第1章 その13 欠けた月の村へ。女戦士登場。
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精霊の森から、送り出されてやってきた山奥で、出会った少年は。
クイブロと名乗った。
アティカ、『欠けた月』の一族だと。
この一族の噂を、コマラパは耳にしたことがある。
レギオン王国に滞在していたときのことだ。
欠けた月を意味するアティカと呼ばれる一族がいる。
優れた戦士を多く輩出することで名高いが、実体は謎に包まれている。
どの国にも属さず、傭兵、または情報を集めるなどして一時的に雇用契約を結んで働くが、契約期間が終われば、いかに引き留められてもとどまらずに立ち去る。
彼らがどこの出身なのか、知ろうとする者は多いが、探り当てた者はいない。どこかの山中に隠れ住んでいるのだろうという噂だ。
「なるほど。『欠けた月』の一族は、このような土地に住んでいたのか」
「おれたちのこと知ってるのか」
「有名な戦士たちだ。噂は聞いていた。どこに住んでいるかは誰も知らなかったが。それを、素性も知れない、わたしたちなどに教えていいのか?」
「カルナックは、おれの嫁になるんだから、一族と同じだ。コマラパは、おれの嫁の親父さんだろ」
「ちがうから!」
「嫁にはやらん!」
カルナックとコマラパの否定の言葉が重なった。
「でも、おれに名前を教えてくれた。初対面ではダメだ、親しくならないと教えないって言ってたじゃないか」
嬉しそうに、白い歯を覗かせて笑った。
「ってことは、おれのこと、きらいじゃないだろ?」
まったく屈託というものがない。野山に生きる、純粋な生命そのもの。
クイブロは、そんな少年だった。
「それに、もうじき夜になる。この辺では日が落ちるのが早いんだ。コマラパさんは旅慣れてそうだけど、夜は危険だ。このあたりには魔獣はそんなに沢山いないけど。野宿なんてやめて、家に来いよ」
「おれは野宿のほうがいい」
カルナックは嫌がり、コマラパの首に、さらに強くしがみついた。
しかし庇護者であるコマラパの考えは、違った。
「ありがたい申し出だ。確かに今夜は、野宿するにも準備が足りない。今夜だけでいいのだが、宿を借りられれば」
「おれは、いやだからね!」
「カルナック。そろそろ、浄化が必要だろう」
「知ってたの」
「姉さんに教えてもらったよ。姉さんも兄さんも、おまえのことを心配しているん。それに野宿は危険だ。どこか屋根のあるところで休まないと」
「……わかった」
コマラパの説得に、仕方なくカルナックも同意した。
「そうと決まったら、少し急ぐよ。日のあるうちに帰り着きたい」
クイブロは足を速めた。
三頭のパコたちも、主人である彼の後を、鈍い鈴の音を立てつつ、飛び跳ねるような足取りで、懸命についていく。
高山の空はすでに青を通り越して藍色だ。
雲一つ無い夕暮れの空は、あかね色に染まり始めていた。
やがて、高山の端の台地から、白い月が、のぼってくる。
青白い静謐な光を地上に降り注ぐ、真月が。
「パコチャ! そっちへ行くな。崖から落ちるぞ」
好奇心旺盛な子どものパコチャが道を外れそうになると、クイブロは、投石紐を出して、パコチャの足下に小石を投げつけ、正しい道に戻させる。
なるほど日常的に使っているので、クイブロの投石紐の扱いは、自分でそう言ったように、手慣れたものだった。
緩やかな登りの傾斜が続いた。
「そろそろ村だ」
クイブロが振り返ったときには、カルナックはコマラパの腕に身を預けて、うとうととしていた。
「ん。もう、ついたの?」
「もうじきだそうだ」
すでに森林限界を超えている。
木々の姿はない。せいぜい、あっても背の低い灌木のみ。
あたりには人間の膝くらいまである、細長い葉をした草が多く生えていた。
しだいに、石を積み上げてつくられた石囲いがいくつか、見えてきた。
囲いの中には、クイブロが連れているような、毛がみっしりと生えたパコや、子どものパコチャ、それに羊や山羊が、十頭か、多くても二十頭ほどずつ入っていた。
のんびりと囲いの中で草を食んだり、もらったのだろう野菜くずを食べたりと、くつろいでいる。
石囲いの間を通り抜けていくと、やがて村の家々が見えてきた。
どれも石を積み上げて造られたものだ。
たいていは屋根裏のついた平屋で、二階建てよりも高いものはなさそうだった。
どの家の煙突からも、煮炊きをしている細く白い煙が立ち上っていた。
小さく開けられた窓から、灯りがもれている。
夕暮れが、迫ってきていた。
一番手前の家の前で、佇んでいた人影がある。
背の高い、若い女だった。
長い金髪を一つにまとめて三つ編みにし、背中に垂らしている。凜々しい、きれいな顔立ちをしているが、肌や髪の手入れには、まったく関心がなさそうだ。
クイブロと同じように、温かそうな毛織りの上着を身につけ、動きやすそうなズボンという、牧童の出で立ちだ。
気の強そうな、はっきりとした目鼻立ちをしていた。
「遅かったな。クイブロ。ほかのパコはみんな帰ってきている。早く囲いに入れて、水をやっておけ。……ん? 一緒にいるのは、誰だ?」
「ただいま姉ちゃん。あのな、今夜、うちに、客を泊めたいんだ」
「客?」
クイブロの姉である若い女性は、不審げに眉をつり上げた。
「その客は……よく、この村に入ってこれたな。村の入り口で弾かれないとは、いったいなにものだ」
瞬間。
はなはだ不穏な空気が、ぶわっと音を立てて解き放たれる。
見れば、手首に巻き付けていた細い紐を解いて地面に垂らす。その先端には、尖った紡錘形をした金属が結んであった。
答えを待たずに、危険な武器を振り回す。
ヒュン、と、高い音を立てて風が唸る。
女は、このうえなく楽しそうな表情をしていた。明らかに戦士だ。
コマラパはこの武器を見たことがあった。
スリアゴと呼ばれる、それは。軽いしかさばらず携帯に優れているが、先端の錘が当たれば、人の顎も頭蓋骨も砕けるほどの殺傷力がある。
「やめてくれ! おれの客だ」
しかし女戦士は緊張を緩めない。
「おまえを欺いているかもしれないじゃないか。村の入り口を通ったはずなのに、警鐘も鳴らなかった。普通ではない。『魔の月』の手足かも」
「待て。それはあり得ない。わたしはクーナ族のコマラパという」
「その抱いている子どもは何だ。その肌色、髪の色。クーナ族でもないしエルレーン人でもない。黒髪はサウダージ共和国に多いと聞くが」
「違う! この子は、レギオン王国生まれだが、精霊の愛し子だ!」
「姉ちゃん! その子は、おれの嫁だ!」
「は?」
クイブロの姉が振り回していた武器は、今まさにコマラパに狙いをつけていたのだが。ふいに勢いを失って、地面に落ちて先端が突き刺さった。
「なんて言った?」
「嫁だ! 将来の嫁ってことだけど」
それを聞いた女戦士の表情から、急に毒気が抜けた。




