっていた。

「すごく可愛い……!」


 息子の感想を聞いた母親は、笑った。

「おや、なんだね今さら。わかってたんだろう? こんないいお嬢さんだって」


 あれよあれよという間にカルナックとクイブロは並べて席につくことになる。


 カルナックの隣にはコマラパが座る。

 クイブロの隣には姉のカントゥータが座った。


「さあさ村の皆の衆、たんと飲んで食べておくれ。我がプーマ家の末っ子クイブロが、まだまだ嘴の青いひよっこのくせに、綺麗な嫁さんを連れてきたよ!」

 満面の笑みをたたえた、村長ローサが音頭をとる。


「……だよなあ」

 コマラパは大いに嘆息をついた。


「ですよね~」

 思わずカルナックも呟いた。

 

 前世の記憶の残滓か、日本語で。


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