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第4章 その15 孤独な肖像


          15


 その女の青い目を、彼は長い生涯にわたって、決して忘れたことはない。


「あんた、ここを何だと思ってるの」

 青い目の、若い女は、青年を見据えて言い放った。


「娼館だとでも? バカだね、あたしたちは、誇り高い魔女なんだよ。薬も処方するし人生相談なら受けつけちゃいるが《売り》はしてないんだ。とっととお帰り、ひよっこ坊や」


 彼女に叱りつけられているのは、波打つ金髪を長く伸ばした、身なりの良い貴族の青年。


 彼が手に握り締めているのは、不可侵の取り決めの一つ、魔女達の同意なく身体にも髪にも触れてはならないという禁忌を犯してしまった証拠。

 青い目の女が被っていた頭巾である。


 だから。

 女の、腰まで届く漆黒の髪が、あらわになっているのだった。

 これほどに艶やかな美しい髪を、それに映える白い肌を、青年は、未だ見たことがなかった。


 魔女の共同体。

 そこは、レギオン王国首都アステルシアの外れにある、難民の寄り集まって暮らしている一画。

 そこに住む民は皆、貧困のどん底に喘ぎ、金のためなら何でもするという噂だった。


 若き貴族の青年は、日々の鬱屈をもてあまし、己の欲に正直に暮らしているという共同体に、嘘の無い人間の姿を求めて、ふらりと訪れたのだった。


「お帰り、坊や」

 女の口調が、柔らかくなった。諭すように、身を屈めて。手を伸ばすと、青年がまだ握り締めていた頭巾を取り返す。

 美しい黒髪が再びすっかりと布に包まれてしまうのを、青年は、名残惜しい気持ちで見つめた。


 そのとき。

 住居の奥の方で、子どもの泣き声がした。

 彼女はそちらに注意を向ける。


「あまり泣かせないでやって」


「お母さんがいいんだって」

 幼い、まだ二、三歳ほどの子どもを胸に抱いた、灰色の目をした少女が出てきた。


「しょうがないわね、貸して、グリス」

 黒髪に青い目の美女は、グリスと呼んだ少女の手から、子どもを抱き取って、あやした。泣いていた子どもは、すぐに静かになって、笑う。

「良い子ね。ルナ。お父さまが来たら、ちゃんとご挨拶するのよ」


「ぱーぱ」


「そうよ。パパが、会いにきてくれるわ、もうじきに」


 その嬉しそうな母と子のやり取りを耳にして。

 青年は、ガルデルは、これまで感じたこともないほど激しい憤りにかられた。


 嫉妬だったのだろう。彼にとっては、生まれて初めての。



 暗闇の中にガルデル・バルケス・ロカ・レギオンは佇んでいる。


 思えばずっと、このような暗がりにいた。

 幼き頃より、ずっと。


 省みられず、しかしながら放っても置かれず。

 教育は施されたが、それは王位継承権を持つ者に強制された義務であった。


 虚ろな心に知識は染みこむ。

 いつしか優秀な者と誰かに認識されて、それは救いではなかった。親族から、父母から、祖父母から、生命を狙われる結果となった。


 誘拐されて洗脳されそうになったこともある。


 現王に敵対する勢力の思惑によってガルデルは命を拾う。


 凍り付いた心を動かすものは何もなく。肉親というものが存在していたのかどうかさえ自分にとっては意味の無い記号だった。

 漫然と生き延びて、けれど彼の能力と血統は、ガルデルを世の中から遠ざけたままではおいてくれなかった。どこか遠くで繰り広げられていたはずの権力争いの末に、ガルデルにも血筋に相応しい権威ある地位が与えられたのだった。

 それはレギオン王国国教『聖堂』。北方の国アステルに源を生じた『聖堂教会』は、もともとは単なる民間信仰に近い素朴なものだったが、このレギオン王国において飛躍的な発展を遂げ、いつしか巨大な組織となっていた。

 レギオン王国国教となり、『教王』は国王と並び立つ権威を持つようになる。


 異端を排斥し処刑する。

 この呪われた組織の、名目だけの、王。教王。


 この自分を、恵まれた境遇だという者もいるだろうか。


 いつでも代わっていいのに。

 彼は嘆く。


 常に見張られているから、自ら死ぬこともできないのだ。

 だから、レギオン王国国教『聖堂』の頂点に立った若きガルデル教王は。


 望む夢も何もなく。

 生きる意味も感じられず。

 幽鬼のように彷徨うばかり。


 その、ガルデルが。

 目を見張るできごとが起こったのは、レギオン王国首都アステルシアの、下町、といえば聞こえがいいものの、その実は難民がなだれ込み混乱を極めている一画に足を向けたことからだった。


 黒髪に青い目の美女の、

 子どもに向ける優しさ、情愛。

 どれもガルデルには得られなかったものだった。

 それが欲しかったのかもしれない。


 だが、結局は。

 女は、ガルデルの手には入らなかったのだった。


 得られたのは、子どもを守ろうとして兵士に殺された女と。

 残された、黒髪の子どもと。

 共同体を焼き払った後に連れてきた、数人の女たちだった。


 本物の魔女と言えたのは、死んだ女。

 フランカだけだ、と。

 灰色の少女が、泣きながら、黒髪の子どもを抱きしめた。


 喪失しつつ、時だけが流れ。

 全てを失い続けて、ガルデルは闇に佇む。


          ※


「だが、まだ、この子がいる」

 投影される黒髪の少女を眺めやり、ガルデルは、救いを求めるように、つぶやく。


「おまえをこの手に抱いたなら。この世の何よりも大切にすると誓おう。フランカにも、レニにも、してやれなかったことを。……ああ、どうして、できなかったのだろうな……我は、本当は……愛おしく思っていたものを」


 後悔だけが、ガルデルに残されたものだった。

 だが、今は。

 触れることもかなわない、つかのまの映像であっても、彼の愛しいものが、そこに。

 目の前に、いるのだった。


 少女は歩き、近寄り、彼を覗き込み。


『だいじょうぶ?』

 優しく語りかけてくれるのだ。


「ああ。我は、大丈夫だ……まだ」

 幾度となく繰り返される、同じ問いかけに、ガルデルは陶然と答える。

「まだ……おまえがいる」


『よかったぁ』

 

 花のように、少女は微笑む。



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