第4章 その20 世界神と、ひとつだけの願い
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気がついたら、薄明の中にいた。
夜明け前の空の色だ。
周囲には何もない。
落ちているのか昇っているのか、それともただ浮かんでいるのかも判らない。
やっと思い出した。
おれは何度も、ここに来ている。
死ぬたびに。
もう何千何万回になるのか思い出せない。
この惑星に人類が降り立ってから、何万年も経過してはいないのだが、おれは人類の歴史よりも多くの転生を繰り返している。
過去であったり未来であったり、そしてまた、同じ時間軸を再びなぞり、まるでやり直しを強要されているかのように。
おれにとっての『生』は、罰そのものだった。
おれが殺人という罪を犯したから。
それこそ何度、生まれ変わっても。
いつも、殺してしまう。
楽しくもなんともないのに。そういう巡り合わせになってしまう。
『気がついたようだな』
どこからか聞こえた声は、おれの心臓を共鳴体にしたかのようで魂に直接響いてきた。
男の声でも女の声でもなかった。
人間たちはそれを女神と呼んでいるが、実際には、そいつに性別などありはしないから、女神でも男神でもないのだと、おれは知っている。
だから世界に慈悲など期待してはいけない。
人間など、ここに還ってくれば、それまでの人生の記憶など喪ってしまっているのだ。
何も持たず、何の感情も抱かず、おれは、ただ空虚だった。
この薄明の情景と同様に。
『今度の生はどうだったかな』
世界神が、尋ねる。
『得たものも、あるだろう?』
「何をだ? 思い出せない」
『意識を、手に向けてみるといい』
言われてようやく、自分には手があったのだと認識する。
なんと、剣を右手に提げていた。
抜き身のままの、腕の長さくらいの剣だ。
それを目の高さまで持ち上げてみる。
片刃の鉄剣。
刃の表面には、波紋のようでもあり木目のようでもある複雑な文様が浮き出ている。
「これは……流星刀?」
どの前世だったのか定かではない記憶が告げる。
歴史上の誰かが、鉄隕石を素材にして刀工に作らせたものがあった。美術館に展示されていたものを見たことがある。
見た?
いつの、誰の記憶だ?
「……いや。ウーツ鋼、ダマスカス刀か? そっちは……写真しか見たことはない」
おれの独り言に、『世界神』は応える。
『地球ではない。我が創造した世界で作られたものだ。そしておまえに、それを譲った者のことを覚えているか、アトク? こたびは、その名前だっただろう』
ふいに、奔流のように記憶があふれ出す。
おれの名は、アトク・プーマ。
真月の女神イル・リリヤの意思を守り伝えてきた『欠けた月の一族』の、村長の息子として、エルレーン公国の辺境、山中の隠れ里に生まれた。
生まれた村で、生ききれず。
乱暴の限りを尽くして、嫌われ者で。
やがて村にいられなくなり、飛び出した。
雇われ者、護衛、冒険者だとか、物売り、そのうちに、ごたごたに巻き込まれて、人を殺した。
再びその土地を逃げ出して、前歴を問われない傭兵になった。
それからは何十人何百人何千と殺して。
あげくに二十歳だかそこらで死んだ。
そう長くはなかった人生の全てが、一度に押し寄せてきて、おれは叫んだ。
いい人間では無かった。
どこかが狂っていたのだろうか。
最後は故郷を裏切りグーリア帝国の手駒となって使い捨てられた。
ただ、それでも。
母親は、妹は、家族は、おれという存在を許してくれた。
一族に害をなす人間、おれのことなど、殺さざるを得ない状況だったというのに。
この剣は、人生の最後に妹のカントゥータがくれたのだ。
本来は次期村長である彼女のものだった、村にたった一振りしかない鉄の剣を、死に際のおれに手向けてくれた。弟のリサスが北方のガルガンドで得て届けた剣。
たぶん、そのおかげで。
おれは地獄に堕ちなかった。
『そうだともアトク。その経験は今までのおまえには得られなかったものだ。温かい家族の愛情。我はそれを理解できないが、人間にとっては大切なものなのだろう?』
そして、おれは、世界神との約束を思い出す。
何度も何度も果てしなく転生を続けるのは、なにゆえか。
生きてあがいて、飽きるまで生きて、その生き様を世界神に見せて、楽しませると。
『どうだ、生き飽いたか? アトク。それとも、また転生するか?』
「転生したら……」
『うむ?』
「記憶は無くなるのか。この人生の」
『そうなるな。全てを忘れ、再びの生を享受するがよい。かりそめの、泡のような』
「もういい。満足だ。この人生の記憶を喪うくらいなら、おれは転生したくない」
『飽いたと?』
「それよりも……たった一つ心残りがある。おれの村は、『欠けた月』の村は、この後、どうなる? グーリア帝国駆竜部隊の襲撃を受けて、大丈夫だったのか?」
しかし、それへの世界神の答えは、取り付く島もないものだった。
『壊滅する運命だな』
と、ひとこと。
衝撃的な内容だった。
「なんだと!?」
『おまえの妹カントゥータが、おまえの死後グーリア帝国の新たな手駒にされる。そして村を内部から破壊し尽くす。村人は全滅。そして我が掌中の玉たる愛し子カルナックは、伴侶だった、おまえの弟クイブロと死別して、再び闇の魔女になる』
「クイブロの嫁? それは、おれが最後に出会った、あの子か」
『絶望に彩られても闇に染まってもなお、あの魂は美しく輝く。闇の中で。そのさまを見届けるのもまた一興なれば』
「待て!」
おれは思わず叫んだ。
「人間をなんだと思っている。クイブロの嫁のことを、愛し子だと言いながら、絶望させ闇に堕とすのか!」
『これは異な事を』
神が、笑う。
『おまえは転生するたびごとに何人も殺してきたではないか』
「おれは……そうだ、おれには何も言う権利などはない。だが、世界神! あんたは人間たちを翻弄して、観察して、楽しんでいるんだろう!? 人間とはなんだ? あんたの遊び道具か!?」
『そう思うかもしれないな』
神が、つぶやく。
『だが我は、カルナックを、闇の魔女カオリを、愛おしいと感じる。捕らわれているのは我だ。永遠に我のものにはならずとも』
世界神の、独り言だ。
おれに伝えたいというわけではないのだろう。
『……まあ、おまえの行為などかわいいものだ。あの程度では大量殺人とは呼べない。戦争を引き起こした王や戦犯たちに比べれば。異教徒を断罪し火刑に処した、自称聖職者たち、そしてなお、奴隷を狩り集め虐待したものたち、侵略者たちの残虐行為にも、遙かに及びはつかない、小者だな』
「小者だろうとなんだろうと、おれは構わない。そうだ、そいつらはどうなった? 転生を繰り返して、あんたを楽しませているのか?」
『愚にも付かない生を、繰り返す。虫のようにな。だが、それはおまえには関わりの無いことだ。さて、アトク、おまえは我を長きにわたって楽しませてくれた。そろそろ褒美を与えてやってもよい。おまえの望みを叶えてやろう。一つだけ』
「慈悲深いことだ。だが信じ切れない。何を意図している」
『何を願う?』
世界神は、うながす。
この世でたった一つだけ、叶えられる願いなら。




