第5章 その2 大森林の賢者
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「本当ですかローサさん。ご家族の祝いの宴に招いていただけるなんて、なんという幸運でしょう!」
明るい金髪の青年が、若葉色の目を輝かせた。
今にも小躍りしそうである。
「いけません若様。そのように、すぐご厚意に甘えるなど、あるまじきことですよ」
(聖職者として)
と、そっと言い添えたのは、銀髪の青年。
「祝い事は皆で分かち合うものさ。さあ、きなさるといい」
ローサは目を細めた。
実のところは、まるきりの善意だけでもないのだけれどね、とローサは内心思うのだが、目の前の、育ちのよさそうなお坊ちゃまに言うことでもないだろう。
おそらく二人とも、かなりの身分を持った貴族の子弟。しかも外見の特徴を見るにエルレーン公国出身ではなさそうだ。
一人は雪焼けで頬に赤みを帯びているにもかかわらず、この上ない気品のある面差しをした二十歳ほどの美青年。ほとんど銀に近い金髪に明るい若草色の瞳、色白の肌には僅かに、点々とそばかすが浮いていた。
身のこなしも物言いも上品だ。平民であるローサへの言葉にも礼を尽くしている。
もう一人は、きらきらと輝く銀髪、色の薄い青い目をした背の高い青年で、あくまで表に立たず控えめに佇んでいる。見るからに屈強、というのではないが、鍛え上げた筋肉をしているだろうというのは、戦士の一族であるローサには一目瞭然なのだった。
(金髪の子が貴族か。雇い主で、銀髪の子が護衛かねぇ? どっちも、かなりいい家の子だろうね)
万年雪を頂く霊峰、白き女神の降り立つ座、ルミナレスを臨む山腹。
山裾に、千人以上の人々が、大陸各地から集っている。
昔から行われている、名高い「輝く雪の祭り(コイユル・リティ)」の見物に、あるいは参加するために。
遠国から、どんな種類の、どんな目的を持った人間が続々とやってきていても、おかしくはないのだ。
「我が家の天幕は、こっちだよ」
ローサは振り返りつつ、周囲に目を配るのも忘れない。
今のところ、怪しい動きをする者はいないようだった。
※
「寒かっただろう、まずは温かいスープだよ」
湯気の立ちのぼる木の椀が差し出された。
スプーンも木の枝を削ったものだ。
実は、木製の食器は、標高が高く大きな木がないローサの村では貴重なもの。それを客人に使ってもらうのは最大の厚意のあらわれなのだった。
「ありがとうございます。遠慮なく、いただきます」
金髪青年が口をつけようとした木の椀を、すばやく銀髪の青年が奪い取る。
「すみませんが、まずはわたしから、いただきます」
「あああっ、ずる~い! ミハイルぅ! わたくしが頂いたのにっ」
「ちょっと飲んだら、あげますから」
まるで兄弟のようである。
ミハイルは一口すすって、目を見開いた。
「うむ! これは美味い!」
「さあさ。それは金髪の兄ちゃんにあげるんだろ。ミハイルさんのぶんもあるよ。ほら、パンもどうぞ」
大きな丸いパンの塊を、切ってくれた。
焼いたイモに、バターも沿えてある。
「トウモロコシのパン? それにこれはジャガイモですね」
「スープもトウモロコシですね! う~ん、つぶつぶ感が絶妙~! これおいっしい! あ、そっちのお皿のは、肉ですか?」
「オルノっていう、土のかまどで蒸し焼きにした羊肉だよ。このソース、ウチュクタも、たっぷりつけてお食べ」
「おいっしい! ウチュクタ? この土地の名物ソースですね。使ってあるのはトウガラシ? それにトマト? あとは……まろやかさが……」
「お兄さん、なかなかの食通だねえ」
ローサが笑った。
「あ、申し遅れましたが、わたくしはシャンティと申します」
金髪の青年は、口のまわりにソースをつけながら、深々と頭を垂れた。
「ここは初めて参りまして、今夜の宿にも困っておりましたところ、このようなおいしい、温かい料理をいただき、人心地がつきました。まことにありがとう存じます」
「シャンティさま! 肉食べてますよ!」
銀髪の青年が、困惑顔だ。
「教会の戒律に反します」
「いいじゃないかミハイル。そんな細かいこと」
「……まあ、ここには教会のお偉いさんも来ないでしょうしね……」
納得しかねるように眉をひそめた青年に、奥から声をかけた者があった。
「おいしかった? よかったぁ、それ、おれが粉に挽いたの」
天幕の奥の方に、可愛らしい黒髪の少女がいた。
十四歳ほどだろうか。
となりには、同じ年頃の、赤みを帯びた金髪の少年がいる。
「あ、つぶつぶ感が絶妙でした! おいしかったですよ」
「そう? よかったぁ」
シャンティが礼を言うと、少女は、嬉しそうに笑った。
高原に咲く小さな花のような。
可憐な微笑みだ。
「かっ、かわいい!」
シャンティが声をあげた。
駆け寄って、少女の手を両手で包むように握った。
「あなた! 将来わたくしの嫁になりなさい! 北国ですが、決して不自由はさせませんっ」
「若様! バカですか!?」
ミハイルが、シャンティの頭を殴った。
ごつん、と音がした。
「だめだ」
少女の隣に立っていた少年が、ぶすっとした表情で言った。
「この子は、おれの大事な嫁だ」
「えっ!? その歳で!?」
「まだ髪は解いてないけどねえ」
ローサが身体をゆすり、大声で笑った。
「髪を解く?」
シャンティは首を傾げる。
「若様。このあたりの土地の言い回しですよ。髪を解くというのは、ごく親しい関係にある者だけがすること。転じて、伴侶ならば、……つまりですね」
「というと?」
「察してください若様」
ミハイルの顔は赤くなっていた。
「ああ、伴侶だけど、まだ床を共にしてないって意味さね。二人ともまだ子どもだからね!」
ローサは、あっけらかんと言った。
「そ、そそそうですか~」
シャンティの顔も、赤くなった。
「婚約の披露宴もまだだったし。大人になったら、式も、また、ちゃんとやり直すよ。待っててくれ」
少年は、黒髪の少女の手をしっかりと握った。
「待ってる」
少女も握り返し、二人は見つめ合う。
「実質的な伴侶ではなくとも、この二人は既に、世界の大いなる意思と精霊様もお認めになられた、婚姻の契約を結んでおる」
さらに奥から、壮年男性の声があがった。
「その子は、わたしの一人娘だ。この一家のほかには、どこへも嫁にはやらぬ」
体格のいい、長身の男性だ。
髪にこそ白いものが混じっているが、力強い印象を受けた。
「わたしは、クーナ族の出でな。縁あって、娘を連れてこの村を訪れたのだが。この子が、村長の家に嫁入りすることになるとはなあ。まだ早いと思っていたのだが」
壮年の男性は、複雑な笑みを浮かべた。
「……もしや、あなた様は」
シャンティは、言葉を呑み込んだ。
「大森林の、深緑の賢者さまでは?」
どっ、と、歓声があがる。
天幕におしかけた大勢の人々が、明るく笑い合っていた。




